第11話 現場検証1
一仕事した後は一服できる。そう考えていた時期が俺にもありました。
「こちら潜入班。今しがた繚乱倶楽部の部室に到着したわ。そちらの首尾はどう?」
『ほとんどは帰ったみたいだ。けど、まだ数人は校内に残っている。そちらに近づくようなことがあれば、すぐに合図する』
「了解。それではこれより潜入を開始する。いったん通信を切るわ」
『健闘を祈る』
周防の奴、嫌な顔してた割には意外とノリノリだなぁ。
スマホをしまったシュウが、隣でアホ面かましている俺に向けて檄を飛ばした。
「ほら、シャキッとしなさい。今から大仕事なんだから」
「肩を殴るな。お前の拳は冗談抜きで痛い」
大仕事。つまり六花繚乱倶楽部にて、現場検証である。
あれから俺たちは、日が暮れるのを待った。許可なく潜入するということは、繚乱倶楽部の部員全員の帰宅が必須。もし潜入中に部室に戻ってこられでもしたら、目も当てられない惨状になるからな。
六花繚乱倶楽部の部員は、総勢三十六名。ただこの高校は部活の掛け持ちは禁止されているので、他クラブに所属しながら繚乱倶楽部と懇意にしているお嬢様は、百人くらいいるらしい。
そんな大人数を、どうやって監視するのか。
疑問に思って問いただしたところ、シュウは得意げに答えた。
「そのために餌づけさせといた駒たちよ」
要は
繚乱倶楽部の部室がある校舎の周りに監視を付ける。そして周防が司令塔となり、部員が戻ってきそうな気配を感じたら、潜入組であるシュウのスマホへと即座に連絡が入る手筈となっているのだ。
今さっき、繚乱倶楽部関係者はすべてこの校舎周辺から立ち去ったと、周防から連絡があった。ずっと近場で待機していた俺たちは、ようやく仕事開始である。
「さぁて、そんじゃ行きましょうか」
「誰もいないんだから、そんなに慎重にならんでもいいだろ」
まるでコソ泥みたいに鍵を入れるシュウを見て、呆れてしまった。
さて、それでは二度目の六花繚乱倶楽部への訪問だ。そういえば、最初に来た時は鍵が掛かっていなかったな。つまり誰かが中にいたという証拠であり、室内に誰もいない時点で引き返しておけばよかった。ま、後悔先に立たずだ。
身を滑らせるように入室を果たすと、突然シャンデリアが灯った。
「バッカ! なんで電気つけるんだよ!」
「だって暗かったら何も見えないじゃん。誰もいないんだから大丈夫よ」
「誰もいないから暗かったんだろ! 明かりを見た誰かが戻って来るぞ」
「どうせ部員の誰かが忘れ物でも取りに来たと思うでしょ」
えー……。こいつのこの自信は、本当にどこから来るんだろうなぁ。
改めて、二度目の六花繚乱倶楽部を見渡してみる。家具や調度品の配置は、先週末とほとんど変わっていないはずだ。
という曖昧な表現になったのは、千石の裸があまりに強烈すぎて、その他の記憶が異次元へと堕ちてしまったからである。豪華な背景は、俺の頭の中では無機質なポリゴンとしてしか残っていなかった。
「へぇ、写真で何度も見たことあるけど、さすがに壮観ね。ホテルのロビーみたい」
くっ、図らずともシュウと感想が被ってしまった。嘆かわしい。
赤い絨毯の上を、シュウは遠慮なく徘徊し始める。俺は閉じた扉に寄りかかって、その様子をじっと見つめているだけだ。建前は誰か来ないか見張っているからだが、本音としてはやはり罪悪感が足を止めるのだ。不法侵入だし、女子の部室だし、何より以前犯罪を犯しちゃった場所だし。
「それじゃあ、現場検証……及び、被告人への質疑応答を始めます」
一通り室内をぐるっと歩き回ったシュウが、仁王立ちで俺に人差し指を向けた。
この部室に来た本当の理由は、それだ。殺人事件じゃないんだから、現場検証なんてしても意味なんかない。現場を訪れ事件当時のことを鮮明に再現し、それを第三者、つまりシュウへと報告する。そうすることで、俺が何か見落としている点、もしくは繚乱倶楽部側へ対抗する手段が見つかるかもしれない。
しかし質疑応答をするまでもなく、この部室を訪れてすぐに、俺はある違和感に気づいていた。そしてその正体も。
「まずはじめに、ここで起こったことを詳しく教えてちょうだい。懇切丁寧に、野村君が起こした行動を漏れなく、すべて」
相変わらず上から目線だなぁ。
「先週の六花廷の調書を持って、俺はここを訪れた。ノックは一回だけした。鍵は掛かってなかったな。電気も付いていた。この位置で室内の凄さに圧倒されていると、そこの扉から千石が出てきたな。シャワーを浴びた後のようだった」
機械的に、その時あった出来事を説明する。箇条書きにすると、案外少ないものだ。
「部屋に入って、センセンちゃんがシャワー室から出てくるまでの時間は?」
「正確には分からない。けど、一分は経ってないのは間違いないな」
「そこの扉ね? あとで見てみましょう。他に事件当時と変わってることは?」
「ないな」
「そう。じゃあその時、部室には本当に誰もいなかった?」
「周防にも言ったけど、確かに誰もいなかっ……」
実際に現場を訪れたことで、俺は一気に自信を失っていた。
本当に誰もいなかった? いや、間違いない。俺は特に視力が悪いわけではないし、千石が出てくるまでに一度大きく見回してみたのだ。絶対に誰もいなかったと断言できる。しかしそれはあくまでも、この位置から見渡せる範囲には、だ。
「たとえば、ソファの後ろとか」
大きなガラスのテーブルには、座り心地の良さそうなソファが四方を囲んでいる。
もし、その後ろで誰かが潜んでいたのなら……。
「たとえば、クローゼットの中とか」
シャワー室の向かい側の壁には、木製のクローゼットが二つ。両方とも、頑張れば人間が二人は収まるだろう。
もし、その中で誰かが隠れていたなら……。
「シャワー室以外にも扉があるわね。この先はどうなっているのかしら?」
事件当時、その扉は閉まっていたが、誰もいなかったという確証はない。
けど……。
「いくらなんでも、隠れる意思がなきゃ無理だ。少し身じろぎしたり音を立てたりしただけで、すぐに気づくぞ」
「そうね。だからこそよ。逆に隠れようと思えば、いくらでも隠れられる」
んな馬鹿な。俺がここを訪れたのは偶然だぞ? いったい誰が、何の目的で、来るかも分からない人間から身を隠さなければならないんだ。
「でも、その可能性はほぼあり得ないと思ってもいいわね」
意外と素直に引いた。さすがにシュウも、誰かが潜んでいたとは考えていないらしい。
「それじゃあ、次。シャワー室を見てみましょう」
シュウが向かって右側の扉へと歩き出す。臆病者の俺としては、できれば入り口から離れたくはなかったが、しかし見なければならない。千石が出てきたシャワー室の中を見ることが、俺が抱いた違和感を解消させるからだ。
誰も来ないことを祈りつつ、俺もシュウの後に続いた。
「ったく、運動部でもないのに、こんな立派なシャワー室があるなんて。絶対に無駄な予算使ってるわよね」
その意見には完全に同意であり、今更だった。
目が痛くなるほどの照明で照らされたシャワー室は、けっこうな広さがあった。シャワーが設置されている個室は四つだけだが、その他のスペースが無駄に広い。部室に合わせた幅があるからだろう。卓球台を二台並べても、余裕をもって試合ができるほど。更衣室も兼ねているとはいえ、ただ雑談するだけのクラブに必要だとは、とても思えない。
シュウの肩越しにシャワー室を覗いた俺は、予想通りの結果に頭を抱えた。
「やっぱりな……」
「何がやっぱりなの?」
訝しげな面持ちで振り返るシュウ。
俺はシャワーが設置されている個室ではなく、その手前を指さした。
「ロッカーがあるだろ? それに備え付けの長椅子も」
「あるわね」
「シャワーを浴びる人間は、ここで服を脱いで、ここで服を着る」
「……だからなんなの?」
気づかないのか? いや、これは当事者の俺だから分かることなのかもしれない。
部屋の手前には、個室と同じ数のロッカーが並んでいる。そして中央には、衣類を着脱するための長椅子。シャワー室とは言っても、結局のところこの部屋は更衣室なのだ。シャワーを浴びるためだけの空間ではない。
「つまり千石は、シャワーを浴びた後、服を着ずにこちらの部室へと戻って行った」
「…………あ」
「俺の記憶が正しければ、千石の身体からは湯気が立ち昇ってたな。つまりシャワーを浴びて身体を拭いた後、すぐにこっちに飛び出してきたってわけだ」
「どうしてセンセンちゃんは素っ裸で出てきたんだろう?」
「確か……ジュースがどうかと呟いてたような気がする」
俺たち二人は、シャワー室とは反対側にある冷蔵庫を一瞥した。
「なるほどね。素っ裸で部室内を往来する繚乱倶楽部のお嬢様。これは使えるわ」
ホント、敵に回したくない笑い方するよなぁ。
けれど今は味方だ。情報を与えれば与えるほど、俺に有利になる。
「千石の行動もそうだけど、もう一つ。違和感というか、矛盾してることがある」
「矛盾?」
「あぁ。この部室に来て、やっとその正体が分かった」
むしろどうして今まで気づかなかったのか、自分の鈍さが憎らしい。
俺は自分の頭を人差し指でつついた。
「髪形だよ。シャワーを浴びていたのにもかかわらず、あいつの縦ロールはほとんど崩れていなかった」
「…………」
責めるような、呆れるような目で睨まれてしまった。どうしてそれを今の今まで言わなかったのかと、無言の圧力をかけてくる。勘弁してくれ。こちらと髪形に気が回らないほど動転してたんだからさ。
「シャワーを浴びていたのに髪形は崩れてなかった? つまり本当はシャワーを浴びていなかった?」
「いや、千石の身体から湯気が出てたのは間違いない。雨に当たっただけじゃ、湯気なんて出ないだろ」
「じゃあ、あの髪形を崩さずに浴びていたってこと?」
「俺は女子の風呂事情には疎いけど、そんなことができるのか?」
「うーん……」
シュウの髪も短い方だけど、一応は女の子だ。シャワーくらい浴びるだろうし、高校に上がってからは、多少なりとも身なりを意識するようになったと思う。昔が野蛮すぎたとも言うけれど。
「どうだろう。髪形を崩したくないなら、シャワーを当てなければ済むと思う。ただあんな人形みたいな髪形、ちょっと蒸気に触れただけでも重みで崩れちゃうでしょうね。痕跡は残るかもしれないけど……一度崩してから、また直したってのはどう?」
「それこそ無理だ。あの髪形にするのに毎朝一時間はかかってるらしいし、専属のスタイリストも雇ってるみたいだからな」
って、あれ? なんで俺、千石の髪形事情にこんなに詳しいんだっけ?
「センセンちゃんの破廉恥な行動に、崩れてない髪形か。攻めてみる価値はあるけど、まだ弱いわねぇ。もっと一発逆転を狙える
「んなもんあったら、誰も苦労はしねえって」
そもそも前提を覆さない限り、こちらの勝利は絶対にあり得ないんだからな。俺が六花繚乱倶楽部を訪れ、千石の裸を見た。この前提をだ。たとえ陰謀論を唱えたとしても、俺が繚乱倶楽部の部室内に立っていた時点で負けはほぼ確定だと思う。
「ま、いいわ。他に何か気づくこととかない?」
「気づくことか。難しいな」
シャワー室から出て、今一度室内を見渡してみる。だが、これと言って他に思い出すことはなかった。
「というか、お前は何を見つけたら有利になると考えてるんだ?」
「それが分からないから、こうやって繚乱倶楽部に忍び込んでまで現場検証してるんじゃない。何でもいいのよ。相手側に罪を押し付けられる証拠なら」
「さっき言ってた陰謀論だろ? だから、それをどう証明するのかと……」
「しっ!?」
突然、シュウが人差し指を唇に当てた。その行為の意味は分かる。俺とシュウ以外の、誰かが近くにいるのだ。俺も黙って聞き耳を立ててみるが……なんも聞こえん。シュウも野生児っていうほど、感覚が鋭いわけではないはずなんだけどなぁ。
「廊下の方から足音が聞こえた。一応、隠れるわよ」
「お、おう」
一気に緊張が高まる。こんなところ、繚乱倶楽部の誰かに見られたらおしまいだ。
では、どこに隠れる? 見回した限りでは、二人の人間が隠れられる場所はクローゼットの中くらいしかない。ならばここは無難に、シャワー室にでも閉じこもるか。
そう決断し身体を反転させたところ、いきなりシュウに腕を引っ張られた。
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