第20話 カオス

(一体何と形容すればいいんでしょう、私のこの感情を……)


 私はパンづくり教室の会場に設けられた椅子に座りながら、頬杖をついていた。

 会場には机が八つあって、それぞれに五つの椅子が用意されている。もう殆どの椅子は埋まっているようだったが、私たちのところの椅子はまだ二つ空いていた。

 私の側で、リリアンとコハナさんが雑談に花を咲かせている。


「へええ! コハナさんって、そんなに沢山の種類のパスタをつくれるんですね……! すごすぎる、食べてみたくなっちゃいます!」

「ふふっ、どうもありがとう、リリアンちゃん。主婦をやっていると、料理する機会も多いのよね」

「いやいや、それにしても沢山ですよっ! いいなあ、美味しそう……!」


(美味しいご飯を食べることを生き甲斐にしているのは、相変わらずリリアンって感じですね……)


 両頬に手を添えて笑っているリリアンに、私はそんな感想を覚える。


(……というか、あああ、再会できた嬉しさとか、死んだことで悲しませてしまった申し訳なさとか、突如として現れた驚きとか……色んな気持ちがぐるぐる混ざり合って、謎の感情が生まれていますがッ! どうしたらいいんですか、私は〜……)


 私は、こっそり途方に暮れる。


(まあでも、自分が元ティアラであることを明かすと、話がだいぶややこしくなりそうですし……取り敢えず隠す方針で進めましょう、うん)


 心の中で頷く私へ、リリアンが「ねえねえ、マルハナちゃんはさ」と声を掛けてくる。


「一番好きな食べ物、なあに?」

「ああ、魚の煮……じゃなくて、えーと、うーんと……ド、ドーナッツがすきです!」


(危ねえッ! 早速、ティアラ時代の一番好きな食べ物「魚の煮付け」を口にしかけましたよ〜! これ、散々渋いとか珍しいとか言われましたし、何より魚の煮付けが好きな幼女なんて聞いたことねえ……)


 冷や汗をかいている私に、リリアンは「おおお、ドーナッツ! いいよねえ、美味しいよねえ」と両頬に手を添えつつ蕩けた笑顔を浮かべている。相変わらずの食べ物愛だ。


「ちなみに、パンづくり教室に来たということは、パンも好きなのかな?」

「う、うん。マルハナ、パンもすきです!」

「へええ! そうしたらさ、一番好きなパンはなあに?」

「魚の煮付けパ……じゃなくて、うーんと、えーと……メ、メロンパンがすきです!」


(あっっっぶねえッ! ティアラ時代にトロスがつくってくれた、「魚の煮付けパン」を口にしかけましたよ〜! そういえばトロスは完全にネタでつくったみたいで、美味しい美味しいって涙を流しながら食べる私にドン引いてましたね……)


 遠い目をする私に、リリアンは「メロンパンっ! 美味しいよねえっ! あのあみあみなビジュアルも可愛すぎるよねえ〜!」と両手を組み合わせてうっとりしている。相変わらずテンションが高い。


「ちなみにわたしはね、一番好きな食べ物はケーキと天丼と唐揚げ、一番好きなパンはチョココロネとクリームパンとカレーパン!」

「いちばんなのに、みっつずつありますよ!?」

「はっ、確かに! でも、ここから絞るなんてできないよう……だってどれも、最高に美味しいんだもん……」


 目を閉じて身体をかき抱くリリアンに、私は「さ、さいですか……」と頷いた。


 そのとき、「おい」という言葉が聞こえた。

 誰だろうと思って声のした方を見てみると、私たちがいる机の側に、一人の少年と一人の少女が立っていた。


 少年の方は、私と同じくらいの歳の頃に見える。

 ショートカットに整えられた銀色の髪と、濃いグレーの瞳を持っていた。

 顔立ちはとても整っているのだが、浮かべている表情はどこか不貞腐れている感じだ。


 少女の方は、恐らく十代後半くらいの歳の頃。

 重たい印象を受ける黒の長髪と、髪と同じ色合いの瞳。掛けている眼鏡の縁も黒い。

 そして、身に付けているのは丈の長いメイド服。こちらも黒を基調とした色合いで、何というか全体的に黒かった。


「はい、何でしょうか! あっ、もしかして、お二人もパンづくり教室に参加されるんですか?」


 私たちを代表して、リリアンがにこにこしながら受け答えする。

 少年は、「そうだが?」と腕を組んだ。


「このぼく、シャダーリアこうしゃくけのこうしゃくしそく、テレザ=シャダーリアさまが、きさまらしょみんにまざって、パンをつくってやるというのだ! ひれふして、かんしゃするといい!」


(おおお、やべえおぼっちゃまが来ましたよ〜……)


 私は思わず彼のことをジト目で見てしまう。


 リリアンに視線を移すと、彼女は「ははあ、ひれ伏しますっ!」と頭を下げていた。相変わらずノリがいい。


「そうだ、ひれふすのだ! おい、そこのようじょも!」

「マ、マルハナも!?」

「そうだ。ぼくに、ひれふすがいい!」


(うげげ……というかメイド、ちょっとはおぼっちゃまを制御してくださいよ〜……)


 そう思ってメイドの方を見ると――彼女は何と、どこからか取り出した糸でをしていた。


「いや何故あやとり!?」


 素でツッコんだ私に、メイドはゆっくりと私の方を見て、そっと口を開いた。


「…………手が、物寂しかったからっす」


 そう言ってメイドは、またあやとりを始める。

 その隣で少年――テレザくんは、「はやくひれふすのだ、ようじょ!」と手をバタバタさせていて。

 リリアンは、「ところでテレザくん、一番好きな食べ物は?」とか聞き始めて。


(もう、収集がつかないですが〜!?)


 私は心の中で全てを投げ出した。


 そのとき、大きな声が部屋に響く。


「皆さん、こんにちはー! 本日は超簡単・にこにこふっくらパンづくり教室にお越しいただき、誠にありがとうございます!」


 どうやら、先生が到着したようだった。

 テレザくんが渋々といった様子でリリアンの隣の椅子に座り、さらにその隣の椅子にあやとりメイドが腰掛ける。


(ああ、先生……こちらこそ誠にありがとうございます……)


 最高の助け舟に、私は微笑むことしかできなかった。

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