第16話 兄妹

 編まれた真っ白の髪を淡く揺らしながら、女性が一人暮らしの自宅へと帰ってくる。

 彼女は鞄を投げるように置くと、ぼふっとベッドにもたれこんだ。

 枕に顔を埋めながら、だらりと手足を伸ばす。


「あああ…………疲れた…………」


 それもそのはずだろう。

 彼女はライミルイアという町の冒険者ギルドで受付嬢として働いているのだが、ずっと立っていなくてはいけないし、冒険者や依頼者からクレームが来るのも日常茶飯事だし、別の受付嬢の愚痴にも構ってあげなくてはならないし、とにかく疲労の溜まる仕事なのだ。


「どうしてわたしが、パーティー内の喧嘩の仲裁をしなければならないんだ…………」


 女性は、至極もっともな疑問を口にする。

 それからばっと枕から顔を上げて、「こんなときは!」と大きな声で言った。


「推しに、連絡をするしかないな!」


 女性は枕元の通信石――魔法が掛かっており、遠くにいる人とも会話することが可能――をばっと手に取ると、の元へと繋げる。

 少しして、目的の人物から応答があった。



『…………もしもし。マユキですか?』



 どこか低温な、透き通った声だった。

 女性――マユキは、口元を緩める。


「兄上、お声を聞けて嬉しい! 仕事をしているときも、兄上の声が聞きたくて堪らなかったんだ!」

『昨日も一昨日もその前の日も、こうして話しているような気がしますが……』

「細かいことは何でもいいだろう! 兄上ー、今日も超絶かっこいいな!」

『通信石では、見た目までわからないと思うのですが……』


 マユキは「わたしにはわかるんだー」と蕩けた声で言う。

 そう――彼女の推しは、実の兄だった。


「さあ兄上、今日どんなことがあったかをぜひわたしに教えてくれ! わくわくっ」

『貴女はいつもそれを聞きたがりますよね……ああ、そういえば今日、一つ不思議なことがありましたよ』

「不思議なことー!? 何だ何だ!? まさか、お化けか!?」

『……確かに、あれはお化けの仕業だったのかもしれませんね』


 通信石越しに、くすりという笑い声が届く。


『実は今日……アリティネジ医院に、突然人が現れたのです。彼が言うには、ルンフェルエン雪原にて魔物と戦いお腹に重傷を負って、もう助からないかと思っていたところを、何者かによって救われたとのことで。お腹の傷は恐ろしいほど綺麗に塞がっていました』

「ええっ……何者かって、どういう人だったんだ?」

『それが、意識がぼんやりとしていて余りわからなかったそうなのです。わかっていることは、声質が確か女性だったということと、お礼として持って行かれたものがコートに付いていた二つのボタンだったということ。そのため彼は、「ボタンの女神」のお陰だとと涙ぐみながら語っていました』

「ボタンの女神……何だか可愛らしい神様だな。あ、そういえば、ルンフェルエン雪原で一つ思い出したぞ、兄上!」

『何でしょう?』


 マユキは、勢いよく話を続ける。


「今日、ギルドに幼い女の子が来たんだ。依頼を見せてほしいと言うから見せてあげたら、氷歌の宝石ミュリーシャートがそこら辺に落ちていないか探してくるって言い出して。ルンフェルエン雪原でしか取れないはずだから絶対に無理だと思っていたんだが、その子、本当に氷歌の宝石ミュリーシャートを持って帰ってきたんだ! なんと、その辺に堂々と落ちていたらしい」

『ええ……氷歌の宝石ミュリーシャートがですか? それは不思議ですね……他の冒険者が落としたものではないのですか?』

「落とし物に関する相談はギルドに来るはずだが、確認してみても特にそういう話はなかったんだ……あんな幼い子がルンフェルエン雪原に行ける訳がないし、もしかしたらそのボタンの女神とやらの落とし物かもしれないな!」

『ふふ、そうかもしれませんね』


 聞こえてきた兄の笑い声に、マユキは少しばかり目を見張って、それから優しい表情を浮かべる。


「…………兄上が最近、元気そうでよかった」

『え……急にどうしたのですか、マユキ?』

「だって、ほら……ティアラさんが亡くなってから、兄上は長い間、元気がなかったから」


 少しの時間、二人の間を沈黙が満たす。

 それから、『……そうですね』と寂しげな声が聞こえた。


『あれからもう、五年ほどが経って。ようやく自分の中で、整理することができてきたのです。……時間が掛かりすぎですよね』

「そんなことないっ……! だって、兄上は、ティアラさんのことが…………」

『ありがとうございます、マユキ。大丈夫ですよ。停滞してばかりいても、天国のティアラさんにきっと笑われてしまうって、わかっていますから」


 通信石から、でも、という言葉が響く。


『それでもたまに、考えてしまうことはあります……今も隣に、ティアラさんがいてくれたら、なんて。……馬鹿だなって、自分でも思うのですけれど』


 悲しさが滲んだ声音だった。

 マユキは、そっと頷いた。

 彼女はティアラに実際に会ったことはなかったけれど、兄の語るその人との思い出は、いつも煌めいていて。

 最愛の兄に、最愛の人と幸せになってほしかった。



「…………兄上は馬鹿じゃない」



 紡いだ言葉に、少し経ってから『……マユキは相変わらず、優しいですね』という儚げな声が返ってきた。

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