第19話 六花廷、開廷!3

 指の腹が見えるほどピンと反らしたシュウの人差し指が、繚乱倶楽部を貫いた。


 長身のシュウが某裁判ゲームの決めポーズを真似ている姿は、本当に様になっていた。堂々とした姿勢も良ければ、勝ち誇ったように活き活きと浮かべる笑みも素晴らしい。


 そんな幼馴染の姿を真横で眺めていた俺は、改めて思った。

 やっぱりこいつは……カッコイイ!!


「なにか反論してくれると説明しやすいのですが」

「…………」


 嫌味たらしく挑発するシュウに対し、千石は口を噤んだままじっとこちらを睨みつけているだけだ。


 そして黙り込む彼女に同調しているのか、傍聴席も恐ろしく静かだった。まるで誰かの息を呑む音すら聞こえてきそうなほど。手に汗握る緊張感が、少し離れた俺の位置にもありありと伝わってきた。


 やがて壁掛け時計の秒針が十ほど数えた頃、ようやく千石が口を開いた。


「どうして私が自分自身で被告人に裸体を晒すようなマネを? 詳しい説明を求めます」

「その前に、千石さんが黒幕だという陰謀論に至った理由をお答えしましょう」


 シュウの挑発はまだまだ続く。

 露骨に質問を無視された千石のこめかみに、青白い血管が浮かんだ。


「疑問に思ったのは、事件当日、繚乱倶楽部の部室には誰もいなかったということです。とある部員から話を伺ったのですが、土日祝日以外は、ほぼ誰かしらがいらっしゃるようなので。……いえ、誰からお伺いしたのかはお答えしません。ご想像にお任せします。……現在の最終下校時刻は六時。そして事件が起こったのは五時過ぎ。全員が帰宅するには少しだけ早い時間のように思えます。なのに、当日は千石さんしか残っていなかった」

「そういう日もあるでしょう。偶然です。それともあなたは、誰もいない状況が故意に仕組まれたことだとでも仰るんですか?」

「そう言いたいのは山々ですが、証拠がありません。ですが千石さんは、あの日は自分以外の誰もいなかったと認めるのですね?」

「…………」


 沈黙は肯定の証だ。


「もう一つ。金曜日の放課後には、一部の繚乱倶楽部部員と生徒会役員の女子メンバーでお茶会を開いていたそうですね。こちらは本人たちにもお伺いしましたので、裏は取れています。仮定の話ですが、生徒会の女子メンバーが不在になると、被告人Aが繚乱倶楽部へ調書を持っていく可能性がぐっと上がりますよね?」

「言いがかりです!」


 吠えたのは花澤先輩だった。


「生徒会の皆さんとお茶をしに行くのは、その週の頭には約束していたことです! それに調書を被告人Aに預けたのは、生徒会長だと仰ったばかりじゃないですか! 私たち繚乱倶楽部が、被告人Aを意図的に部室へ来させることなどできるはずがない!」

「残念ながら、その通りです。部室が無人だったのも、生徒会役員を誘ってお茶をしたのも、陰謀論の理由にはなりません。証拠がありませんからね。偶然だと強く押し通されてしまったのなら、私は返す言葉もありません。つまりこれらは、ただの想像でした」

「あなたと言う人は……」


 チーン、チーン。と、卓上ベルの鐘が鳴る。

 見れば、生徒会長が険しい顔をしていた。


「花澤さん、抑えてください。そして有川さん、一度目の警告を言い渡します。これ以上証拠の無い空想を論じるのは禁止します。主張は自由ですが、その際には必ず証拠や証人を提示してください。次の警告で、退場していただきます」

「はい、申し訳ありませんでした」


 警告を受けることは想定の範囲内だが、少しだけ早すぎた。

 シュウの奴、やりすぎだ。


「では私の主張は一旦ここでやめて、繚乱倶楽部側にいくつか質問してもよろしいですか?」


 言い渡された警告も意に介さず、シュウは飄々とした態度で挙手をした。


 ため息を漏らした生徒会長が、繚乱倶楽部へ同意を求める。本来ならそのような意思の確認を取ることはないのだが、警告を与えた直後だからだろう。


「弁護団員が質問をするのは、権利によって保障されています。裁判長である私が独断で却下することはできませんし、繚乱倶楽部には答える義務があります。しかし有川さんはたった今、自らの主張を優先しすぎて警告を受けたばかりです。もし繚乱倶楽部が望むのなら、有川さんの質問を後回しにすることもできますが」

「いえ…………」


 低い声で唸った千石が、ツインドリルがわずかに揺れる程度に首を振った。


「質問には答えます。私は逃げません。真正面からぶつかってやる」


 最後の一言は小声だったが、一部の傍聴人には聞こえていたみたいだ。

 千石の強い意志に、何人かの傍聴人は心を奪われたようだった。


「分かりました。では有川さん、質問を許可します」

「ありがとうございます」


 一礼したシュウの顔に張り付いているのは、計画通りに事を進められた喜びだけではない。対等に、そして真剣に議論できることの高揚感が、心の底からありありと浮かび上がっていた。


「では質問いたします。事件当時、千石さんは本当にシャワーを浴びていたんですか?」

「どういう意味ですか?」

「被告人Aはシャワー室を覗いたわけではない。あくまでもシャワー室から出てきた千石さんの裸体を目撃しただけです。つまり本当にシャワーを浴びていたかどうかは、千石さん自身の証言でしかない」

「…………」


 再び黙り込んだ千石が、下唇を噛んだ。


 嘘をついているから反論できない、というわけではなさそうだ。ただ単に、今はまだ相手の意図を捉えきれず、出方を窺っている様子。


「まず最初に、千石さんはどうしてシャワーを浴びていたのでしょうか? 誰もいない部室に、たった一人で」

「部室に誰もいないことは知っていましたし、私もずっと居たわけではありません。あの日は大雨でした。少し濡れてしまいましたので、迎えが来るまでの間、部室のシャワーを借りようかと思っただけです」

「なるほど。では、どの程度濡れてしまったのでしょうか?」

「どの程度?」


 表現が難しいし、そんな疑問に何の関係があるのか。

 そう訝しがるように、千石は顔を歪めた。


「少しですよ、少し。ずぶ濡れではなかった、としか言いようがありません」

「分かりました」

「……こちらからも一つ、よろしいですか?」


 千石が静かに言う。

「どうぞ」と、生徒会長が発言を許可した。


「そろそろ着地点を決めましょう。こんなフワフワした議論では、いつまでたっても終わる気がしません。繚乱倶楽部は弁護団に対し、早急に結論を提示するよう要求します」

「安心してください。論点は何も変わっていません」

「と言いますと?」

「弁護団側は、千石千代子さんの陰謀論を強く推します」


 これには傍聴席からも失笑が漏れた。


 先ほど、まったく根拠の無い空想論を振りかざしたせいで、シュウはイエローカードを貰ってしまったのだ。それをさらに続ける。聴いているだけの人間からしたら、意味のある行為とは思えないだろう。


「早急にと言われましたので、弁護団は千石千代子陰謀説を前提とした核心を示します。シャワー室内にて全裸で待機していた千石さんは、被告人Aが繚乱倶楽部に入ってきたことを確認するやいなや、自らの裸体を晒すためにわざと部室の方へ飛び出した。以上、これが一連の流れです」


 弁護団の言い分を聞き終えた神崎先輩が、鼻で笑った。


「明確な証拠を提示できなければ、貴女は二枚目のイエローカードで退場することになりますね」

「証拠ならあります」

「――――っ!?」


 繚乱倶楽部のお嬢様一同が狼狽した。冷静沈着なシュウの態度にも、焦燥感に拍車を掛けたに違いない。最初から行われてきた夢や妄想の類と違って、シュウは短く、はっきりと宣言したのだ。証拠ならある、と。


「証拠があるというのなら……この場で提示をお願いいたします」


 千石の声が震えているのは、焦りか戸惑いか。

 どちらにせよ、この状況だけを切り取れば、明らかに彼女は追いこまれていた。

 そしてここからが弁護団にとっての正念場だ。シュウは一気に畳み掛ける。


「はい。しかし証拠を提示する前に、最後の質問です。千石さんは、どうして服も着ずにシャワー室から出てきたのですか?」

「それは……」

「こちらの中学生向けパンフレットにもあるよう、シャワー室には脱衣所も備え付けられています。部室内とはいえ、ここは学校です。一糸も纏わずにシャワー室から出歩くのは迂闊すぎますし、不自然です。それに被告人Aの目撃談では、千石さんの身体からは湯気が立ち昇っていたそうです。シャワーを浴びた後、全裸で部室内を歩き回るのは、繚乱倶楽部では日常茶飯事なのでしょうか?」

「…………」


 肯定はできないはず。もし認めてしまったら、一般生徒に印象付けてきたお嬢様の品格とやらが、一気に瓦解してしまうから。


「そしてもう一つ。千石さんは、間違いなくシャワーを浴びていたんですよね?」

「……先ほども、そう申し上げました」

「被告人Aの目撃談からしても、ほぼ確実です。ですが、彼はちょっとした違和感があったそうなんです。その違和感とは、頭です」


 シュウが、自分の頭を指で差して言った。


「千石さんの髪は、シャワーを浴びていたのにもかかわらず崩れていなかった。そのような複雑で繊細な髪形は、ちょっと水分を含んだだけでも重みで形が崩れるでしょう。なのに雨に濡れても、シャワーを浴びても、シャワー室の蒸気に触れても、その形を維持したままだった。これはどういうことなのでしょう?」

「……頭からお湯を被ったわけではありませんし、多少は崩れても自分で直せます」

「本当ですか? 毎日登校前に、一時間かけて専属メイクさんにセットしてもらっているのに?」


 あぁ、思い出した。そういえば、周防先輩が千石に訊ねてたな。

 反論の言葉を失くしても、シュウの追撃は止まない。


「髪形を崩さないようにシャワーを浴びていた理由について、私は一つの仮説を立てました。聴きたいですか?」

「……早く言いなさい」

「では。もし髪形を崩した場合、被告人Aが千石千代子だと認識できない可能性を、あなたは危惧した。違いますか?」


 再び廷内がざわつき始めた。


 確かにその通りだと、俺自身も思う。小顔の横で大きく主張するツインドリルがあったからこそ、俺は一瞬でそれが千石だと認識できたのだ。もしあのトレードマークが無ければ、瑞々しい肢体に見惚れ、女子生徒個人を特定できなかったはず。そして目撃してしまった裸体の少女が千石だと知ることになるのは、週が明けてからになっていただろう。


 もし千石が、千石千代子という女子生徒を強く印象付けたかったのだとしたら、ツインドリルは決して外せない。


「だから……」


 喉の奥から無理やり絞り出したような低い声が、千石の口から紡ぎ出された。


「だから私が被告人Aに裸を見せた理由を提示しなさいって言ってるでしょ!」


 ついに我慢の限界に達したのか。

 堰を切ったような千石のヒステリックに、廷内は一気に鎮まり返った。


「女の子が男に自分の裸を見せる理由なんて、一つしかありません」


 そして俺たちの切り札をここで切る。


「千石さん。あなた、野村君に惚れているんでしょ?」

「――――ッ!?」


 絶句した千石が、身体を硬直させた。


 生徒会室にいるすべての視線が今、千石に集まる。誰も何も言わない。身動きすらしないどころか、呼吸も忘れてしまったかのように、誰もが千石の答えを聞き逃すまいと聴覚に百パーセントの力を注ぎ込んでいた。


 静止してしまった時の中で、唯一動ける千石が俯いた。

 紅潮した頬に、ほんの一筋の涙を蓄えて。


「わ……私が野村君を好きという証拠がありません」

「いえ、あります」


 シュウが力強く反論した。


 残念ながら、俺が把握しているのはここまでだ。昨日の作戦会議では、ここから先の決定打がなかった。しかしシュウが言うには、すでにゴールが見えているという。俺にはてんでさっぱりだが。


 千石が俺に惚れている証拠。そんなものが存在するのか?

 何も知らないからこそ、俺は傍聴人と同じように首を傾げるしかなかった。


「証拠があるなら、今ここで示してください」


 と、生徒会長の冷静な指示が介入する。

 シュウは迷わず首肯した。


「はい。ですが私が証拠を持っているわけではありません。証拠を所持している人物を知っているだけです」

「それは誰でしょう」

「千石さん本人です」


 なんじゃそりゃ、当たり前じゃないか。


 千石が自分の気持ちを吐露すれば、確かにそれ以上の証拠はない。しかし嘘をつかれたらおしまいだ。だからこそ、シュウがここまで自信満々になっている理由が分からない。


 だがシュウの目論見は、俺や傍聴人たちが思っていることと少し違ったようだ。


「千石さん。被告人Aの有罪が確定した場合、あなたが彼に与えようとしていた罰則を、今この場で仰っていただいても構いませんか?」

「罰則? 千石さんが野村さんに惚れているという証拠に何か関係があるのでしょうか」

「大いにありますよ、生徒会長。その罰則の内容こそが、千石さんの気持ちを示す物的証拠です。おそらく彼女は、とある書類に被告人Aのサインを書かせるために一連の事件を計画した。と、私は考えます」

「サイン? 分かりました。有川さんの主張が正しければ、千石さんは何らかの書類を持っているはず。千石さんが書類を提示すれば有川さんの主張の証拠となり、できなければ再度証拠のない妄言をしたとして、貴女には二度目の警告を言い渡します。もちろんレッドカードで退場です。有川さん、それでよろしいですね?」

「はい、もちろんです」

「では罰則の内容が証拠となるのなら、繚乱倶楽部に命じます。今すぐ罰則の内容を提示してください」


 生徒会長の指示は絶対だ。拒めば、どんな公判内容であっても一気に不利になる。


 しかし千石は何も言わなかった。俯いたまま、ずっと机の上辺を見つめている。俺の位置からでは見えにくいが、先ほどの浮かべていた涙をきっかけに、もしかしたら泣き出しているのかもしれなかった。

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