第1章 幼少編
第1話 落ちこぼれ
ルクスが生を受けてから、早くも5年の月日が経った。
転生直後は、右も左も分からず、ただただ赤子として過ごすだけだったが、言葉を覚え、 周囲の状況を理解していくうちに、ルクスは自分がとんでもない時代に転生してしまったことに気がついた。
屋敷では、当然のように無詠唱で魔術を使い、それを作業に活用する使用人たち。
街を見れば、魔力で動く乗り物や、空中に映像を映し出す謎の道具など、ルクスが神代に生きていたころには、考えられないような技術が溢れている。
(魔術の理論や、魔力の運用方法が根底から違うのか? おもしろい、期待以上だ。手間をかけて転生を選んだ甲斐あったな)
自室のベッドの上であぐらをかきながら、ルクスはこの時代の魔術体系への好奇心に胸を躍らせ、これならば退屈はしないだろうと口角を上げる。
「だがしかし……ん?」
「ルクス様。入ってもよろしいでしょうか」
ノックの音と共に、扉の向こうから優しい声が聞こえた。
ルクスの専属侍女、エマの声だ。
「ああ、どうぞ」
ルクスの許可を得てから、エマは静かに扉を開けて部屋に入ってきた。
年齢は10代後半。柔らかな黒髪に、優しい笑顔が印象的な女性だ。
「お着替えのお手伝いに参りました」
エマはそう言って、ルクスのベッドの脇に置かれた椅子に、丁寧に折り畳まれた衣服を置く。
淡い水色のシャツに、濃い藍色のズボン。そして、小さな蝶ネクタイ。
国内有数の名門貴族エルフィンストン辺境家の子息に相応しい、上等な衣服だ。
(そうだった……はぁ)
ルクスは内心ため息をついた。
前世では、魔術以外のことは興味がなかったため、適当なボロ布ばかり身につけていたのだが、今は名門貴族の子息。
窮屈な思いをしながら、立場に相応しい立派な服装をしなければならない。
さらに1人では着られないので、エマに手伝ってもらわなければならないのも、ルクスにとっては、辛い時間であった。
(生まれは選べない。これは、転生を選んだ弊害だな……窮屈だが、まあ仕方ない)
そう自分に言い聞かせながら、ルクスはエマの手によって服を着せられていく。
その途中、思い出したようにエマが口を開く。
「そういえば、そろそろですね。ルクス様も」
「ん? 何がだ?」
「魔術のお稽古です。近いうちに家庭教師がつくと思いますよ」
「そうか……ついにか。ついに始まるのか」
ルクスは隠しきれない高揚を滲ませながら、少しだけ上擦った声で呟く。
前世では全てをやり尽くし、退屈な日々に長らく辟易としていた。
シャイラがいたことで、少しはマシだったが、それでも新しいことが無いのは、たまらなく退屈だった。
そんなルクスにとって、新しいことを学ぶというのは、これ以上ない娯楽だった。
(楽しみだな。俺の知らない魔術、魔術理論……この時代なら、新しいことをいくらでも吸収できそうだ)
ルクスは、近いうち始まるであろう魔術の稽古に、確かな期待を膨らませていた。
◇ ◇ ◇
数日後。
エマの言葉通りに始まった魔術の稽古で、ルクスは、早くも現実を突きつけられることになった。
「ルクス様、ここまでにしましょう。初級魔法が1つも扱えないようであれば……これ以上は時間の無駄です」
「はい」
魔術の稽古のためにあてがわれた、部屋の中。家庭教師として付けられた老魔術師は、丁寧な言葉遣いながらも、失望を含んだ視線と声でルクスに告げる。
ルクスは、返事をして軽く頷くと、自身の手のひらをじっと見つめた。
(ここまで仕組みが違うとは……いや、前世の感覚が足を引っ張っているのか? そもそも詠唱なしというのが? 少なくとも魔力が足りないわけではないが……わからない)
ルクスの手のひらの上では、微かに魔力が揺らいでいた。
小さな火を灯す程度の初歩的な魔術すら起こすことができない、か弱い光だった。
神代では敵なし、最強と謳われたマギア。
ルクスとして転生してからも、膨大な魔力量そのものは受け継いでいた。
だが、散々神代の魔術に慣れ親しんだ影響で、全く仕組みの違う、この時代の魔術がうまく使えないのだ。
「はぁ……それでは、私はこれで。エルフィンストン辺境伯様に報告しなければいけないので」
思考に耽るルクスをよそに、老魔術師はそれだけを告げて、部屋を出ていってしまう。
老魔術師が出て行った後も、ルクスはしばらくの間、1人で様々なやり方を試していた。
しかし、一向に火が灯る気配はない。
「あの老人は、この程度は誰でもできることだと言っていたな……それを俺は出来ないと。ふふ」
思い通りに行かない現状とは裏腹に、ルクスの顔には笑みが浮かぶ。
「挫折……ははは。落ちこぼれか、この俺が……はははっ! いいじゃないか、最高だ!」
ルクスは手を叩いて高らかに笑った。
その笑い声は、自嘲とも、狂喜ともとれる、奇妙な響きを持っていた。
最強の座に君臨し、全てを手に入れたはずだった前世。
だが、そこには挑戦も、興奮も、ましてや敗北の恐怖もなかった。
ただ、広大な虚無だけが、マギアという男の心を蝕んでいたのだ。
「ああ、そうだ。これだ。この感覚……! やはり転生して正解だった!」
最強であるがゆえに忘れかけていた、挑戦する喜び、未知なる領域への探求心。
それらを前に、ルクスは、神代最強の魔術師としてのプライドなど、いとも簡単に捨て去った。
むしろ、今はゼロから這い上がることに、かつてないほどの興奮を覚えていた。
「しかし、不思議なものだ。あれほど空虚だと突きつけられたのに……失うと再び欲しくなるものだな。魔術師の頂点の座が」
呟いて、ちらりと窓の外に広がる青空を見上げた。
「確実に物にしてやるぞ、現代魔術。
そして、再び最強へと至ってやる」
ルクスは、その瞳に静かな闘志を灯しながら、その第一歩を踏み出すために、再び手のひらに魔力を集め始めたのだった。
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