第2話 スタートライン


「ルクスよ。雇った家庭教師に聞いた。初級魔術すら扱えないという話は事実なのか?」

 

 執務机に深く腰掛けた大男――ゴルディオ・エルフィンストン辺境伯は、眉間に深い皺を刻みながら、ルクスを睨みつけて問いかける。

 ゴルディオは、エルフィンストン家の当主として、家名と格式を何よりも重んじている。

 そのため、息子のルクスが、スラム街のゴロツキですら扱えるはずの初級魔術を扱えないという状況を、非常に重く見ていた。

 

「はい、父上。事実でございます」

 

 ルクスは、そんな父からの威圧にも怯むことなく、きっぱりと答えた。

 しかしゴルディオは、事態を何とも思っていないようなルクスの態度に、ますます苛立ちを募らせ、舌打ちをする。

 

「……チッ、保有魔力が多いものだからと期待していたらこれだ。愚図め」

「申し訳ありません、父上」

 

 ルクスは深く頭を下げてみせるが、内心では、神代最強の魔術師だった自分が、一世紀も生きていないような小童に叱責されている状況を面白がっていた。

 誰かに怒られるという経験ですら、ルクスにとってはもの珍しい経験だ。


「いいか、ルクス。お前は次男とはいえ、エルフィンストン家の男児だ。せめて人並みに魔術を扱えなければ、エルフィンストン家の名に傷がつく」

「心得ております。これ以上恥をさらさぬよう、努めてまいります」

 

 内心では全く響いていないゴルディオの言葉に、ルクスは深々と頷きいて返事をする。

 しかし、ゼロから這い上がっていくことができることを再度自覚したのか、どこか浮ついた様子を隠しきれていない。

 

「はぁ……もういい。下がっておけ」

 

 ルクスの様子を見て、これ以上何を言っても無駄だと悟ったのか、ゴルディオは大きくため息をつくと、一言だけ告げて、再び執務机に向き直ってしまった。


「はい。それでは、失礼いたします。父上」

 

 ルクスは、深々と頭を下げてから、静かに執務室を後にした。


 

◇ ◇ ◇


 

「おや、ルクスではないか!」

 

 執務室を出たルクスは、自室に向かうため廊下を歩いている途中で、背後から声をかけられた。

 振り返ると、そこには、ルクスより少し背の高い銀髪の美少年が立っていた。

 ルクスの2つ年上の兄であり、エルフィンストン家の嫡男――アルト・エルフィンストンだ。


「兄上、本日はどのようなご用件で?」

 

 ルクスは、にこやかに微笑みながら、アルトに問いかける。

 

「なになに。お前が、珍しく父上に呼び出されていたものだから……遂に何かをしでかしたのかと思ってな」

「なるほど……ええ、たっぷり叱られました。なにせ、先日の魔術の稽古で、初級魔法すらまともに扱えなかったものですから」

「な、なな、なんと!? だが、そうであれば、随分余裕そうではないか!」


 アルトは驚きを隠せない様子で、ルクスをまじまじと見つめる。

 

 エルフィンストン家は、代々優秀な魔術師を輩出してきた名門貴族である。

 その中でも、アルトの才能はずば抜けており、若干7歳にして、既に上級魔術のいくつかを習得するほどの天才だ。

 そんなアルトからすれば、基礎魔術ができなかった事も、それに対して、全く焦りを見せないルクスの様子も、理解しがたいものだった。


「まあ……兄上もご存知のとおり、私は出来が悪いので、いつもご迷惑をおかけしてばかりです」

「むむ……そのようなことは…………いや、しかし、それでは今後、大変な苦労するだろう。我が家系において魔術は重要だからな」


 ルクスの言葉に、アルトは一瞬、難しい表情を浮かべる。

 しかし、すぐにいつもの調子に戻ると、軽く咳払いをしてから、ルクスに歩み寄った。


「ふはは! それでは、仕方がない。この僕が! 基礎魔術も扱えぬ愚弟に、ありがたい教えを授けてやろう!」

「え? 急に?」


 アルトは、ルクスの肩に手を置きながら、偉そうに胸を張った。

 いつも通りの、自信過剰で尊大なアルトの姿に、ルクスは内心で呆れながらも、その言葉の真意を測りかねていた。


「ルクス。魔術の基本は、何よりもまず理論を理解することだ。いくら魔力量が多くても、その扱い方を知らなければ、宝の持ち腐れというわけだ」


 アルトは、さも当然のように、魔術の基本について語り始める。


「要するに! お前は魔術を知らん、という事だ! 知らぬままの努力は効率が悪い」

「はあ? ……では、どうすれば?」

「書庫へ向かえ! そして、魔術書を読み漁るのだ! そうすれば、嫌でも魔術を知れる!」

「えぇ……」

 

 ルクスは、アルトの言葉に、思わず間抜けな声を上げてしまった。

 そんなルクスをよそにアルトは言葉を続けていく。


「そして! お前には特別に……」


 アルトは、胸元から紙を出すと、その紙に高速で何かを書いていく。

 書き終わると、ルクスにそれを渡してきた。


「これを授けよう! 僕のお気に入りの3冊を書いておいた!」

「兄上……ありが――」

「ふはは! 礼は結構! 僕は多忙ゆえ、さらばだ!」


 ルクスが礼を言おうとしたところで、アルトは一方的に話を切り上げ、足早に立ち去っていった。

 その背中を見送りながら、ルクスは小さくため息をついた。


(なんだかんだで、面倒見がいいな。あいつ)


 そう心の中で呟きながらも、ルクスはアルトの言葉に従って、屋敷の書庫へと向かった。


 

◇ ◇ ◇



 アルトから言われた通りに、書庫で3冊の本を探し出したルクスは、窓際近くに置かれた椅子に腰掛け、早速、読み始めた。

 

「む……」

 

 分厚い魔術理論書を数ページ読み進めたところで、ルクスは思わず顔をしかめた。

 現代魔術は、神代魔術とは根本的に仕組みが異なり、彼の知識では理解できない箇所がいくつもあったのだ。

 それでも、ルクスは諦めずに読み進めていく。

 時折、神代魔術との共通点や、興味深い理論を見つけては、目を輝かせながら、知識を吸収していった。


 数時間ほどが経ち、3冊のうち2冊を読み終え、3冊目、一際古いその本を手にとって、ルクスはタイトルにある人名に目を留めた。


「……シャイナ・リアント」


 それは、現代魔術の基礎を築いたとされる、伝説の魔術師の名だった。

 そして、ルクスの愛弟子であり、あの日"マギア"を超えることを約束した、あのシャイナだ。


(本当に、あいつは……成し遂げたのか?)


 ルクスは、懐かしさと、興奮を覚えながら、ページをめくっていく。

 そこには、シャイナの功績の数々が記されていた。


 複雑な魔術術式を簡略化し、誰もが扱いやすい形にしたこと。

 魔力の制御技術を飛躍的に向上させ、魔術の効率化と安全性を高めたこと。

 そして、魔術を応用した様々な道具を開発し、人々の生活を豊かにしたこと……。


 師である自分を遥かに凌駕する、シャイナの偉業の数々。

 ルクスは、驚きながらも、心の底から喜びを感じていた。


「俺を遥かに超えたのだな。ふふ、師匠孝行な奴だ」


 ルクスは、小さく呟くと、再びページに目を落とす。

 そして、最後のページに書かれた、古代文字で記された文章を読んだ時、ルクスの心臓は大きく跳ね上がった。


 ――

 〜私の愛しい、そして時代遅れの師、マギア様へ〜

 この本を手にとった貴方様が、初歩も理解できずに途方に暮れている姿が目に浮かびます。

 私の開発した魔術理論は、神代のように魔力そのものを力任せに扱うのではございません。

 魔力そのものではなく、その「流れ」こそが重要なのです。

 まあ、頭の硬い貴方様ことですから、私の何倍もの時間を掛けても、理解できないかもしれませんね。

 

 それでは、いつかどこかで、お会いできる日を楽しみにしております

 ――

 


 それは、紛れもなく、シャイナが未来の自分に宛てて残したメッセージだった。


「粋なことをしてくれる……知らないうちに、生意気になったものだ。最高の弟子だよ、お前は」


 ルクスは、生意気な愛弟子のメッセージに対して小さく呟くと、シャイナのメッセージに記された、現代魔術のヒントを読み返した。


「魔力の流れ……か。なるほど、そういうことか」


 ルクスは、シャイナからのヒントと、1冊目と2冊目の本で読んだ現代魔術の理論を照らし合わせながら、魔力操作方法を修正していく。

 最初は違和感もあったが、試行錯誤を繰り返し、徐々にコツを掴んでいく。


 そして――。


「よし……できた」


 ルクスの手のひらの上で、小さな炎が灯った。

 嬉しさに思わず顔がにやける。

 現代魔術においては、初歩中の初歩であるはずの火炎魔術だったが、ルクスにとっては初めて成功した現代魔術だ。


「ふふ……とりあえずは、スタートラインには立つことが出来たといったところかな」

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