第5話 ラッキースケベは突然に
結論から言おう。俺は悪くない。単なる事故だったんだ。
六花廷に訴えられた男子は、みんな口をそろえてそう言う。確かに大半はお嬢様方の理不尽な主張ではある。けどぶっちゃけた話、裁判内容によっては、お前らの下心が招いた惨事だったんじゃねえの? とか思ってたりもした。
でも違う。彼らの弁明は、すべて事実だったのだ。
今日この日、ようやく俺にもその気持ちが分かった。
「うわー、けっこう降ってるな」
渡り廊下を通る際、ようやく現状を正しく把握できて気持ちが沈んだ。
曇天の空に、雨のカーテン。まさしく豪雨だ。すでに五時過ぎとあってか、視界はとても暗かった。一応傘は持ってきているものの、この雨の中を自転車で帰らなきゃならないのは、非常に憂鬱である。
地面を打つ雨音を呪いながら、俺は繚乱倶楽部の部室へと急いだ。
校舎を通って、渡り廊下を渡って、校舎を通って、渡り廊下を渡って……と、遠い。遠すぎる。いくら繚乱倶楽部と弁護団が対立する勢力だからって、敷地の正反対に拠点を構えなくてもいいだろうに。
六花総合学園の主な校舎は四棟あり、中庭を囲むように正方形を形作っている。校舎そのものは巨大というほどではないので、渡り廊下が異様に長いのだ。手入れされた中庭や豪華極まる庭園を、開放感あふれる中で鑑賞できることは清々しい気分になれるが、移動教室の際に毎回急がされるこちらの身にもなってほしい。
そんな今更な愚痴を心の中で呟いていると、ようやく目的の校舎に到着した。
「やっと着いたか。……つーか、すげぇな」
『六花繚乱倶楽部』と書かれたプレートの下は、立派な木彫の扉だった。しかも両開き。全開にすれば、三人くらいは余裕をもって同時に通行できる幅だ。一般教室の質の悪い引き戸と比べると、泣きたくなる待遇の違いだ。
異様に貫禄のある佇まいに出鼻を挫かれたが、こんな所で怯んでいても仕方がない。
意を決し、俺は金色のメッキが施されたドアノブに手をかけた。
しかし大事なことを忘れている。
「あ、危ねぇ」
まかり間違っても、ここは女子の部室なのだ。なんの合図もなしの特攻は、ただの変態と相違ない。お嬢様方の憩いの場とだけあって、さすがの俺も緊張しているな。焦らず落ち着いていれば、何事もうまくいくはずだ。
チャイムらしきものは……特にない。素手でノックする以外ないのか。
左右を見回し、廊下に誰もいないことを確認してから、俺は深く息を吸った。
「すみませーん、誰かいませんか?」
返事がない。屍になっていたら困るが。
さて、どうしたものか。ここで尻尾を巻いて帰るってのも一つの手だ。誰もいなかったと、生徒会長に報告すればそれで済む。もう五時を回っていることだし、会長もたぶん疑うことなく納得するだろう。サインは月曜日でもいいって言ってたし。
でも同時に、俺の中のプライドが逃走に歯止めをかける。
俺は高校生にもなって、お遣い一つもできないのか、と。
「開かなかったら……鍵が掛かっていたら諦めよう」
自分の中で引き際の分水嶺を決め、恐る恐るドアノブを押した。
開いた。開いてしまった。扉は開いたのに、退路は断たれてしまった気分だ。
「すみません。お邪魔します」
どうして小声なんだよ、俺。これじゃ、まるで空き巣だ。
開いた扉の隙間から中を覗いた俺は、それ以上に言葉を失ってしまった。圧倒されてしまっていたのだ。その室内の様子に。
初見、どこぞの高級ホテルのロビーかと思った。
まず驚いたのが、その面積だ。生徒会室並みの広さがある。つまり通常の教室二つ分以上。部室兼活動場所ならまだしも、たかが談話室にしては異常な広さだ。
しかも左右には木製の扉。さらに奥があるのだろうか。もしかしたらこのフロア全体を占めているのかもしれない。いや、天井も廊下と比べると二倍くらいの高さがあるため、上のフロアもぶち抜いているだろう。
次に目撃してしまったのが、天井に吊り下げられている立派なシャンデリア。俺的高級インテリア三種の神器の一つが、まさか高校の部室にあるとは思わなんだ。ちなみに残りの二つ、天蓋付きのベッドと動物の剥製はさすがにない。
そして幾何学模様の施された高級そうな絨毯に、何人もゆったりと座れる高級そうなソファが四つ。高級感あふれすぎだろ。とても高校生の部室とは思えないんだが。
「あれ? この部屋、どこかで見たことあるぞ」
考えるまでもなく、すぐに思い出せた。
中学生向けのパンフレットに写真があったはずだ。我が校にはこんな部屋もありますよーってな感じで。入学してみれば通常の教室は意外と普通だったし、いくら探しても見当たらないと思えば、あれは六花繚乱倶楽部の部室だったのか。なんか納得。
と、妙な違和感に気づいた。底知れない不安が、急に喉元をせり上がってくる。
何かが、おかしい。何かを、忘れてる?
豪華極まる部屋に唖然と見惚れていて、気づくのが遅れてしまった。
どうして誰もいないんだ? いや、どうして誰もいないのに鍵が開いていて、明かりが灯っているのだ? 答えは簡単だ。誰かいるのだ。俺の位置から見えない、どこかに。
そして気づいた時には、もう遅かった。
突然、雨が止んだ。いや、そう錯覚してしまっただけだ。校舎全体を襲う豪雨の音は未だ続いているし、俺の耳にもちゃんと届いている。ただほんの一部、身近なところで流れ落ちていた水が、急に止まったのだ。それはまるで水道から流れ出る水か……雨と勘違いしたのなら、シャワーとか……。
「はわぁ、さっぱりした。ジュースでも飲もーっと」
無意識のうちに音の消えた場所へと目を向けていた俺は、その肢体に釘付けになった。
横の扉から現れたのは、栗色が映える縦ロールお化け。普通の人が見たら興味を惹かれる髪形だが、クラスメイトである俺にとっては今更だった。それよりも、輝くほどの白い肌をついつい凝視してしまう。
一糸纏わぬ姿の、千石千代子に。
一番目につく髪形から視線を引きはがした俺は、これぞ男の悲しき性なのか、ほんの少しだけ目を伏せる。なだらかな胸元にはもちろん何もつけていないし、ショーツすらも穿いてはいなかった。つまり端的に言えば、ノーブラノーパンである。『パンツじゃないから恥ずかしくないもん』という格言は、この場合適用されるだろうか?
いやいや、何を言ってんだろうなぁ俺は。はっはっはっは。
思考停止中にもかかわらず、千石の裸をじっくりと堪能してから、ようやく俺は現実に還る決心ができた。もちろんこのまま気を失った方が楽ではあるが、思考と違って、人間の身体はそう簡単に機能を停止できないようだ。
焦点を頭まで戻し、真正面から千石の熱い視線を受け入れる。
おっと、一糸纏わぬ姿とは言ったけど、若干違っていたようだな。小さなバスタオルが首から掛けられている。髪からはわずかに水滴が滴っているし、頬がほのかに紅潮していることから、どうやらシャワーでも浴びていたのだろう。あぁ、なるほど。さっき止んだ雨は、やっぱりシャワーの水を止めた音だったのか。納得、納得。
「……え?」
ようやく千石は俺の存在に気づいたようだ。
目が合って数秒、やっとこさ声が出る。
「あ……いや、すまん……」
一応謝ってみる自分が滑稽だった。
「う……う……」
マジで爆発する五秒前。トマトのように赤く膨れ上がった顔が、今にも噴火しそうだ。身体から昇っている蒸気は、シャワーのお湯によるものだけではないに違いない。
「うううぅぅ……」
唇を尖らせた千石が、腹の底から呪詛のような唸り声を上げる。
と、大きな瞳にうっすらと涙を浮かべはじめた千石が、咄嗟に身をひるがえし、その場で蹲ってしまった。この状況で、千石の小ぶりなお尻に目が行く卑しい自分を呪いたい。さすがに本能よりも罪悪感が勝り、ようやく目を逸らすことができた。
しかしもう何もかもが遅い。
肩越しに振り向いた千石の、全身全霊を込めた悲鳴が学校中に轟いた後だった。
「訴えてやるんだからあああぁぁぁ!!」
こうして女子の部室へ無断で侵入、及びクラスメイトの裸体を目撃した罪により、俺こと野村は六花廷へ訴えられることになってしまった。ちなみに六花弁護団の団員が訴えられるのは、六花廷十年の歴史においても前代未聞なんだとか。
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