第4話 出会いと約束

「いらっしゃい」


 薄暗い店内に、乾いた声が響いた。

 ルクスは、びくりと肩を揺らしたが、すぐに気を取り直して、店内に視線を向ける。


 店の奥のカウンターに、腰の曲がった老婦人が座っていた。

 老婦人は、白濁した瞳でルクスをじっと見つめながら、ゆっくりと口を開く。


「おや、初めて見る坊やだ。こんな、薄汚い店に何の用だい? そのナリ……あんた、お貴族さまだろう」

「あ……ええと、兄と護衛の侍女と一緒に、身内に会いに来ていたのですが、身内への手土産に、菓子を買いに向かう途中ではぐれてしまったんです。

 セレナーデという店なのですが、ご存じでしたら道を教えていただけないかと思いまして」

「セレナーデねぇ……」


 老婦人は、ルクスの言葉を遮ると、意味ありげに顎に手を当てた。

 そして、しばらく考え込む素振りを見せた後、クスリと笑う。


「カハハ……悪いが知らないね。ワシは甘いものは苦手なんだ。菓子屋の情報なんてもっちゃいない」

「そうですか……」


 ルクスは、がっくりと肩を落とす。

 老婦人は、そんなルクスを見て、楽しそうに笑うと、カウンターから重そうな体をゆっくりと起こした。


「まあまあ、お貴族様の坊や。そんなにしょんぼりするこたぁない。代わりといっちゃなんだが……面白いものを見せてあげよう」


 老婦人は、ゆっくりとした足取りで、店の奥へと消えていった。


(面白いもの?)


 ルクスは、老婦人の言葉に、不思議そうな表情を浮かべる。

 しばらくすると、老婦人は、一冊の本を両手で抱えて戻ってきた。

 そして、カウンターの上に置くと、埃を払う。


「はい、これだ」


 それは、表紙に何も書かれていない、古びた革表紙の本だった。

 一見すると、ただの古い本に見えるが、ルクスは、その本から、微かにだが魔力の気配を感じ取っていた。


「これは?」

「さあね。わしにも分からんよ。ずいぶん昔に、この店の奥から見つかったんだが…………ぜーんぶ、古代文字だ。誰も読めんし、当然売れない。だがね、開いてみると、どうにも奇妙な感覚になるんだ。試してみるかい?」


 老婦人は、にやりといたずらっぽく笑いながら、ルクスに本を差し出した。

 ルクスは、老婦人から本を受け取ると、恐る恐るページをめくろうとした。


 ――その時だった。


「おばあちゃん、いるー?」


 店の外から、明るい声が聞こえてきた。

 ルクスは、声のする方を見ると、店の入り口に、自分と同じぐらいの年頃の少女が立っていた。


 少女は、明るい茶色の髪をポニーテールに結い、大きな紫色の瞳をキラキラと輝かせている。

 全体的に明るく、活発そうな印象だ。


「……っ!?」

 

 ルクスは、少女を見て、一瞬、息を呑んだ。

 少女の瞳は、マギアであった頃より、脳裏に焼き付いている、あの紫色だった。

 

「おや、カレンじゃないか。今日は何の用だい?」


 老婦人は、少女――カレンの姿を見るなり、満面の笑みを浮かべた。


「用ってほどじゃないよ。いつも通り遊びに来ただけ……あれ?」

 

 カレンは、ニコニコと笑いながら老婦人に話す。

 その途中、店内にルクスがいることに気づくと、少し驚いた様子を見せた。

 しかし、すぐに笑顔に戻ると、ルクスに向かって話しかけてきた。


「お客さん? 珍しいね。君、貴族の人でしょ?」

「あ、ええと……」


 ルクスは、突然のことに少し戸惑いながらも、アルトたちとはぐれてしまったことを説明した。


「なるほど、お兄さんとはぐちゃったんだ。それは大変!」


 カレンは、ルクスの言葉を聞くと、一瞬、異常なまでに深刻な表情で硬直する。

 しかし、すぐにパッと明るい笑顔に戻る。


「大丈夫! この街のことなら、私に任せて! 案内してあげる!」


 カレンは、そう言って、頼もしく胸を張った。

 ルクスは、少女の申し出に少し迷ったが、このままだらだらと探しても効率が悪いと思い直し、少女の厚意に甘えることにした。


「ありがとう、助かる。俺はルクス・エルフィンストン。君は?」

「私? 私はカレン! カレン・ルイワッタ! よろしくね、ルクス」


 カレンは、ルクスの言葉に笑顔で答えると、彼の腕を掴むと、そのまま店の外へと引っ張り出した。


「さあ、行こ、ルクス!」

「分かったから、引っ張らないでくれ! カレン!」


「気をつけるんだよー」


 

◇ ◇ ◇



「セレナーデだっけ? お兄さんたちが行ったの」

「一応な。向こうも俺がいない事には、気がついているだろうから、そこにいるとは限らないが」


 カレンは、ルクスの言葉に頷くと、顎に手を当てて少し考え込むような仕草を見せた。

 そして、すぐに顔を上げると、ルクスに向き直ってニッコリと笑いかける。


「そっか……まあ、大丈夫! この街は、私の庭みたいなものだから! とりあえず、セレナーデに行こっか」


 カレンは、自信満々にそう宣言すると、くるりと踵を返して歩き始めた。

 ルクスは、そんなカレンに慌ててついていく。


「あ、そういえばルクスはなんで、この街に来たの?」


 カレンは、ルクスの少し後ろを歩きながら、何気なく尋ねてきた。

 ルクスは、カレンの質問に、少しだけ歩き方を緩める。


「さっき話した兄が、来月から王立魔術アカデミーに入学することになってな。その挨拶も兼ねて、別館にいる母上に会いに来たんだ」

「へえ、王立魔術アカデミー! すごいじゃん!」


 カレンは、目を輝かせながら、感嘆の声を上げた。


「君も、魔術に興味があるのか?」

「うん! 興味あるっていうか……大好き!」


 カレンは、ルクスの質問に、歯を見せた満面の笑みで答えた。


(性格こそ違うが……やはり、気のせいではなかったか?)

 

 ルクスは、カレンの明るいながらも少しだけ目尻を下げた笑顔に、再び、かつての愛弟子の面影を感じていた。

 前世では、その成長を誰よりも近くで見守ってきた、我が子のような存在だ。

 些細な癖や、考え方、そして、魔術に対する情熱は、ルクスの記憶に深く刻み込まれている。


「なあ、見当違いだったら、笑って欲しいんだが、その……君、いや、お前は――」

「そこまで!」

「むっ!?」


 ルクスが意を決してカレンに問いかけようとした瞬間、カレンはルクスの言葉を遮るように、いたずらっぽく人差し指をルクスの唇に当てた。

 ルクスは、カレンの予想外の行動に驚き、目を丸くする。


「ふふ、答え合わせはまだ先です。そうですね……2年後、アカデミーでどうでしょう?」

「やっぱりお前――」

「ダメですってば。それに、見つかったみたいですよ?」


 カレンは、いたずらっぽく笑いながら、ルクスの唇から人差し指を離し、そのままルクスの背後を指差す。

 その瞬間、背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「ルクス!」

「ルクス様!」


 ルクスは、聞き覚えのある声に、慌てて振り返った。

 そこには、安堵と苛立ちを混ぜ合わせたような複雑な表情をしたアルトと、心底安心した様子で胸を撫で下ろしているエマの姿があった。


「兄上、それにエマも――」

「お前、お前、お前ー!! どこに行っていたんだ! 急に姿を消すなんて、まったく……」

「そうですよ! 私もアルト様もどれだけ心配したことか……」

「僕は心配はしていない!」


 アルトが、ムッとした表情でそう言い張るのをよそに、エマはルクスの体に触れるか触れないかぐらいの距離で、入念に無事を確認していた。


「とにかく、ご無事で何よりです。本当に心配しました」

「すまない、エマ。それに兄上も、心配をかけて申し訳ありませんでした」

「だから、心配は……まあ、無事ならば良い」

「ありがとうございます。そうだ、兄上、こちらの少女が……あれ?」


 ルクスは、アルトたちに事情を説明し、改めてカレンに礼を言おうと振り返った。

 しかし、既にカレンの姿はなかった。


「あいつめ……」

「む? どうしたのだ」

「……いえ、なんでもありません。気のせいでした」


ルクスは、アルトの問いかけに、言葉を濁した。


「む、そうか……では! これにて一件落着だ。早く母上に会いに行こう! 手土産は既に購入してあるからな。ふはは! 僕はマメなのだ!」


 アルトは、ルクスの言葉を気にする様子もなく、満足そうに胸を張ってそう告げた。

 ルクスは、そんなアルトに呆れながらも、嬉しそうに笑みを浮かべる。

 そして、先ほどまでカレンがいた場所を振り返り、小さく呟いた。


「2年後、アカデミーで……か」


 ルクスは、カレンの言葉を反芻する。

 

(やはりか。ふふ……本当に、見ないうちに生意気になりおって)


 確信にも似た思いが、ルクスの胸をよぎる。

 そして、同時に、2年後に必ず再会するという、新たな目標が生まれた。

 

「ルクス様?」

「ルクス、行くぞ」

「はい、今、行きます」


 アルトの声に、ルクスは我に返る。

 そして、再び歩き出したアルトとエマの後ろ姿を追いながら、ルクスは、王立魔術アカデミーへの入学を、強く決意するのだった。

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