第12話 お正月の遊び。
今回は、前回に続いてのお正月の話です。
私の家では、一月二日に、神奈川の母方の妹である叔母の家に、新年の挨拶へ行っていました。
都内の母方の姉である伯母一家も来て、賑やかな一日を過ごしていました。
うちが私、弟、妹の三人、叔母のことろは年下の従妹が二人、叔母のところは年上と私と同じ歳の従姉が二人。
子どもだけで七人、大騒ぎです。
片道、電車で一時間以上なので疲れますが、ここは稼ぎ時です。
行かないという選択肢はありません。
お年玉は、なんとなく年齢で差があって、小学校低学年くらいまでは千円、中学校に入るまでは三千円、中学校からは五千円、みたいな感じです。
ですが、母方の祖母だけは年齢に関係なく、一律五千円でした。
そりゃあ、行きますよね。五千円。
二日の日は、ホクホクになって帰ってくるワケですが……。
先の話の通り、お正月はどこも店が開いていないので、使いようがありません。
実際に使えるのは、数日後にお店が開いてからとなるのです。
そして、その間に、親から「全部使わないで貯金しなさい。お母さんが預かっておくから」などと、これまた謎に回収されてしまいます。
手もとに残るのは、千円、二千円程度でしょうか。
のちに、ちゃんと貯金されているのがわかるのですが、そうとわかるまで怪しんだものです。
そんなこんなで、使い道を先送りにされている子どもたちが、お正月中にする遊びと言えば……。
この時代、テレビゲームなどと言う代物はありません。
ですが、お正月特有の遊びがありました。
室内では、双六、福笑い、かるた。
外遊びでは、凧揚げ、コマ回し、羽根つきなど。
こんなのは、普段からできる遊びですが、お正月感満載の遊びですね。
凧揚げに使うタコなどは、学校の図工の授業で自作したりしました。
文房具屋さんで竹ひごとタコ糸を買い、和紙に自由に絵を描いて作ったものです。
今は凧揚げをする子どもは皆無に近いですが、当時は公園に行くと何人も凧揚げをしていました。
学校の校庭だと電線が遠い場所にあるので、校庭でも遊んだ記憶があります。
ケンカ凧などと言って、相手のタコ糸に自分のタコ糸を絡め、相手を落とす、なんて遊びもしていました。
羽根つきは、墨でバツをつけると汚れるので、そんなことはせずに普通に打ち合うだけ。
コマ回しは、小さい普通のコマや、木製の大きなコマまでいろいろ投げたり、綱渡りだのなんだのと、技もあった記憶があります。
私は鈍いので、そういった技まではできませんでしたが……。
双六は、人生ゲームが登場するまでのあいだ、よく遊ばれていた気がします。
福笑いは……今思うと、なにがそんなに面白かったのか……。
これらの遊びは、おそらく全国区だと思うのですが、地方によって違う遊びもあるんでしょうか?
かるたなんかだと、場所によっては本格的なかるただったりするのかもしれませんね。
これらの遊びも、時代と共に少しずつ変わっていくのですが……。
おせちもいいけどカレーも、じゃあありませんが、「ゲイラカイト」という凧が発売されたときも、かなりの衝撃でした。
クラスの半数以上が持っていた気がします。
あとは、宇宙コマ。
やたらカッコよく見えましたが、あれもなにが良かったのか、今となっては謎の代物です。
双六に変わって登場した「人生ゲーム」は、かなりのハマりものでした。
やたら面白かったので、家族や友達と良く遊びました。
難点は、人や車がすぐに行方不明になることでしょうか。
足りない車や人は、マッチ棒を使ったり、紙に書いたり……。
雑です(笑)
お正月も、やはり昭和の子どもの遊びは、体を張ったものが多かったですね。
次回は、小学校高学年時の流行りものの話でも。
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