15

 僕は先生に報告すべく神楽坂に向かった。途中、煙草屋の前を通ると中からタケさんが飛び出して来た。

「なにをやっていたんだよ。おまえさんは」

 襟首を捕まれて煙草屋の中に引きずり込まれる。

「なにをって、僕はあの通り魔事件を解決しようと……」

「通り魔事件だって? 寝言を言ってるんじゃないよ。鏡花先生はそんなことを言ったかい?」

「ええっと、あなたはタケさんですよね」

 煙草屋にいるからタケさんだと思っていたがマツさんなのだろうか。僕がまごついていると、「当たり前だろう。あたしはタケだよ」と頭を小突かれた。

 以前は鏡花先生を知らなかったようだったが、最近知ったということか。

「だれかを見つけなきゃならない、って言ってただろう」

 そう言ってまた僕の頭を小突く。

「ええっと、見つけましたよ。というか、本人が家に帰って来ました。鼻歌を歌いながら」

「馬鹿。そうじゃないよ。橘を刺した犯人だよ」

「知ってるんですか?」

「いや、知らない」

 膝の力が抜けて転びそうになった。犯人を知らないのに、なぜ何度も頭を小突かれなければならないのだ。

 その時、タケさんの目が銀色に光った。「あ」と僕は小さく叫んだ。頭の霧が晴れたようになって、鏡花先生がおっしゃった言葉の意味を理解した。

「鏡花先生に伺ってきます」

「そうだよ。さっさとおしよ。犯人が逃げちまったらどうするんだ」

 僕は転がるようにして鏡花邸まで走った。

「鏡花先生。教えてください。犯人はだれですか」

「きみは、なんというかせっかちな人ですね。まずはこれまでになにがわかったかを話してくれなければなりません」

「申し訳ありません」

 僕は長火鉢の向こうに座って、煙草を吸っている先生に平伏した。これに似た光景をどこかで見たと思ったら、紅葉先生の前で平身低頭する鏡花先生だった。

 僕は細大漏らさず報告した。

「先生はカヨさんが律さんのふりをしていることに、初めから気付いていたのですか?」

「そうとはっきりわかっていたわけではありません。ただ、入院するほど悪かった肺結核が、たったのひと月で見違えるほど元気になるというのは、どう考えてもおかしいでしょう。それに郵便配達夫の盛田さんの様子です。橘さんが刺されたと聞いた時、彼の眼球が尋常ではない動きをしていました。そして『犯人はもうわかったのですか?』と訊いたのです。まるで盛田さんは知っていて、犯人がわかってしまっては困るような言いかたです。この二つを考え合わせて、律さんという女性のほかにもう一人、この事件を複雑にしている女性がいると思ったのです」

 僕はそんなことにまったく気付かず、律とカヨが並んで写っている写真を見せられても、見知っているカヨを律と思い込んでいた。

「それに橘さんはあの通りの美男子ですからね。従姉妹同士の二人が同時に熱を上げても不思議はない」

 それから僕はカヨと両親が、橘のところへ見舞いに行くことや、カヨの家の下男が一足先に逗子へ行き、三人がお詫びをしたい旨を知らせていることなどを話した。

 その時、藤ノ木警部の部下がやって来て、橘の意識が戻ったことを知らせてくれた。これからは回復に向かうだろうという医師の言葉を伝えてくれた。

「よかったですね」

 僕は心から安堵した。笑みもこぼれていたはずだ。しかし先生は腕組みをして難しい顔をしている。

「どうかされたのですか?」

「下男が先に逗子へ行ったと言いましたね。橘さんが目を覚ましたことは知らないのでしょうね」

「たぶんそうだと思います」

「まずいことになりはしないでしょうか」

「あのう、まずいこととは? 先生は犯人がだれか、目星がついているのですか?」

「うーん。確たるものではないのですがね」

 いつになく歯切れが悪い。

「種々の状況を考え合わせると、私には一つの答えしか出てこないのです。寺木くん、私は仕事があるので行けないが、きみは急いで逗子に行きたまえ」

 先生は確かではないがと、もう一度前置きをしてご自分のお考えを述べた。それを聞いてとても信じられない思いがした。だが、仰せに従って逗子へと急いだのだった。

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