12

 僕は霧山律の家を再び訪れた。母親は旅の支度をしていて、ちょうど家から出るところで、一足違いで行き違いになるところだった。

「すみませんが、もう一度お話を聞かせてもらえませんか」

 僕はそう頼んで、先ほどの師匠の非礼も詫びた。

「私はすぐに逗子に向かいます。律が心配ですから」

 母親は家の奥に向かって、「それではお姉さん、よろしくお願いします」と言うとあたふたと早足で遠ざかっていった。

「律さんのお母上のお姉様なのですか?」

 僕は玄関で見送っている上品な婦人に訊いた。

「ええ、夫同士が兄弟ですので義理の関係ですけれど。でも律さんのことは本当の娘のように思っているんですよ。私も心配ですわ」

 上品そうな婦人は、律の母親よりも色っぽく華やかさがある。

「実は律さんのお母上にお願いしたいことがあったのです」

「あなたはひょっとすると、律さんの幽霊だか生き霊だかを見たという人ですか?」

「はあ、幽霊かどうか知りませんが、律さんとはたしかにお話しをしました」

 婦人は僕を家に上げてくれた。幽霊か生き霊の話をもっと聞きたいらしい。

 居間で向かい合って座り、婦人はさっそく律の様子やどんな話をしたかなど訊いた。

 律が橘という男からの手紙を迷惑に思っていることなどを話すと、婦人は首をかしげた。

「おかしいわね。律さんと橘さんのことは、ここの家の人も知っていましたよ。ただ……」

「ただ、なんですか?」

 律の母親もそこで言葉を切ったのだ。次にどんな言葉が出てくるのか、思わず僕は身を乗り出した。

「ただ近頃は、二人の仲はうまくいっていないようでした」

 やはりそうか。律は橘にひどく立腹していたのだから。

「律さんは橘さんから手紙が来ないことを気に病んでいました。そのせいで病気になったと義弟は考えていたようでした。病気になっても見舞いに来ないので、『もう付き合いをやめろ。手紙も出してはいかん』とひどく橘さんに立腹していたと聞きました」

 それで律も橘に愛想を尽かしたということだろうか。

 そこで僕は鏡花先生の言葉を思い出した。

「律さんのお写真はありますか? もしあったら見せていただけないでしょうか」

「律さんの部屋に飾ってあったはずです。うちの娘のカヨと二人で撮った写真が」

 婦人は二階への階段を上り、しばらくして小さな額に入った写真を持ってきた。

 二人の娘が着飾って写真に収まっている。一人は律で、もう一人はどこか気弱そうな顔をした娘だった。それがカヨという従姉妹なのだろう。

 婦人は壁に飾ってある写真を指さした。海を背景に律の家族とカヨの家族が勢揃いして、写真機に笑顔を向けている。

「逗子はみんなでよく行きますのよ。律さんもカヨも子供の頃から行ってますの」

 この集合写真で見ると律とカヨは、従姉妹同士だけあってよく似ていた。

 婦人は麹町にある家に帰ると言う。下男の涼木は逗子に行ったきりだし、女中もいったん里に下がるらしい。家が無人になるので律の父親は、しばらくは麹町の兄の家で寝泊まりすることになるという。

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