閑話 悪夢

「おいガキ、聞いてんのか? おーい!」


 年端もいかない赤毛の少女の声が、腐臭に満ちた路地の中心に、甲高く響く。

 視線の先には、少女と同じ年頃の少年がいた。


「アイソ無いなー。まあいいや……あたしの飯盗んだ罰だ! 子分になれ!」

「……ここ、くいもの、ない。ぬすむ、えらい」

「チッチッチ、分かってねえなー。そりゃ貧民の言い分とやり方だぜ? 這い上がるには、それじゃあダメダメなのさ。真っ当な言い分とやり方で堂々としてねえとな」

「?」


 少女が人差し指を立てながら得意げに語るが、少年は訳がわからないといった様子で首を傾げる。


「カーッ、ダメだこりゃ……よしっ、やっぱアンタ、あたしの子分になれ!」

「こぶん……?」

「生き方を教えてやるってことさ。感謝しな!」


 そう言って、少女は手を差し出す。

 少年は、戸惑いながらも、その手を取った。


「よしっ、決まりだ! あたしは……いや、やっぱ、アンタから名乗れ! 親分から名乗んのはなんか変だ」

「……」

「何黙ってんだ? ほれ、早く」

「なまえ、ない」


 少女の手を軽く握りながら、少年は呟く。

 それを聞いて、少女は意外そうに目を丸くした。

 それから、少しの間顎に手を当てて考え込むと、ニッと歯を見せて笑う。


「じゃあアンタは、今日からケイだ!」

「?」

「名前さ、アンタの名前。カッコいいだろ?」

「けい、なまえ」


 少女に名前をつけられた少年が、確かめるように名前を呟く。

 そんな少年の様子を見て、少女はまたも楽しそうに笑った。


「ははっ、じゃあ今度はあたしの番だな。親分の名前だ。ぜってえに、忘れんじゃねえぞ? あたしは──」



◇ ◇ ◇



「おい……おい!」


 数年の月日を経て、少し体の大きくなったケイの声が響く。


「へへっ、なんてツラしてんのさ。ケイ」

「だって、お前……! 何でこんなとこにいんだ!? 貴族に買われて嫁入りするって……それに何だよ! その怪我!!」


 ぐちゃぐちゃに折り曲げられた手足、痣や傷跡の残る顔、そして痩せ細った体。

 みすぼらしいながらも、快活だったかつての少女の面影はまるで無い。


「……い、いろ、いろ、あって……捨てられたんだ。は、はは。嵌められたな」


 喉が潰れているのか、掠れた声で、少女は告げる。

 ケイは言葉を失ったまま、少女をじっと見つめた。


「なあ……ケイ」

「な、なんだ?」

「あたし、幸せだったよ。……少しだけ夢見れた」


 少女は、ゆっくりとケイの頰に手を伸ばし、優しく撫でる。


「だから復讐なんて、すんな。

 お貴族様のこと、嫌いでも、恨んでもいいけど、絶対やり返すな。あたしなんて忘れて……幸せになれ」


 そう言って微笑むと、少女の身体から力が抜けていく。

 そんな少女を目の前にして、ケイは何も言えずただ立ち尽くし──



◇ ◇ ◇



「……チッ」


 ケイは、寝汗でびしょ濡れになった額を乱暴に拭うと、勢いよく起き上がった。


「久々にめんどくせえ事思い出した……人様のこと呪うもんじゃねえな」


 ケイは額に手を当てながら、チラリと窓を見る。

 既に、東の空が徐々に白み始めていた。

 新しい朝が、ケイの心を、容赦なく現実へと引き戻していく。


「……俺は、何がしたいんだろうな」


 ケイは、そう呟くと、ゆっくりと立ち上がり、入学式の準備を始めた。

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