第15話 出発の日

 朝の光が、エルフィンストン邸の広大な敷地を照らし始めていた。

 小鳥たちのさえずりが、心地よい朝の静寂を奏でている。


 そんな穏やかな朝の風景とは裏腹に、ルクスの部屋は、まるで嵐が去った後のように散らかっていた。

 ぐちゃぐちゃの衣服、開け放たれたトランク、そして、床に散らばった本に魔道具。

 

「全くもう……ルクス様ったら、どうしてこうなるんです?」

「……すまない、持っていく物が決まらなくてな。最終的には片付くはずだ」


 ため息混じりにつぶやくエマに、ルクスは謝罪する。

 今日は、ルクスがエルフィンストン邸を旅立つ日だ。

 部屋の惨状は、その荷造りの最中、彼が激しく葛藤した結果だった。


「本当に、必要な物だけで良いのですよ? 王都からはそう離れてませんし、何かあれば、いつでも取りに帰ってこれるでしょう」

「分かっているんだが、なかなか難しい。

 向こうで読み返したい本や、使いたい魔道具が多くてな……我ながら優柔不断だ。今になって欠点を自覚するとは」


 ルクスは、苦笑いしながら、目の前の山と化した荷物を眺める。

 まともな物がなかった神代と比べて、魅力的な物が多いこの時代。

 前世の習慣で、質素な生活を好むルクスだが、好奇心を刺激する品々を前にすると、ついつい欲張ってしまう。


「アカデミーにも図書館はありますし、王都のお店であれば、魔道具も本も豊富ですよ?」

「ふむ、それもそうだな。この辺りでまとめて……ああ、忘れるところだった」


 ルクスはそう言って立ち上がると、部屋の端の机に歩いていく。

 そして、机の引き出しを開き、小さな包みを取り出した。


「そちらは?」

「2年前、兄上に貰ったんだ。アカデミー周辺の地図と、美味い飯屋の情報が書いてあるらしい」

「そんなものを……ふふ、アルト様らしいですね」

「だろう? まあ、それはともかく荷物をまとめてしまおう。父上もだが、わざわざ来てくれた母上を待たせるのは申し訳ない。手伝ってくれるか?」

「はい、もちろんです」


 エマは、ルクスの言葉に笑顔で頷くと、さっそく荷造りを手伝い始めた。

 彼女の的確な指示と手際の良さで、散らかり放題だった部屋はみるみるうちに片付いていく。


「さすがはエマだな。いつも助かっている」

「そんな、当然のことです。私はルクス様の専属侍女ですから。……まあ、それも今日で最後ですけどね」

「そう、だな」


 エマの言葉に、ルクスは僅かに視線を落とす。

 思えば、エマと過ごした時間は長い。

 右も左も分からぬ赤子の時から、常に隣で世話を焼いてくれた専属侍女。

 厳格な父、病弱な母に代わって、ルクスにとって最も身近な存在だと言える。

 そんな彼女と離れるのは、ルクスにとっても少しばかり思うところがあった。


「……世話になったな、エマ。ありがとう」

「ど、どうされたのですか? 急に」

「ちゃんとは言えてなかったと思ってな」

「そ、そんな……当然のことをしたまでです。それに、お別れというわけではありませんし」


 ルクスの言葉に、エマは慌てたように顔を赤らめて否定する。

 だが、彼女の胸は温かいもので満たされていた。


「そうか。だが、伝えたぞ。……では、荷造りも済んだことだし、行くか。あまり皆を待たせては悪い」

「は、はい!」


 ルクスは、軽く荷物を確認すると、エマと共に部屋を後にした。



◇ ◇ ◇



 エルフィンストン邸の正面玄関前には、黒塗りの豪華な魔導車が到着していた。

 エルフィンストン家の紋章が描かれた車体は、丁寧に磨き上げられ、朝日を浴びて輝いている。


 ルクスは、エマと共に玄関の階段を下りてくると、そこで立ち止まり、大きく息を吸い込んだ。


 澄み切った青空。

 新鮮な朝の空気。

 鳥たちのさえずり。

 

 そして――


「ルクス、大きくなったわね。足音で分かるわ」


 ルクスの視線の先には、車椅子のキレアと、その後ろに立つゴルディオ、そして屋敷の使用人たちが、温かい笑顔で見送っていた。


「母上……それに、父上も。ありがとうございます」


 ルクスは、キレアとゴルディオに歩み寄ると、深々と頭を下げた。

 キレアは、ルクスの成長を我が事のように喜んでいる。

 ゴルディオは、不器用ながらも、息子を認める言葉を紡いでくれた。

 エマは、心配しながらも、ルクスの旅立ちを心から祝福している。

 屋敷の使用人たちは、口々にルクスの無事を祈り、激励の言葉を贈ってくれる。


 前世では、弟子以外に別れを惜しむ者などいなかった。

 ルクスは、神代では決して味わうことのできなかった、温かな別れの空気に、少しだけ胸が熱くなるのを感じていた。


「ルクス、大丈夫?」

「っ、はい、大丈夫です。では、私はそろそろ」

「待って」


 キレアの言葉に、ルクスは我に返ると、らしくない姿を悟られないように魔導車へと歩みを進めようとした。

 しかし、背を向けようとした瞬間、キレアに呼び止められたかと思うと、刺繍入りの白いハンカチをそっと手渡された。


「……これは?」

「ただのハンカチよ。でも、あなたのことを想って、一針一針、心を込めて縫ったの。

 ……無理はしないで、でも、自分の力を信じて。ルクスは、すごい子だから……ふふ、アルトの時も似たようなことを言ったわね」

「……っ、母上、ありがとうございます」


 キレアの心からの言葉と、その温もりが感じられるハンカチに、ルクスは僅かに目を見張る。

 不意をつかれ、言葉に詰まってしまう。


「ルクス。あまり感傷に浸っている時間はないぞ。だが、私からも最後に一言、言いたいことがある」


 キレアとのやり取りを黙って見ていたゴルディオが口を挟み、ルクスに歩み寄る。


「頑張ってこい。ルクス」


 短くも力強い言葉。

 それは、紛れもなく、不器用なゴルディオの精一杯の激励だった。

 ルクスは、そんなゴルディオに、深く頷いてみせる。

 そして、キレアとゴルディオ、そして、使用人たちの方を向き直ると、深々と頭を下げた。


「父上、母上。エマ、それに使用人の皆様。10年間、本当にお世話になりました。

 ……行ってきます!!」


 ルクスは、そう告げると、振り返ることなく魔導車へと乗り込んだ。

 車窓から、名残惜しそうに見送る人々に、小さく手を振る。

 そして、ルクスを乗せた魔導車は、エルフィンストン邸を後にするのだった。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る