第4話 『人格を読む者』の能力者
「雨か……」
水滴が窓を叩く音に気づき、俺は顔を上げた。
六花弁護団の部室で宿題をしている最中だ。昼ごろから雲行きが怪しくなってきたと思ったら、やっぱり降ってきたか。さっさと帰っておけばよかった。
早朝に死刑宣告を下したシュウとはそれきり会うことはなく、平穏な一日を終えた。しかも本日は週末の金曜日。二連休を控え暇を持て余しているため、放課後こうしてゆっくりと宿題を片付けているのである。学校の中に自分だけのプライベートルームができたのは、弁護団に入った唯一のメリットと言えよう。
ただ、俺一人しか使っていないことについては、若干の寂しさを感じるのも事実。
狭い床に並べられているパイプ椅子を一瞥してみる。
六花弁護団の団員は、俺と周防先輩を含めて四人しかいない。一人は三年生で、受験勉強に専念してるため滅多に顔を出さない。もう一人は俺とタメの一年生で、そいつとは一度も会ったことがないし、実は名前も知らない。完全に幽霊団員だ。
全校生徒二千人を超える六花総合学園で、どうして弁護団が四人しかいないのかと言えば、それなりの理由はある。
まず弁護団には男子しか入れない。女子しかいない繚乱倶楽部と争うのだから、こちらもそれ相応の体面を整える必要があるからだ。いくらシュウが男勝りであっても入団はできず、俺に向けて発破をかけるしかないのである。
そして最大の理由は、この六花総合学園の本質にある。
大企業や各大学がスポンサーとなっているこの高校は、幅広い方面でコネが手厚い。つまり優良企業への就職率が良く、進学するにしても、推薦や奨学金を得るのが容易くなっているのだ。それを目当てに入学してくる生徒が多い、というかほとんどだろう。
故に、お嬢様方と争う六花弁護団はデメリットにしかならない。もし彼女たちの機嫌を損ね、それが親の耳にでも入ってしまえば、それだけで将来への道が狭くなるのだから。スポンサー目的で入学してきたのだから、誰だって問題は起こしたくないはずだ。
なので中間テスト学年一位のインテリメガネが団員でないのも、妙に納得してしまうのである。六花廷に興味はあれど、将来のことを考えると、入団しないのは正解だ。俺が周防の立場であっても、間違いなくそうするだろう。
「ま、俺に学年一位なんて夢のまた夢なんだけどな」
自虐的に呟き、机の上の宿題から目を離した。
正直、現在の授業ですら半分くらいしか理解できていない。中学でそれなりの成績を修めていた俺が、高校入学二ヶ月目ですでにこれだ。さすが元金持ち学校、レベルが高い。
雨も降ってきたし、やる気も削がれたし、今日はもう帰ろう。
そう思ってノートを片付け始めた、その時だった。
「…………誰だ?」
雨が窓を打つ音とは違う、何か堅い物を叩く音が扉の方から聞こえた。
いったい誰だ? 団員だったらノックなんてしないだろうし、シュウも周防も勝手に入ってくるだろう。となると、部外者で六花弁護団に用がある人物は……。
ま、考えても仕方がないか。
「はい、どうぞ。開いてますよ」
ゆっくりと遠慮がちに開けられた扉から現れたのは、生徒会長だった。
「失礼します」
「…………」
予想外の人物の登場に、思わず狼狽えてしまった。
俺と視線を交わした生徒会長は、大きく室内を見回した後、再び俺の目をじっと見据えた。敵意と好意の両方を兼ね備えたその目つきは、温かくもあり冷たくもあり、真意を捉えかねている俺の思考をかき乱していく。
「私の顔に何かついていますか?」
「あ……いえ、すみません」
「どうして謝るのですか?」
「いや、特に意味はないんですけど……」
「なるほど。意味もなく謝罪の言葉を使うのは、日本人独特の癖ですものね」
どうやら勝手に納得してしまったようだ。真顔でうんうんと頷く。大人びた顔立ちの割にずいぶんと子供っぽい仕草だったので、そのギャップにドキリと胸が弾んでしまった。
じっと見つめているのも気恥ずかしく、そして申し訳なくもあったので、相手に悟られない程度に顔を背ける。それでいて彼女の顔をついつい横目で確認してしまうのは、俺も美人には目がないってことなのだろうか。
「あら、やっぱり見ていましたね? 私の美貌に見惚れてしまっていたのかしら?」
「えっと……」
「ジョーダンですよ、ジョーダン。言ってみたかっただけです。てへぺろ」
「…………」
なんだかペースを乱されるなぁ。というか、生徒会長ってこんな人だったのか。六花廷以外で接点なんかないし、しかも無表情に近い真顔で言うのだから、本気なのか軽口なのかの判断もしづらい。
しかし彼女が自他ともに認める美人であることは事実だ。
腰まで届く黒い髪は艶が視認できるほどで、一切の解れがないくらい梳いている。シャンプーのCMに出られそうな……いや、出演を終えてそのまま学校へ来たような美しさを保っていた。
体格は小柄な部類だろう。ただいつも隣にいるシュウが特別デカいため、俺の基準がバグっているのは否めないが。
全体的に見れば、普通の女子高生だ。『可憐』なお姫様である千石や、『活発』でやんちゃ坊主なシュウとはまた一味違う、物静かで『清楚』感漂う先輩。美人であることを除けば、日本全国何万人いる女子高生とそう大差はない。
だがしかし、目つきがとても恐ろしかった。
色白の肌に薄桃色の小さな唇、低めの鼻に細い眉。顔の造形そのものは控えめで大人しい印象を受けるものの、その眼光だけが異様に輝いているのだ。吸い付くような視線は、最初に俺と目が合ってから一度も逸らさないほど。横を向いてても、彼女の眼力が未だ俺の瞳を捉えていることは、ありありと感じ取れていた。
もっとも、その威圧的な視線が俺個人に対してだけではないことくらい、ちゃんと理解している。過去八回の六花廷、そのすべてで裁判長を務める生徒会長は、六花繚乱倶楽部に向けて、六花弁護団に向けて、そして被告人に向けて、いつも力強い眼差しを送っていた。今回は至近距離で彼女の目を見て、俺が勝手に気後れしてしまっただけだ。
「…………」
そんなことを考えているうちに、ふとあることに気がついた。
放課後、女子の先輩と狭い部室で二人っきり。身じろぎすれば肩が触れ合いそうな距離で、お互いじっと見つめ合って……うっわー、意識したら一気に緊張してきた。同時に、とてつもない背徳感が背中を這う。自己嫌悪のド壺に嵌まった気分だ。
「ふむ。なるほど、なるほど」
俺が人知れず己と奮闘していると、会長が一人で納得し始めた。小ぶりな顎をこくこくと引くことで、ようやく俺の目から視線を逸らしてくれる。情けない話だが、たったそれだけのことでひどく安堵してしまった。
「野村君は正義感が強くて真面目だけど、行動は消極的。周囲の空気に流されることが多々ある。どちらかと言えば内気な方で、身内に対しては対等になろうと必死な面もある。大まかに言ってしまえば、自分が目立つことを嫌い、陰で努力するタイプですね」
「えっと……はい?」
「失礼ながら、野村君の性格を勝手に診断させてもらいました。どうです? 図星だったでしょう?」
性格診断? なんのこっちゃ。
きょとんとしたまま生徒会長を見据えていると、彼女の表情が唐突に綻んだ。口の端を釣り上げただけの笑みだが、やっと真顔以外の表情を見れて安心する。
ただ何度彼女の言葉を反芻してみても、理解はできなかった。
すると得意気に微笑んでいた生徒会長が、とんでもないことを言い放った。
「どうやら驚いているようですね。何を隠そう、実は私、『
「リーディング……なんですって?」
「『
……ん? んん? なんの話だ? というかどこへ飛んだの?
シュウと付き合いが長いおかげか、唐突に理解不能な話題を振られるのは慣れている。けど、今回は相手があまりにも想定外だった。
ただこの手の単語を発する人間は、大抵とある病にかかっている傾向がある。この厳格な生徒会長のことだから、あまり信じたくはないけど、もしかするともしかして……。
「生徒会長って、中二……」
「私は高校三年生です」
ぴしゃりと言い切られてしまった。しかも憮然とした態度で、せっかく浮かべてくれた笑みまで消して。どうやら中二病と揶揄されるのは、快く思わないらしい。
微妙に雰囲気が悪くなったものの、フォローは逆に悪化させるような気がしたので諦める。今の話は聞かなかったことにしよう。
さてさて閑話休題。そろそろ本題へ戻ろうじゃないか。
……本題? 本題ってなんだったっけ?
「ところで、何か用があったんじゃないんですか?」
「用がなければ、わざわざこんな所に来たりはしません」
なんだろう。俺、何か悪い事でもしたっけ? それとも何か試されているのか?
「いえ、失礼。今の返し方は誤りですね」
なんてことを呟いた生徒会長が、わざとらしく咳払いをした。
そして軽く顔を背けたかと思うと、恥じらうような上目遣いで声高に囁いてくる。
「用がなかったら……会いに来ちゃダメなの?」
「――ッ!?」
今までの淡々とした物言いから一変、一人のか弱き乙女がそこにいた。演技だと分かっていても、普段の立ち振る舞いからのその落差は凄まじい破壊力である。危うく自分という存在がゲシュタルト崩壊しそうだった。恋のキューピットさん、あなたの弓矢の威力、ちょっと強すぎるんじゃないの?
「一応断っておきますけど、ジョークですからね。本気にされては困ります」
「もちろん分かっておりますとも」
ばっちり勘違いしちゃってましたので、今のはただの強がりです。
とはいえ、素に戻る切り替えの早さにも驚いた。とても付け焼刃のジョークとは思えない。普段からその温度差を演じるのには慣れているのだろうか?
「私の『
あ、そのリーディングなんたらってのは冗談じゃなかったんだ。
何はともあれ、ここまでの会話の意図は不明だけど、確実に言えることが一つある。
この人、絶対暇だろ!
「さて、戯れはこの辺にしときましょう。今日野村君を訪ねたのは、先日行われた六花廷の調書のサインを頂きに来たのです」
「あー」
そういえばまだサインしてなかったな。
六花廷が行われる際、繚乱倶楽部と弁護団の両者は、簡単な調書を作成して生徒会に提出する義務がある。それを元に六花廷は進行され、判決の際の判断材料にするのだ。お互いの主張に矛盾が生じた場合など、事実関係を知らない生徒会役員に対する補助資料となっている。
とはいっても、ほとんど箇条書きの簡単なものだ。なので後日、生徒会がきちんとした書類として体裁を整えてから、学校側へと提出するのである。
本日、生徒会長が求めてきたサインは、清書する前の確認といったところ。これは特に義務というわけではないが、生真面目な現生徒会は、調書を作成した人間の確認、承諾を必ずもらうことになっていた。
現に俺も過去三回ほど、調書を作成して確認する作業をしたことがある。最初の頃はまだ要領を得なかったため、六花廷の討論も調書の作成も先輩の隣で見ていただけだった。直接弁護したわけではないから、入団当初の敗訴は自分のせいじゃない、と言うつもりは毛頭ないけどな。
「けど驚きましたよ。まさか会長が直々に来られるとは思っていませんでした」
「こちらとしても、誰がサインを貰いに行くかは特に決まっていませんので。今回は他の役員に用事がありましてね。明日は休みですし、仕方なく私が赴きました」
生徒会の中で一番偉いからといって、ただふんぞり返っているだけじゃないのか。人の上に立ってなお働き者であることは、それだけで好感が持てる。
もちろん断る理由もないので、書類を受け取った俺は再び椅子に座った。
書類を机の上に広げ、生徒会長に背を向けたわけだが、どうも落ち着かない。美人な先輩と密室で二人きりというシチュエーションに心が昂っているだけでなく、会長が俺の背中をじぃーっと見つめている感覚がありありと感じ取れるのだ。
なんつーか、ちょっと恐い。さっきみたいに軽口を叩いてくれれば、少しは場の雰囲気も和らぐのに、俺が背を向けてから何故かずっと黙ったままだ。次に目が合った瞬間、石にされるってことはないよな?
「はい、オッケーです。特に間違いはありません」
少々居たたまれなくなったので、完全に斜め読みになっちゃったけどな。
振り返っても髪の毛が蛇になった怪物などおらず、相変わらず無表情な会長がぺこりとお辞儀をしただけだった。
「ありがとうございます。お手数をかけました」
「いえいえ。それより生徒会の方が苦労が多いんじゃないですか? あんなメモみたいな調書を、毎回清書して提出してるんですよね?」
「文章を書くのは好きですし、仕事ですので別に苦とは思っていませんよ」
生徒会長の鑑だなぁ、この人は。
顔良し、性格良し、器量良し。こんな女性を放っておく男なんていないだろう。三年生の事情はまったく知らないが、絶対に注目の的に違いない。わずか数分話しただけの俺でも即惚れてしまいそうだけど……さすがに無理だな。高嶺の花すぎる。
「実はお手数ついでに、野村君に折り入ってお願いがあるのですが」
「お願い、ですか?」
下手な言葉遣いの割には飄々な態度なのはいいとして、なんだ突然。
はっ! まさかこれは、生徒会長との交友関係を深めるチャンスなんじゃ! ここで彼女のお願いを聞き入れることによって、今後のイベント進行に大きな変化が出るのか。会長ルートのフラグを立てたいのなら、ここは承諾するしか……。
……いかん、落ち着け。完全にエロゲ脳になってやがる。一時期のシュウの思考をトレースしてしまったみたいだ。ほんの数ヶ月前、某ライトノベルの影響で美少女ゲームに嵌まってしまったシュウと会話するのは、本当に大変だったんだから。
「お願いというのは、これです」
そう言って取り出したのは、俺が書いた調書とは別のものだった。つまり繚乱倶楽部側がまとめた調書である。この後、向こうにもサインを貰いに行くつもりだったのかな。
「繚乱倶楽部のサインを貰ってきてほしいのです。できれば調書をまとめた千石さんのものを」
「俺がですか?」
予想外の申し出に、変な声が出てしまった。
いやしかし、本当にどうして俺が?
「生徒会長が自分で行った方が、間違いなくて済むのでは?」
「あら、先輩をパシリ扱いするつもりですか?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
つーかそれ、あなたの仕事でしょうに。俺がパシらせているわけじゃない。
困惑したまま目を泳がせていると、珍しくクスッと笑った会長が「冗談ですよ」と囁いた。いやだから、あなたの冗談は分かりにくいんですってば。
「私は、できれば繚乱倶楽部の部室には行きたくない。それだけの話です。なので今までは副会長や書記の方にお願いしていました」
他の役員がいないからこそ、俺というわけか。
でも、やっぱりなぁ……。
「行きたくない理由を訊いてもいいですか?」
「訊くのは自由ですよ。私が答える保証はありませんけど」
つまり答えたくないのだろう。心なしか、先ほどよりも少しだけ言葉に棘がある。
ま、あまり詮索するのも野暮ってもんだろう。
「頼まれてくれませんか? 無償ではありますが、クエス……ボランティアだと思って」
今、クエストって言いそうだったよな?
「いいですけども……でも繚乱倶楽部の部室がある建物って、男子禁制じゃありませんでしたっけ?」
「いいえ、そんなことはありませんよ。ただ一般の方々が近づきづらい雰囲気があるのは確かですけどね。特に女子の部室なので、男子が寄り付かないのは当然です。なので野村君も、くれぐれも問題は起こさないようにしてください」
「起こしませんよ」
本気なのか冗談で言っているのか、会長の無表情では判断しづらい。
俺は深くため息を吐きながら首肯した。
「えぇ、分かりました。内容を確認してもらって、サイン貰うだけですよね?」
「ありがとうございます。もし千石さんがいないようでしたら、月曜日でも構いませんので。できれば土日に清書したいのですが、その場合は仕方がありません」
休日にも生徒会の仕事か。すごいな。
繚乱倶楽部側の調書を受け取ると、会長が踵を返した。二人だけのこの空間に名残惜しくある反面、妙な緊張感が解けて安心もする。たかだか会話するだけで緊張してしまうあたり、どうしようもなく小心者なんだよな、俺って。
「それではお願いしますね」
ほんのり笑みを浮かべて退室していく会長を目の保養にしながらも、俺はあのデカい縦ロールをまた拝まなきゃならないことに、多少の憂鬱を覚えていた。誰だって、自分を嫌っている人間に会いに行くのは億劫だろ?
その勘違いと、そして生徒会長の頼みごとを軽々しく承諾してしまったことが、後に訪れる事件に繋がるとも知らず、俺は重い足取りで繚乱倶楽部の部室へと向かった。
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