第7話 門出

 澄み切った青空の下、エルフィンストン邸の門前は、使用人たちの慌ただしい動きと、どこか浮ついた空気に包まれていた。

 今日は、アルトが王立魔術アカデミーに入学するため、王都メノロンへと旅立つ日だ。


 そんな日にルクスは、1人自室で魔術の練習に励んでいた。

 窓の外の喧騒とは裏腹に、部屋の中は静寂に包まれている。静寂の中、ルクスの掌の上で、小さな炎が揺らめいていた。


「……心構えだけで変わるものだな。随分、楽になった」


 ルクスは、自分の掌を見つめながら、小さく呟いた。


 ほんの少し前までは、魔術の行使一つ一つに、かなりの集中を要していた。

 それが今では、炎の大きさや形を自在に操り、長時間維持することも容易になっている。

 他の魔術の進捗度もかなり順調だ。


 この急成長は、キレアのアドバイスが、ルクスの心に火をつけた結果だった。


「ルクス様」


 コツコツと扉を叩く音と共に、エマが部屋に入ってきた。


「エマか、どうしたんだ?」

「アルト様が、出発前に、ルクス様にご挨拶をしたいと仰っております」

「……そうか。分かった、すぐに行く」


 ルクスは、軽く頷くと、掌の炎を消し、アルトの部屋へと向かった。



◇ ◇ ◇


「失礼します」


 アルトの部屋の扉を開けると、既にほとんどの荷物が片付けられ、若干の物寂しさが漂っていた。


 窓際には、真新しい革製のトランクが置かれ、その横には、王立魔術アカデミーの紋章が入った制服が、ハンガーにかけられている。


「来たか! ルクスよ!」


 ルクスの入室に気づくと、アルトは満面の笑みで振り返った。


「はい、準備は順調そうですね」

「当然だ! 僕は優秀だからな! それよりどうだ、この威光は!」


 アルトは、そう言うと、誇らしげに胸を張って、身につけているアカデミーの制服をルクスに見せつけてくる。

 制服は、深紅のジャケットに、黒のパンツ。襟元には、アカデミーの紋章が輝いている。


「ははは、少し気が早いと思いますが……とても似合っていますよ」

「ふはは! そうだろう、そうだろう! なにせ、この僕が着ているのだからな!」


 ルクスの言葉に、アルトは満足そうに頷きながらも、照れくさいのか耳が少しだけ赤くなっている。

 そんなアルトの姿を見て、ルクスは「本当に子供だな」と心の中で呟きながら、柔らかな笑みを浮かべた。


「とまあ、無駄話ははこの辺りにしておこう。……ルクスよ」


 アルトは、少しだけ神妙な顔つきになり、ルクスに向き直る。


「僕は必ず、優秀な魔術師になる」


 宣言するように告げられた言葉に、ルクスは静かに頷き返す。


「分かっています。兄上ならばきっと……」

「いつか、母上の病を治すためにだ」

「は、はい。以前、別館に行ったときも話していましたね」


 あの日、アルトが真剣な眼差しで語っていた姿を思い出し、一瞬だけ言葉に詰まり、当たり障りのない返事をかえす。


「僕は、絶対に成し遂げる。だから、アカデミーでも止まらずに進み続ける……置いてけぼりなるなよ。ルクス」

「っ、兄上……」

「2年後。僕を驚かせて見せろ。まあ、それだけだ」


 そこまで言って恥ずかしくなってしまったのか、真っ直ぐにルクスを見つめていた視線を僅かに逸らす。

 

「ま、まあ……僕は滅多な事では驚かないから、お前には難しいだろうがな! 我ながら意地が悪かった! ふはははは! ……あ、忘れるところだった」


 アルトは、照れ隠しにいつもより大袈裟に笑った後、何かに気が付いたように慌てて部屋の隅に走っていく。

 そして、そこに置いてあった小さな包みを手に取ると、ルクスに差し出した。


「これをやろう! この僕からの、ありがたい贈り物だ」

「これは……?」

「アカデミー周辺の地図と、美味い店の情報だ。店の方は噂だがな。

お前も2年後には来るんだろ? その時に困らないようにな! ふはは!」


 アルトは、ルクスが包みを受け取ると、満足そうに頷きながら、バシバシと背中を叩いてきた。


「そうですか……ありがとうございます、兄上」

「なんて事はない、僕にとってはそんなもの手間ではないからな。まあ、僕の用事はこれで終わりだ。そろそろ行かねばな」

「はい」


 ルクスは、アルトから受け取った包みを懐にしまってから、部屋の扉の方へ向かうアルトを追って、部屋を後にした。



◇ ◇ ◇



 エルフィンストン邸の門前には、アルトを乗せるための、豪華な魔導車が用意されていた。

 黒塗りの車体は、丁寧に磨き上げられ、陽光を浴びて輝いている。


 屋敷の前には、ゴルディオやルクス、屋敷の使用人たちはもちろん、キレアもアルトを見送るために、別館から来ていた。


「アルト、いってらっしゃい。頑張ってね」


 キレアは、そう告げて、アルトの頭にそっと手を置いた。


「ええ、当然でございます、母上。私は、必ず優秀な魔術師になってみせます。そして……いつか、母上の病を」

「ふふ、ええ。楽しみにしているわ。でも……無理はしないで、楽しんできて」

「……はい!」


 アルトは、キレアの言葉に、力強く頷くと、ゴルディオの方を向いた。


「父上。アカデミーに行っても、エルフィンストン家の名に恥じぬよう、精進いたします」

「そうか。ならば、私からは言うことはない。その言葉を信じているぞ。アルト」


 ゴルディオは、珍しく口角をあげながら、アルトを見送る。


「アルト様、いってらっしゃいませ。お体に気をつけて」

「アルト様、どうかご無理なさらず……」


 使用人たちも、口々にアルトに別れの言葉を掛けていく。

 アルトは、そんな使用人たちの言葉に、笑顔で頷きながら、ルクスとエマの方へと歩み寄ってきた。


「エマ。ルクスを頼んだぞ」


 アルトは、エマに向き合うと、少しだけ大人びた表情で告げる。

 エマは、そんなアルトの言葉に、少しだけ驚いた表情を見せるが、すぐにいつもの柔らかな笑みを浮かべると、丁寧に頭を下げた。


「はい、アルト様。お任せください」

「うむ! 心強い返事だ。最後に、ルクス」

「……はい」


 エマへの言葉とは打って変わり、アルトはルクスの腕を掴むと、有無を言わさぬ勢いで魔導車へと引っ張り込んでいく。


「……2年後、アカデミーで待ってるぞ!」

「はい、約束です。必ず兄上の度肝を抜いて見せましょう!」


 アルトは、ルクスに力強く握手を求めながら、そう告げた。

 ルクスは、アルトの勢いに押されながらも、好戦的な笑みを浮かべながら握手に応じる。


「では、皆! 達者でな!」


 アルトの言葉を最後に、魔導車は、ゆっくりと動き出し、エルフィンストン邸を後にした。

 

(……俺も、負けてはいられないな)

「ルクス」


 魔導車が見えなくなった頃、ルクスが改めて決意を固めていると、背後から、低い声が聞こえた。

 ルクスが、その声に、ゆっくりと振り返ると、ゴルディオが立っていた。


「……父上?」

「着いてこい」


 ゴルディオは、それだけ言うと、ルクスに背を向けて歩き始めた。

 ルクスは、ゴルディオの唐突な命令に、一瞬戸惑うが、無言の圧力に逆らうこともできず、その後ろをついていく。


「一体、どこへ行くのですか? 父上」


 歩きながら、ルクスは恐る恐る尋ねてみたが、ゴルディオは一切振り返ることなく、低い声で一言だけ答えた。


「来れば分かる。早くしろ」



◇ ◇ ◇



 ゴルディオに連れられて、ルクスが到着したのは、屋敷内にある模擬戦用の訓練場だった。

 広大な訓練場は、頑丈な魔術結界で覆われており、激しい魔力のぶつかり合いにも耐えられる作りになっている。


 訓練場の空気は、ひんやりとしており、どこか殺伐とした雰囲気が漂っている。

 床には、かつてここで行われたのであろう、激しい戦闘の跡が生々しく残されていた。


(いきなり何だ?)

 

 ルクスが、状況を理解しようと戸惑っていると、ゴルディオは、ルクスの前に歩み寄ると、冷たい表情で、一言だけ言い放った。


「死ぬ気で来い。現実を教えてやる」

「は?」


 ルクスは、ゴルディオの言葉に、思わず聞き返そうとする。


「どういうこ──カハッ……!?」


 しかし、次の瞬間、ルクスは、目にも止まらぬ速さで"何か"に吹き飛ばされ、訓練場の壁に叩きつけられる。


「2度も言わせるな。死ぬ気で来い。意味は分かるな? ルクス・エルフィンストン」


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