13-3

 意味が呑み込めず、僕と婦人は顔を見合わせた。

「あなたが」と盛田は僕に言った。「律さんだと思っていた人は、こちらのお嬢さんのカヨさんでした。カヨさんは橘さんのことが好きだったのです」

「ちょっと待ってくれ、あの人が律さんではなく、カヨさんだというのか。そしてカヨさんは橘さんが好きだった? しかし橘さんからの手紙が迷惑だと……。あ、そうか。あの人は律さんではなくカヨさんだから……」

「そうです。カヨさんは橘さんが好きだけれども、橘さんと律さんは好き合っている。カヨさんはなんとかして二人の仲を裂いて、橘さんの気持ちを自分に向けたかったのです」

 それで橘からの手紙を自分が受け取るように算段をした。盛田は初めはカヨにすっかり騙されていた。しかし途中で彼女が律ではなくカヨであることに気づいた。それでも騙されたふりをして、手紙はカヨに渡し続けたのだった。

「どうしてそんなことを……」

「そうですよ」

 婦人は神経的ヒステリックに叫んだ。

「カヨがいけないのは重々承知していますが、どうして娘を止めてくださらなかったのですか。それは悪いことだと叱ってくださらなかったのですか」

 まったくもってその通りだった。律は橘からの手紙が来ないために、病を重くしたかもしれないのだから。

「それは……」

 盛田は言いよどんだ。

「それは、私がカヨさんのことが好きになってしまったからです。橘さんからの手紙をカヨさんに渡し続ける限り、カヨさんに会えますから。そしてほんの少しでも言葉を交わすことができるからです。だけどこんなことになってしまった」

 カヨは律の名前で橘を呼び出した。その手紙を盛田は偶然、橘に配達することになったのだ。そしていけないことと知りながら中を見てしまったのだった。筆跡から律のものではないと発覚するのを恐れてか、ごく短い文面だった。

「カヨさんは橘さんに会い、思いのたけを打ち明けるつもりなのだろうと思いました。私の胸は潰れそうでした。橘さんがどんな返事をするのか、気が気ではありませんでした。律さんはご病気で会うこともかなわないのですから、カヨにほだされてしまうかもしれないと」

 しかし翌日、盛田は僕と先生に会い、橘が刺されたことを知った。自分の思いに応えない橘に、カヨは怒り我を忘れて刺してしまった。いや、いつまでも橘が律を思い、恋文を書くことに腹を立て、最初から殺すつもりで高燈籠に呼び出した。

「だから私はカヨさんと二人、遠くへ逃げようと……」

「信じられませんわ」

 婦人は蒼白になってつぶやいた。

「カヨが人を刺すなんて、そんなこと……。それに、そもそもカヨが律さんのふりをして、手紙を横取りするなんて。そんなことが……」

「私を信じられないのなら、カヨさんの部屋を調べてみてください。きっと橘さんの手紙があるはずです」

「いやいや、それはないでしょう」

 僕はちょっと笑って言った。文豪泉鏡花のもう一つの顔は探偵である。その弟子であり助手である僕にしてみれば、盛田の言うことは素人の考えだった。

「手紙を横取りした証拠を、自分の部屋に置いておくはずがありません。とっくにどこかに捨てているでしょう」

「あなたはわかっていませんね。人を好きになったことがありますか?」

 盛田は真剣な顔で僕をまっすぐに見つめた。

「好きな人の手紙を捨てるなんてできませんよ。たとえそれが別の人に宛てた手紙でも。彼の筆の跡を手元に置いておきたいと思うものです」

 僕は心の中で笑い飛ばした。いくら好きでも、他人に宛てた恋文など見たくもないはずだ。盛田の考えは完全に間違えている。

「私の考えが間違えているとお考えかもしれませんが」

 盛田はまるで僕の考えを見透かしたように言った。

「僕はカヨさんのことをよくわかっているつもりです。カヨさんは律さんになりきっていました。橘さんの手紙は大切に仕舞ってあるはずです。きっとだれにも見つからない場所に」

 それではカヨの部屋を探そうということになった。そんなにカヨのことがわかっているのなら、手紙の隠し場所もわかるだろう。できるものならやってみろ、という気持ちだった。

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