第13話 彼女が戦う理由

 職員室に鍵を戻してから、俺たちはさっさと下校することにした。

 街灯の明かりだけが頼りの駐輪場で自転車を引き取り、シュウと並んで門を出る。

 その際、彼女は大声で叱責していたスマホを乱暴にしまった。


「ったく、水波先輩の存在は完全に想定外だったって!? 繚乱倶楽部の部員はちゃんと全員監視しとけって言ったのに。使えない奴らね」

「まぁ、いいじゃないか。そのおかげで有力な情報も手に入れたんだし」

「結果だけを論じても、進歩はできないわよ」


 ……それはお前が言えることなのか?


 とりあえず、シュウも腹の虫を治めてくれたようだ。根に持つタイプじゃないし、明日は全員金的くらいで許してもらえるだろう。


「さてと。それじゃあ、話をまとめましょうか」


 自転車を押しながら、国道沿いの歩道を歩く。

 多くのヘッドライトや飲食店の照明が照らす中、俺たちの議論は始まった。


「水波先輩の話から分かったのは、事件当日、繚乱倶楽部の一部のメンバーは生徒会役員とお茶をしていたこと。会長を除く六人と? 会長だけ仲間外れにして?」

「あー……会長が仲間外れってのは別に変じゃない。さっきも話したけど、会長は繚乱倶楽部と確執があるみたいでさ」

「生徒会長が野村君に調書のサインをお願いした理由よね」


 会長も、他の役員全員に用事があることを訝しんでいた。おそらく確執を知っていた役員たちが、気を遣って知らせなかったのだろう。


「あと、生徒会役員七人のうち二人は男だからな。用事があるないに関わらず、人数から除外してもいいと思う。会長一人、男二人が生徒会室に残っていたなら、女性である会長が繚乱倶楽部へ行くのが自然だし」

「そう? 最初から繚乱倶楽部へ行く気がなかったんなら、野村君より男の役員に頼む方が普通じゃない?」

「……あ」


 シュウに指摘されて、俺は間抜けな声を上げてしまった。


 確かにその通りだ。他の役員が残っていたんなら、わざわざ俺にお願いする必要性がない。じゃあ男子二人も不在だったってことなのか? 場合によっては、生徒会長がずいぶんと怪しく見えるんだけど。


 黙ったまま考え込んでいると、シュウが俺の顔を覗き込んできた。

 しかも不吉な笑みを貼りつけながら。


「はい、明日の宿題決定ね。放課後までにもう一度生徒会長と接触して、当日の生徒会役員たちの動向を調べなさい」

「……分かったよ」


 今日の不法侵入に比べたらお安い御用だ。


「というか、生徒会と繚乱倶楽部って放課後にお茶するほど親交があったんだな」

「別に不思議でもないでしょ。個人の交友関係なんて、他人が測れるものじゃないし」

「個人じゃなくて、組織同士の話だ」

「どっちが誘ったかによるわ」

「?」


 仲の良さに、どちらが先かなんてあるのか?


「洋菓子専門店のフィレンツェって、結構な高級店なのよ。とてもじゃないけど、普通の高校生が気軽に入れる店じゃないわ」

「全員がお嬢様の繚乱倶楽部と、ほとんどが一般生徒の生徒会。つまり誘ったのは……」

「繚乱倶楽部の方ね」


 生徒会と交友を深めたい繚乱倶楽部がお茶会を開いた、という図式か。


 ただ、これについては深く考えても仕方がないと思う。結局、事件当日の繚乱倶楽部の部室に人がいなかった可能性が高くなった、というだけの話だ。事件と直接関係があるとは思えない。


 あー、ダメだ。考えがまとまらん。

 有力な情報だと息巻いたが、結局は金曜日の放課後に生徒会役員が不在だった理由しか分からなかった。


「野村君、なんか諦めた顔してるね。私の方はいろいろ思いついちゃったけど」

「というと?」

「んふふ。考えがまとまるまで内緒♪」


 怖いなぁ、怖すぎる。

 こんな女と十六年も共にしている俺は、今さらながら自らのタフさに感動した。


「シャワーでも崩れなかった髪形。誰もいない繚乱倶楽部の部室。事件当日に限って、会長以外に用事があった生徒会役員。いいわねぇ、現場検証なんて一応程度だったのに、ずいぶんと証拠カードが増えたわ。これは明後日の六花廷が楽しみね」

「訴えられてる当人としては、胃がキリキリと痛んでるんだけどな」


 こんな状態で楽しめるはずもない。


「ちなみに千石が一人で部室にいた理由は分かったのか?」

「あのねぇ、野村君。もうそんなことはどうでもいいのよ」


 おっと、呆れられてしまった。失望の眼差しが痛い。


「すべては偶然なの。センセンちゃんが部室にいたのも、タイミングよく素っ裸で出てきたのも、他に誰もいなかったのも、事件当日に繚乱倶楽部のメンバーがお茶会を開いてたのも、全部ね」

「偶然で片付けちゃっていいのかよ」

「例えばさ、ミステリー小説の登場人物で嘘を付くのって誰だと思う?」


 ちょっと話がズレた気もしたが、思ったことを素直に答えた。


「そりゃ犯人だろ」

「そう。第一に『犯人』。第二に『犯人の共犯者』。最後に『事件を通して別の悪だくみが発覚しそうな人』ってのもあるけど、これはひとまず置いとくわ。それらを今回の事件に当てはめると、犯人は野村君で共犯者は私と周防君ってなるの」

「…………」


 面と向かって犯人と言われ、胸がズキッと痛んだ。

 事件を捜査しているから探偵役になった気分だったけど、そうだった。俺はただの加害者だった。


「えっと、つまり……?」

「簡単なこと。犯人でも共犯者でもない人たちは、嘘を付く必要がないってことよ。生徒会長が少し怪しいけど、出てきた情報はすべて真実だと思って構わない。だからこそ犯人側である私たちは、嘘で真実を塗りつぶす」

「それがお前が狙ってる陰謀論ってやつか」


 確か、事件の発端が千石に非があるように仕向ける作戦だった。


「そういうこと。だからもう真実がどうあれ関係ないの。私たちは嘘を付いて付いて付きまくるしかない。それで嘘を暴く証拠を繚乱倶楽部に提示されたら負け。できなければ私たちの勝ち」

「厳正な法廷の場で嘘なんて付いて大丈夫なのか?」

「じゃないと絶対に勝てないでしょ? それに六花廷は真実を語る場じゃない。如何にして生徒会や傍聴人を納得させられるかが大事なの。まだ理解してないの?」

「うーん……」


 そういえば先日も言われたっけな。六花廷では正論なんて通じない。周防先輩のアホみたいな発言の方が場をかき乱せて良かったって。


 真面目でお利口さんの俺には難易度の高い考え方だなぁ。


「ま、いいわ。一晩使って、六花廷の在り方を改めて考え直しなさい」


 国道沿いから逸れ、住宅街に足を踏み入れる。

 俺たちの家は、ここから別方向だ。


「明日は意見の出し合いと、さっき言った宿題も忘れないようにね。私たちが良い案を出せば、きっと周防君が素晴らしい解答へと導いてくれるわ」

「結局人頼みかよ」

「別にいいじゃん。繚乱倶楽部の奴らに一泡吹かせられるってんなら誰にだって頼るわ」


 握った拳を突き上げ、我が幼馴染は胸中の決意を高らかに表現した。

 押していた自転車に飛び乗り、シュウは「じゃあね」と言って自宅の方へ走り出す。


「おい!」


 彼女の背中が暗闇に呑み込まれる前に、俺は慌てて呼び止めた。


「どしたの?」

「一つ、訊きたいことがある」

「?」


 自転車に跨ったまま片足を地面に着いたシュウは、訝しげに首を傾げた。


「シュウ。どうしてお前は俺に協力してるんだ? 繚乱倶楽部の部室に忍び込む危険を冒してまで、そんなに六花廷で勝ちたいのか?」

「勝負に勝ちたいって気持ちは、当たり前のことだと思うけど?」

「そうじゃない」

「幼馴染が訴えられてるんだから、助けたいと思うのは普通じゃない?」

「そうでもない」


 俺が問いただしたいのは、一ヶ月前――入学当初から抱いていた疑問だ。


 シュウは俺に六花弁護団へ入れと強要した。男子しか入団できない部活のため、自分が外から協力をしたいがために、昔から愚弟のように扱っていた俺を代わりに入れたのは理解できる。けど、目的が分からない。


 シュウはどうして弁護団に入りたかったのだ?

 どうして繚乱倶楽部と争うのだ?


 六花繚乱倶楽部のお嬢様と対立するのはデメリットが大きいと、誰もが知っている。卒業後の進路ももちろんだが、それ以上に、教師やお嬢様に取り入ってもらおうとするクラスメイトから邪険に扱われることもある。


 俺とは違う。俺ら弁護団の男子は、お嬢様の鬱憤を晴らされるだけの、謂わばスケープゴートのようなものだ。六花廷は茶番だとみんな理解しているため、争っているというよりは一方的に苛められるだけの存在。故に誰かから疎まれるということもない。弁護に失敗した被告人以外には。


 シュウの意気込みは、誰からの批判にも負けないという熱い決意が感じられた。しかも彼女は勝ちに行こうとする。どう足掻いても減刑すら難しいこの状況を諦めず、ただひたすら突っ走って。


 なんの目的があって、その熱意は持続するのか。

 俺が黙ったままでいると、シュウが自転車から降りた。

 その顔は無表情で、しかしその中に憤りと寂しさが感じ取れた。


「嫌いだからよ」


 俯いたシュウが小声で呟いた。


「私はお嬢様という人種が嫌い」


 さらに口調を強く、憎しみを込めて吐き捨てるように言った。


 気持ちは分かる。自尊心の塊のようなお嬢様の態度を不快に思っている生徒は、少なからずいる。ただ学園生活を円滑に過ごしたいから、嫌な顔を表に出さないだけであって。


「野村君はさ、お父さんたちの会社があまりうまくいっていないの、知ってる?」

「親父たちの? ……あぁ。少し前、業績がどうのこうのって嘆いてたな」


 俺たち二人の父親が立ち上げた会社が、現在どういった経営状態なのか詳しくは知らない。親父とシュウの言葉から、火の車だってことがなんとなく想像できるくらいだ。


「まさかシュウ、相手がお金持ちだから妬ましいって言うんじゃないだろうな?」

「言わないよ、そんなこと。別にお金持ちが嫌いなわけじゃない。お父さんたちだって、運が悪かったり実力が足りなかっただけ。成功した人たちは、その逆でしょ? たとえ悪いことして儲けたお金でも、悪いことをした努力が報われた結果だって、私は思ってる」


 うーん……それはどうだろ。個人の考え方の違いかな。


「でもお嬢様を気取ってる奴らは違う。あいつらはお金持ちの家に生まれてきただけ。親からもらったお金で豪遊してるだけ。自分で稼いだわけでもないお金を、我が物顔で使ってるのが気に食わないの。そりゃ可愛い娘や孫に喜んでほしいっていう親族の気持ちも、消費の行為としてなら納得する。でも、自分の物でもない権力を振りかざして同じクラスメイトを虐げるのは、やっぱりおかしい」


 だから許さない。

 まるで親の仇の顔でも思い浮かべているかのように、シュウは牙を剥いた。


 自分も社長の娘だからこそ、シュウはより頑なにお嬢様を否定する。努力してきた父親が、報われない姿を見てきているから。同じく努力をしてきた成功者ならともかく、ただ富豪の元に生まれただけの子供に、嘲笑われているような気がしているから。


「どう、分かった? 呆れちゃうくらいただの私怨でしょ。しかも相手からしたら、まったく身に覚えのないレベルの。だから私は、堂々と対立できる六花廷を利用した。お嬢様にぎゃふんと言わせるために」

「……そうだな。とても自己中では収まらないくらいの私怨だな」

「だから野村君。六花弁護団、抜けてもいいよ」

「え?」


 唐突で、しかも予想外の言葉。

 星を見上げたシュウが、普段とは比べ物にならない弱々しい声を漏らす。


「思えば、昔から野村君のことたくさん苛めてたね。私は楽しくてやってたんだけど、野村君は嫌だったでしょ?」


 こいつは突然なにを言い出してるんだ?


「嫌なこともあったし、そうじゃないこともあった。だけどガキの遊びだろ? 別に俺の方も根に持ったりしてないよ」

「そう? ま、どちらにせよ、これからも野村君を苛めることはやめないけど」


 いや、そこはやめてくれ。俺たちももう、いい大人なんだからさ。


「でも弁護団に無理やり入れたことは、いつもの苛めとはちょっと違うなって思った。だって二年も三年も続くでしょ。その場限りの遊びじゃない。しかも高校生っていう、大切な青春時代を無駄にして。私としても、野村君の嫌がることで長々と拘束したくないの。むしろ、一ヶ月も付き合ってくれてありがとね」


 淡い月明かりに照らされたシュウの顔は、とても儚げだった。

 俺は……恥ずかしながら、言葉に詰まってしまう。気の利いた言葉なんて言えないし、なによりシュウの変わりように戸惑っていた。


 無遠慮に俺を振り回す、男勝りな幼馴染だったのに。

 心も体も、いつの間にか女の子になっていた。


 いつも側にいたのに、彼女の変化に気づくことができなかった自分が嘆かわしい。もうちょっとしっかりシュウを見ててやれば、もっと違う振る舞い方ができたかもしれないというのに。


「俺は、違うぞ」


 女の子を慰める言葉なんて知らない俺は、自分の気持ちをぶつけるしかなかった。


「そりゃ最初は嫌々だったさ。なんでこんな面倒くさそうな部活に入らなきゃいけないんだって、四六時中愚痴ってた。でも今は違う。今は俺もそこそこ楽しんで六花廷に臨んでるんだよ。周防って友達もできたし、六花廷に絡んでいるお前は活き活きとしてて見てて楽しいしな」

「可愛い女子生徒と存分に言い争えるからもでしょ?」

「それは、まぁ……」


 否定できないかな。

 今さらでもないが、繚乱倶楽部のお嬢様方の容姿レベルは突き抜けて高い。天は二物を与えないという言葉が、金の力でねじ伏せられてしまったかのように。


 俺が言葉に詰まっていると、シュウがクスクスと笑いやがった。

 揶揄われたことで、体温が徐々に高まっていく。


「だから助けてくれ!」


 こうなりゃやけっぱちだ。なんぼでも恥を上塗りしてやる。

 俺の唐突な叫び声にもシュウは驚いた様子はなく、きょとんとした顔でこちらを見つめていた。


「今回訴えられてるのは俺だからな。お前の助けがなきゃ、確実に敗訴しちまう。だからシュウ、俺を助けてくれ」


 なんだか告白みたいになってしまった。ここらが羞恥心の限界だったようで、俺は思わず俯いてしまう。


 すると顔を見てすらいないのに、彼女が微笑んだことが手に取るように分かった。


「うん。もちろん、助けるよ」


 再び自転車に跨り、帰宅するシュウの背中を見送る。

 その後ろ姿は、俺が十年以上も追いかけてきた頼もしい背中ではない。たった一人の普通の女の子のようだと、俺は思った。

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