第10話 作戦会議 その2
放課後、弁護団の部室に行くと、すでに二人が待ち伏せていた。周防はパイプ椅子に座って文庫本を読んでいたのだが、シュウの奴は仁王立ちでのお出迎えだった。ずっとそのままで待っていたんなら、ただのバカだな。
「で、どうだった? 今日の昼休みに、生徒会長と話してきたんでしょ?」
「噂になんの早すぎだろ!」
今日の昼だぜ? まだ三時間かそこらしか経っていないんだぜ? シュウの耳に入る覚悟はしていたけど、いくらなんでも情報の伝達速度が速すぎるだろ。
「一応、特別措置として、こっちの有利になるように進行してくれるってよ」
「へぇ、やるじゃない。期待してなかったのに」
「あのさぁ……」
成功すると思っていない仕事を人に押しつけるなよ、と言おうとしてやめた。これと同じようなことは、昔から換算しても軽く三桁に届くほどあったのだ。今さら不平を言う気はない。人間、諦めが肝心だからな。
「有利になるようにってことは、完璧に籠絡するのは失敗したのね。特別処置って何?」
「……少しは労ってくれてもいいんじゃないか?」
「分かった。今度、ネギラーメン奢ったげる」
これが冗談じゃないのが、シュウの良いところでもあり悪いところでもあるんだよな。
「特別処置の内容は教えてくれなかったな。いや、今から考えるって言ってたか。とりあえず、生徒会長を味方に引き入れるのは無理。これが限界だ」
「なるほど。多少は希望の光が見えてきたわけね」
今までが真っ暗闇だったから、余計に明るく見えるだけなんだけどな。光が見えるだけで、どれだけの距離を走れば勝利を掴めるのか、未だ目測すらできないが。
「生徒会長が繚乱倶楽部に行かなかった理由は?」
突然、別方向から質問された。
文庫本から顔を上げた周防が、眼鏡の位置を直しながらじっと俺を見据えてくる。
「本当に、ただ単に行きたくなかっただけらしい。生徒会長も昔、ちょっとやんちゃしてたみたいだ」
昼休みに話した内容を、かいつまんで二人に話した。もちろん生徒会長が処女と告白したことや、漫画の影響で中二病になったこと、そしてどうやって俺が会長を説得したのかは省いてだ。冗談とはいえ、あれは人生初のプロポーズだった。思い出しただけでも恥ずかしい。
「なるほどね。ちなみに千石さんが君に惚れているという情報は、何を根拠にしているんだい?」
「知らん。生徒会長が去り際にそう言っただけだ。ただの冗談だろ。大して気にしないでもいいんじゃないか?」
おそらくだが、生徒会長はリーディングなんたらという能力を使って、俺と討論している千石の心を読み取ったのだろう。さすがにそのまま説明すると話がややこしくなりそうなので、そこは伏せておいた。
「ふぅむ」
と、深く息を吐き出した周防が思案顔になる。こいつは変なところで真面目だよなぁ。などと考えていると、周防がいきなり話題を変えてきた。
メガネを光らせ、背筋をピンと伸ばした彼の口から衝撃的な事実が飛び出る。
「わざわざ言うことじゃないから教えなかったけど、実は兄貴は二年の
「「えええええええええぇぇぇぇぇぇ!!!!」……ホモだと思ってた」
なんでだよ。
五光先輩といえば、二年生の中でも一二を争う美女だ。家柄よりも、その容姿の方が学園内で有名になっているタイプのお嬢様である。繚乱倶楽部にも所属し、たびたび周防先輩と討論している姿を見てはいたが……そもそも、あの熊男に人間の恋人? 完全に美女と野獣じゃねえか!
「この前、最近の六花廷はお嬢様方にとって手段と目的が入れ替わっているって、僕が言ったのを覚えているかい?」
「確か暇つぶしのための六花廷が、逆になってるって話だったよな。暇つぶしを手段として六花廷自体が目的になってるって」
「その通り。ではお嬢様が六花廷を行う目的はなんだと思う?」
んなもん、分かるかい!
無言で圧力をかけてみたら、周防はあっさりと白状した。
「彼女たちは対等に言い争える相手が欲しいんだよ。幼い頃から蝶よ花よと育てられた彼女らには、対等な立場の人間がいない。いても同じくらいの権力を持った友人か、上辺だけ取り繕った卑しい下僕くらいだ。敵対する者もいなければ、逆らう者もいない。真正面から本音を言い合える相手なんざ、存在しないんだよ」
だから……と、周防は続ける。
その際、彼は何故かシュウの顔を一瞥した。
「弁護団に対する敵意が、恋心に変化しても何ら不思議ではない」
周囲から全肯定しかされなかったお嬢様の前に現れた、初めての敵。
一切のお世辞を含まない、本音を言ってくれる相手。
最初は憤っていたかもしれない。自分の思い通りに事が進まず、イライラしていたかもしれない。でもある時に気がつく。六花廷こそ、物足りないと思っていた日常を満たしてくれる場である、と。
吊り橋効果……なんだろうなぁ。
決して男子個人に恋をするわけではないと思う。彼女らは『自分と対等に議論できる弁護団の男子』に惹かれているだけだ。物足りない日常を埋めてくれる人物が、自分の運命の男性だと勘違いして。
「手段と目的が入れ替わってるって、そういう意味だったのか」
お嬢様方は日頃の鬱憤を晴らしたくて六花廷で訴えているのではなく、六花廷で弁護団と議論したいからこそ、適当な理由をつけて一般生徒を訴えているだけなのか。
「兄貴の例もあるし、千石さんが野村君に惚れててもおかしくはない」
「どうだかなぁ」
矛盾はないし、理論的には筋が通っている。けど人を好きになるのは感情だ。いくら正論だからといって、千石が俺に惚れているという証拠にはならない。
「センセンちゃんが野村君に惚れてる、か。……いいこと思いついちゃったぁ」
珍しく黙り込んでいたシュウが、ニヤリと笑ってみせた。
うわぁ、悪い顔してんなぁ。
「な、何か良い案でも浮かんだのか?」
「野村君の行動でセンセンちゃんが傷ついたんなら、私たちはその逆を主張する!」
「逆?」
その発言には、さすがの周防も首を傾げた。理解しがたいというよりも、言葉足らずなんだよな。その上で自己完結してしまうことが多いからタチが悪い。
しかし今回は俺が訴えられている件なのだ。説明してくれなければ困る。
「詳しく話してくれ」
「責任を全部センセンちゃんに押し付けるのよ」
「……どういう意味だ?」
得意気に微笑んだシュウが、人差し指を突き上げた。
「私はセンセンちゃんの陰謀論を推すわ」
「ははぁ。それはまた極悪非道な考えだなぁ。千石さんは圧倒的に被害者なのに」
またまた俺の知らないところで話が進んでやがる。非常にもどかしい。
無言の圧力をかけてやると、周防は肩を落とし気味に説明してくれた。
「簡単に言えば責任転嫁だよ。一つ前の判例で例えると、男子生徒が女子生徒のパンツを見て訴えられただろ。それを逆にするんだ。女子生徒がわざとスカートを捲ったから、男子生徒はパンツを見る羽目になった。悪いのは女子生徒の方だって主張するんだ」
「つまり俺の前へ裸を晒した千石の方が悪い……ってことか?」
いやぁ、無理だろ。
普通の教室ならともかく、繚乱倶楽部の部室の中だぜ。女子の部室だぜ。俺の方が圧倒的に非のあるこの状況を覆すことなんてできるのか?
何か考えがあるのか、今度は言いだしっぺのシュウに問うた。
「で、陰謀論を主張するための策は用意してあるのか?」
「ううん、なんもない」
今に始まったことではないので、もはやツッコむまい。
「策はない。策はないけど、やることはある」
嫌な予感。不敵に微笑むシュウを見て、経験的にそう思った。
案の定、シュウはポケットから取り出した鍵を誇らしげに見せて、言った。
「情報量が少ないんだから、不利になるのは当たり前。だから手札を増やすために現場検証へ行くわよ」
「現場検証って、まさかその鍵……」
「六花繚乱倶楽部の部室の鍵」
「んなもん、どこで……」
「普通に職員室の壁に掛けてあったよ。だからパクッた」
この無意味な行動力には今さら驚きはしないが、できればもう少しだけ後先を考えてほしいものだ。じゃないと振り回される方の遠心力が増す一方で、そのうち風圧に押し潰されてしまいかねない。
「あのさ、んなことしてバレたらどうすんだよ」
「大丈夫。鍵がなくなってても、先生たちは部員の誰かが持ってったって思うでしょ。今日のうちに返しとけば問題ないよ」
「いや、そうじゃない。現場検証ってことは、部室に入るんだろ? もし誰かに見咎められたら、それこそ六花廷で不利になるぞ」
こちらと不用意に忍び込んでしまったことで、訴えられているんだ。許可もなく同じことを繰り返せば、常習犯として相手の手札を増やすだけだろう。
「それも問題ない。そのために周防君がいる」
「?」
周防の背後に回り込んだシュウが、彼の肩をポンと叩いた。それがスイッチの人形であるかのように、文庫本から目を離した周防が大きくため息を吐いた。
あぁ、ついにこいつも、有川シュウっていう台風に巻き込まれてしまったんだな。
「今回は私も動くわ。野村君ばかりに任せておくのも悪いしね」
周防も一緒に動くのなら、俺はいったんお留守番か。まぁ仕方がない。訴えられた本人が現場検証のために侵入するなんて、執行猶予中に犯罪を犯すようなものだ。ここは大人しくしているに限る。
「さあ、今から六花繚乱倶楽部へ乗り込むわよ!」
意気揚々と拳を掲げるシュウ。
俺が裁かれる六花廷まで、あと二日。果たして勝つための秘策は見つかるのだろうか。
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