第20話 六花廷、開廷!4

 しばらくの間、その状況が続いた。次第に外野の声が大きくなってくる。


 中断なのか続行しているのか、無言の六花廷が無駄な時間を喰っていると、傍聴席の雑談に混じって不穏な会話が聞こえてきた。


「なんなのよ、あの女」「女性のくせに弁護団の肩を持つなんて、気持ちの悪い」「最初からルール違反してるというのに、なんてふてぶてしい態度なのでしょう」「発言の仕方も内容も、品が無くて吐き気がしますわ」


 室内が騒がしくなりつつあるのに、その囁きは妙に意識に浸透してきた。


 左右に首を振る。もちろん、俺の両隣にいるシュウと周防ではない。彼らも今の囁きが聞こえたようで、訝しむように眉を寄せていた。


 次に確認した生徒会長の顔も同じ様子だった。ただ彼女の表情は困惑のそれではなく、不機嫌というか不快というか、見たくもない物を不意に目にしてしまったような嫌悪感に溢れていた。


 そして会長の視線を辿り、俺は会話の出所を知った。

 繚乱倶楽部側、前線で戦うメンバーの、その後ろだ。


「みなさん、静粛に! お静かにお願いします!」


 生徒会長が慌てて卓上ベルを鳴らすものの、効果はない。元々静寂が長引いたせいで起こった喧噪だ。いくら会長が怒鳴ろうと、そう易々と止まるものではない。議会の進行を再開させられるのは、流れを塞き止めている千石だけだ。


 しかし当の本人は、未だ俯いたままで黙り込んでいる。

 騒がしさが止まぬ中、後ろに控えている繚乱倶楽部部員の陰口は続いた。


「千石さんの話によると、あの女、クラスメイトの男子を蠱惑しているんですって」「それ本当ですか? 何様のつもりよ」「奴隷のように扱って、不要となったらポイッ! らしいわ」「へー、恐いわねぇ」「厭らしい。何か危ない病気でも持っていそうね」

「そんな……私は……」


 呆然と立ち尽くしているシュウが、震えた声を漏らした。


 横を見れば、彼女はひどく動揺していた。怯えた瞳が濡れている。反論しようと口を開くも、なかなか声が出せない様子。お嬢様方の無神経な誹謗中傷は、シュウから言葉を奪ってしまうほど、深く深く心に突き刺さっていた。


 俺はいつかの帰り際に見た、シュウの笑顔を思い出していた。


 どんなに意気がろうと、シュウだって一人の女の子なんだ。大抵の悪口は屁とも思わないだろうが、女の子に対して超えてはいけないラインがある。それを奴らは軽々しく、しかも集団でよってたかって攻撃してきた。


 頭に血が昇ってくるのを自覚できた。

 顔面が熱くなる。視野も徐々に狭くなってきた。

 絶対に許さない。

 怒りで全身を震わせながら、俺は正面の下衆たちを睨みつけていた。


「この流れはマズイな」


 隣で久々に周防が喋った。


 俺にしか聞こえないくらいの小声だったが、俺自身、すでに余計な雑音は耳に入っていなかった。今の周防の言葉も、ただ音として拾っただけで、意味など理解していない。駆け巡る血液は、俺の頭の中の異物を完全に絞め出していた。


 そろそろ我慢の限界だ。

 未だ聞こえてくる奴らの陰口に耐え切れず、俺は両手で机を叩きつけて立ち上がった。


「いいかげんにしろ!」


 しかし俺の怒号は、ほぼ未遂で終わった。

 なぜなら、周防が俺の叫びを手で制したからだ。


「生徒会長。繚乱倶楽部へ質問する許可を頂きたい」


 いつの間にか、室内のざわめきが収まっていた。おそらく俺の一喝でみんなが雑談を止めたのだろう。静まり返ったその瞬間を狙って、最高のタイミングで周防が発言した形となった。


「どうぞ」と、やや安堵した会長が許可を下した。


「ありがとうございます。これまで静観してきて、どうしても気になったことがありました。そこで千石さんに確認したいことがあります」

「確認……ですか?」


 生徒会長がオウム返し、千石は唇を縫ったまま顔を上げた。


「はい。率直に訊きます。千石さんの裸体を目撃したのは、本当に野村君でしたか?」

「…………え?」


 キョトンとした千石の口から、拍子の抜けた声が漏れた。

 仲間であるはずの俺からしても、周防が何を言っているのかさっぱり分からなかった。


 さまざまな表情の変化を見せた千石だったが、結局理解できなかったようだ。眉を寄せて、ミジンコの動きでも観察するような瞳で周防を見つめ返す。


「どういう意味ですか?」

「確か千石さんは、目が悪いんですよね? 身体測定の資料があるわけではないので、正確な数値は分かりませんが。眼鏡やコンタクトはしたくないと友人に漏らしていたことも耳にしましたし、前回の席替えで黒板が見えにくいから前の方の席にしてくれと、担任に申し出ていたことも複数のクラスメイトが証言してくれました。貴女の髪形、授業中にゆらゆら揺れて気が散ると、後ろの席の生徒から不評でしたよ」


 盲点だった。目が悪いのなら、千石はあの一瞬で俺を見分けられるはずがない。

 しかし周防の主張は弱いし、なにより遅すぎた。


「私の視力が低いことは認めましょう。しかしクラスメイトを見間違うほどではないですし、あなた方は最初に認めているはずです。被告人Aが、六花繚乱倶楽部の部室にて千石千代子の裸体を目撃したと」

「被告人Aが野村君だなんて、誰も一言も言ってませんよ?」

「…………うん?」


 そうだったっけ?

 開廷してから、何度か自分の名前を耳にしたような気がする。それが被告人Aとして呼ばれたかどうかは……ダメだ、さすがに覚えていない。


「それにクラスメイトを見間違わないという発言も、看過できません。貴女の視界がどう見えているかなんて証明できませんし、裸を見られ気が動転していた貴女は勘違いをした可能性もあります」

「しかし生徒会長も証言したように、彼女は調書のサインを貰ってきてと野村君に頼んだはずです。時間的に考えても、彼が繚乱倶楽部へ来たと考えるのが一番自然です」

「残念ながら、野村君には繚乱倶楽部の部室へ行けない理由があるんですよ」

「行けない……理由?」

「ここに先週行われた六花廷の調書があります」


 周防は長机の下からA4の用紙を何枚か取り出した。

 野郎、俺のカバンを勝手に漁りやがったな。


「六花廷が行われたのは一週間前にもかかわらず、この調書には未だに千石さんのサインがありません」

「当たり前でしょう。事件があった時に悠長にサインなんてできるはずがないし、その後はお互い少し険悪なムードでしたからね。会話もあまりしていません。ですが、それと野村君が繚乱倶楽部へ行けない理由は、どう関係があるのですか?」

「彼が繚乱倶楽部へ行くことができない理由。それは……」


 と、千石の目を盗んで、周防が俺を一瞥した。

 特に感情の無い顔からは、様々な意図が感じ取れた。


「なぜなら彼は、六花繚乱倶楽部の部室の場所を知らないからです」

「…………はい?」


 室内が驚きの声に満ちた。その場にいる誰もが間抜けな声を上げるか、訝しんだ表情で周防を見つめている。当事者である俺自身も例外ではない。俺もまた、この場でただ一人真剣な面持ちで佇む友人を、奇異な物を見る目で眺めていた。


 雑音が自然に収まってくる頃、ようやく周防の発言の意味が理解できた。


 完全にブラフだ。『実は知っていた』と証明するのは、とても難しい。故に、俺が『知らなかった』と証言すれば、何らかの証拠を提示しない限り、繚乱倶楽部へ行くことができなくなる。


「でも、野村君は生徒会長から調書を受け取って……」

「えぇ。なのでそれは、彼のちょっとしたミスです。事件の一連の流れを話しましょう」


 そして周防は、デタラメな事実を淡々と語りだした。


「まず彼は、生徒会長から調書を受け取りサインをした。そこで彼女に、千石さんのサインを貰ってきてほしいと頼まれるわけです。彼は承諾した。しかし繚乱倶楽部へ向かう途中、とある重大な事実に気づきます。自分は繚乱倶楽部の部室の場所を知らない。生徒会長に教えてもらおうと思うも、自分に調書を託した彼女は何か急ぎの用事があったのでしょう。そう考えた野村君は、来週サインを貰おうと調書を持って帰った。同じクラスですからね。しかし月曜日に教室を訪れた彼は、驚きます。何故だか知らないが、自分が繚乱倶楽部を覗き見たという噂が広まっているではありませんか。もちろん冤罪です。弁明しようと試みた野村君でしたが、誤報はすでに自分の知らない人間にまで行き渡るほど。そこから情報を取り消すのは、ほぼ不可能です。そしてあれよあれよという間に、自分が覗き犯として六花廷にまで持ち込まれてしまった。というわけです」


 よくもまぁ、そんな作り話を一言も噛まずに言えたもんだな。


 だが効果は絶大だった。奴の話におかしな点はないし、非常に理論的である。被告人Aが俺である物的証拠を出さない限り、絶対に覆らなくなった。


 ただ周防の案を採用するなら、とある疑問が残ることになる。

 声を裏返しながら、千石はその疑問を周防にぶつけた。


「では……部室の入り口に立っていた、私が見た男子生徒は……いったい誰だったのでしょうか?」

「それは分かりません。もし繚乱倶楽部側がお望みなら、我々弁護団も、真犯人を捜しだすことに協力します」


 そう言って、周防は無人の被告人席を半眼で睨みつけた。

 そして「最後に……」と、彼は自分の主張を締めくくる。


「もう一度確認します。千石さんが目撃したのは、本当に野村君でしたか?」

「…………」

「有川さんも言っていたように、野村君に惚れている貴女は、もし覗き犯が彼だったらいいなと妄想し、勘違いしたのではないのですか?」


 とことん追いつめる。反撃の暇も与えないほどに。


 千石は再び俯き、下唇を噛みしめていた。机の上に乗せられた拳を強く握り、小刻みに震えている。醜態を晒して恥じているというよりは、思い通りに事が運ばず拗ねているよう。まるで欲しいお菓子を買ってもらえなくて、駄々をこねている子供のようだった。


 彼女の両隣にいる先輩方も、そんな千石の姿をただただ心配した様子で見守っているだけだった。周防の饒舌な弁論に言い返してもこない。おそらく疑い始めてしまっているのだ。千石が目撃した男子生徒は、本当に野村だったのかと。


 やがて千石の漏らす嗚咽が、俺の位置にまで届いてきた。

 そして彼女は、感情に任せただけの悲鳴を上げた。


「ば…………」

「ば?」

「バカあああああああぁぁぁぁぁーーーー!!」


 一瞬の出来事だった。


 室内中に轟く喚き声を上げた千石が、その瞳に涙を溜め、イノシシが如く猛進しながら生徒会室から飛び出して行ってしまった。


 唖然とした一同は、開け放たれた扉を眺めるばかり。誰も彼女を止めることなどできはしなかった。


「何でみんなと一緒に呆然と座ってるんだ。早く追いかけなよ」

「お、俺?」


 周防の暴論に、俺は戸惑いを隠せなかった。

 文句の一つでも言ってやろうか考えていると、今度は背後から発破をかけられた。


「早く行きなさいよ。野村君以外、誰がいるっていうの?」


 ……仕方がない。シュウの命令には逆らえないもんな。

 だからシュウ、座ったまま俺の背中を蹴るのは止めてくれ。パンツ見えてるぞ。


「分かったよ。行きゃいいんだろ、行きゃあ」


 渋々ながらも、俺は千石を連れ戻すために生徒会室を後にした。

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