第11話 昭和のお正月。
今回の話は、お正月です。
同年代の方は、きっとわかってくれるでしょう。
お正月――。
それは、お年玉という臨時収入で、一気にお小遣いが増える日でもあり、なにもない日でもありました。
なにもない日、というのは、文字通り『なにもない』のです。
お店はどこも閉まっていて、せっかくお年玉を貰っても、使いようがないのです。
だいたい、どこのお店も確実に三が日は休み、長いと七日頃まで休みという……。
うちのほうでは、百貨店も三が日は休みでした。
年末も、だいたい二十八日までくらいだったでしょうか。
なので、買いだめは必須でした。
お正月に食べるものと言えば、お節料理、お雑煮やお汁粉など、ほとんど餅。
そして、やたらデカい箱に入ったポテトチップス。
あとは、スルメでしょうか。切っていない、イカの姿丸々一枚をのしたヤツでした。
ハサミで切ったりして、ストーブで炙って食べたものです。
餅は、今のように個包装になんてなっていない、のし餅と言われる一枚の餅です。
柔らかいうちに、包丁で切って切り餅サイズにしておきます。
個包装になっていないので、日を置くとカピカピになって表面がひび割れてしまいます。
さらに日が経つとカビてしまうので、余った餅はさらに小さく切って、揚げ餅にしたりして食べていました。
不便ですが、美味しかったです。
先のお話でも書いた通り、うちは食堂でしたが、年末はうちの区画もどのお店も二十八日までで、二十九、三十日は大掃除、三十一日にはおせち作り、みたいな流れでした。
この日ばかりは、子どもと言えどかり出され、一日中、掃除です。
寒いのに。
同級生たちもみんなやっていたので、当然のことと思いながらも、普通の家はどうなんだろう?
なんてことを考えたりもしました。やっていたとは思うんですけどネ。
おせちは……。
今は、色とりどりで奇麗なおせちがありますよね。
でも、昭和の中期……。
そんなにカラフルなものは、なかったんでしょう。
芋の煮物、黒豆、田作り、煮しめ、たたきごぼう、栗きんとん、伊達巻、かまぼこ、菊花かぶ、手綱こんにゃく等々、色々と入ってはいますが、ほぼ茶色。
母親の実家から送られてきた車麩の煮物もありましたが、それも茶色。
黄色や白、オレンジもありますが、鮮やかな黄色ではなく、くすんだ黄色だったり、煮しめられたりしているので、ほぼ茶色。
鮮やかなのは、かまぼこのピンクくらいでしょうか。
なんか、良くわからない巻貝みたいな形をした赤い謎の食べ物が入っていたこともありましたが、あまり美味しくなかったのか(私は食べていない)一度、見たきりです。
年末に魚屋さんで、カニを買ってそれも食べましたが、おせちには入っていないので、おせちの彩りとしてはノーカウントで。
テレビも年末年始は番組が変なことになっていました。
何時頃からだったのか、記憶に薄いのですが、紅白歌合戦が終わってからのことなので、恐らく二十三時過ぎのことだと思います。
全局、一斉に「ゆく年くる年」になるのです。
どこを回しても、同じ。
テレ東さんでさえ、ゆく年くる年。
それもまぁ……当たり前のことでしたが、今となると謎。
そして、これもいつの頃のことか思い出せませんが、テレビで
「おせちもいいけど、カレーもね♪」
という衝撃的なCMが流れるようになります。
おせちや餅以外でも、食べられるご飯がカレーとは、これ如何に???
とはいえ、当時はそんな概念が我が家にはなく、おせち以外に食べるものがあるんだと、一家に衝撃が走ったものでした。
新年の縁起かつぎ的なもので、多分、火を使わないとか、水を流さないとか、そんなこともあっての「おせち」だったのかと思うんですが、時代はゆっくりと変わっていきました。
時が経つにつれ、街の営業日も少しずつ変わっていき、年始は百貨店が二日に開くようになったり、コンビニができて夜遅くまで買い物ができたりしていきましたが、私が小学生高学年の頃に市内にできたコンビニは、謳い文句通りの朝七時から夜十一時まで。
年中無休、二十四時間営業になるのは、まだまだ先の話です。
次回ももう少し、お正月の話が続きます。今しばらく、お付き合いください。
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