第5話 母


 街の喧騒から離れ、魔導車は、緑豊かな森の中へと入っていく。

 高くそびえる木々に遮られ、木漏れ日が差し込む静かな道。

 ルクスは、窓の外を流れる景色を眺めながら、これから会うことになる母について考えていた。


(母か……)


 母は、ルクスが生まれて間もなく、重い病を患い、屋敷から離れた別館で療養生活を送ることになった。

 そのため、ルクスには、母の記憶はほとんどない。

 ほんのわずかに残っているのは、抱き上げられた時の柔らかな温もりと、優しい声などの断片的なものだけだ。


(しかし……ゴルディオくらい高圧的ならやりやすいが、まともに"親"として対応されると、接し方が分からん)


 ルクスが、マギアとして名を馳せていた神代は、力こそが全ての世界。

 家族という概念すら希薄であり、家族と呼べたのは気まぐれで育てた弟子のシャイナくらいのものだ。

 親からの愛情などは知らないので、それを受けたときどう対応すれば良いのか分からないのである。

 

「到着したぞ! ルクスよ!」

「ん……あれですか」

「ふはは! 美しいだろう!」


 ルクスが、母について考えているうちに、魔導車は森を抜け、広々とした庭園の前に到着した。


 庭園の奥には、白亜の壁と、淡いピンク色の屋根を持つ美しい平屋建ての建物がある。

 エルフィンストン邸とはまた違った、優美さと穏やかさを兼ね備えた建物だ。


「母上! 私アルト! ただいま参りました!」


 アルトが、魔導車を降りるや否や、屋敷に駆けていき、屋敷の扉に向けて大きな声で告げる。

 屋敷の中から車椅子の車輪が軋む音が聞こえてきた。

 そして、従者に付き添われながら、1人の女性がゆっくりと姿を現す。


「あら、アルトったら、そんなに大きな声を出して……でも、会えて嬉しいわ。

……そっちはルクスね? あと、エマさんだったかしら?」

「え……」

「ご無沙汰しております。奥様」


 柔らかな物腰でありながら、どこか凛とした雰囲気を感じさせる女性。

 ルクスたちの母、キレア・エルフィンストンだった。


 キレアは、淡い藤色のワンピースを身にまとい、その手にはレースの手袋をしている。

 顔には、薄化粧が施され、年齢よりも若々しく見えた。

 左目は眼帯で覆われており、右目も僅かに開いているだけで、その視線はルクスたちをとらえていないようにも見える。


「分かる、のですか? お会いするのは赤子の頃以来だと聞いていおりますが。それに……その」

「ええ、そうね。会うのは久しぶりだし、目は良く見えないけれど……それでも、最愛の息子ぐらいは分かるわよ。大きくなったわね?」


 キレアは、ルクスの言葉に優しく微笑みかけると、両手を広げた。

 ルクスは、一瞬戸惑ったが、恐る恐るキレアに近づくと、その腕の中に抱きしめられた。


「……っ」


 ルクスは、予想外のことに、小さく息を呑んだ。

 キレアの体は、想像していたよりもずっと細く、そして温かかった。

 ルクスは、生きてきた長い年月の中で、一度も感じたことのない、不思議な安堵感に包まれる。


(なんだ……今の感覚は)


「さあ、みんな、どうぞ。美味しい紅茶を用意してあるわ。お菓子は……買ってきてくれたんでしょう? アルト」

「! はい! 僭越ながら、このアルト! セレナーデにて、選りすぐりの品を買ってまいりました!」

「ふふふ、流石。私の好みをよく分かってるわね。じゃあ、着いてきて」


 キレアは、アルトの言葉に嬉しそうに微笑むと、使用人に促されるまま、車椅子で屋敷の中へと入っていった。

 ルクスとアルト、エマも、その後ろに続いていく。


 屋敷の中は、別館というにはもったいないほど、豪華で広々としていた。

 高い天井からは、シャンデリアが煌びやかに輝き、壁には高価そうな絵画が飾られている。

 しかし、どこか他の豪邸とは違う、温かみが感じられた。


 恐らく、キレアの趣味なのだろう。

 屋敷のあちこちに、色鮮やかな花が飾られ、柔らかな日差しが差し込む窓際には、緑の葉を茂らせた観葉植物が置かれている。

 殺風景になりがちな豪邸に、花や緑が彩りを添え、穏やかで優しい雰囲気を作り出していた。


「こちらのお部屋になります」


 使用人に案内されたのは、暖炉のある広々としたリビングだった。

 大きな窓からは、庭園の美しい景色が一望できる。


「どうぞ、座って。あ、エマさんもよ? 従者だからって遠慮しないで。お客さんなんだから」

「それでは、遠慮なく」


 エマは、キレアの言葉に軽く頭を下げると、アルトとルクスが腰掛けた後に、ルクスの横に、控えるようにして座った。


 少ししてから、使用人たちが、紅茶や菓子を運んでくると、キレアは楽しそうにアルトに話しかけた。


「そうだアルト、聞いたわ。来月からアカデミーに通うんだって?」

「はい! 入学試験も無事突破しまして、来月から晴れて王立魔術アカデミーの生徒です!」


アルトは、キレアの言葉に、誇らしげに胸を張って答えた。

その様子は、まるで自分のことのように嬉しそうだ。


「まあ、さすがは私の息子ね。誇らしい限り。でも、あまり無理はしちゃダメよ?」

「もちろんでございます! しかし、母上。僕は、必ず優秀な魔術師になってみせます。

 そして……いつか、母上の病を癒してみせます!」


 アルトは、キレアの目を真っ直ぐ見据えて宣言する。

 その瞳には、絶対に成し遂げるという強い

決意が宿っている。


(こいつ……!)


 ルクスは、アルトの言葉に、少しだけ驚いた表情を見せる。

 神代では、魔術は戦いの為だけの道具だった。その認識は、魔術で豊かになっている街並みをみても変わってはいなかった。

 だからこそ、アルトが人を治すことを魔術師としての最終目標に据えていることに驚いたのだ。

 

「あらあら、アルトったら。でも、すごく嬉しいわ……そうね……そうなるといいわね。

 ルクスは? ルクスもアカデミーに興味はあるの? あと2年よね?」


 キレアは、照れくさそうに頬を赤らめながらも、アルトの言葉を嬉しそうに受け止める。

 そして、ルクスにも視線を向けて、優しく問いかけてきた。


「はい。当然です」


 ルクスは、キレアの問いかけに、迷うことなく答えた。

 カレンとの約束がある。アカデミーには必ず行かなければならない。


「そう……頑張ってね? 遊びにきたら、いろいろ手助けはしてあげられるから」

「いつでも来ていいのですか?」

「もちろんよ。……さ、お堅い話はここまでにして、あとはお茶しながら楽しく話しましょ?」


 キレアは、ルクスたちの言葉に、目を細めて微笑むと、紅茶の入ったティーカップに手を伸ばした。

 その優しい笑顔は、病に蝕まれた影のない、我が子の成長を心から喜ぶ、1人の母親の顔だった。

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