第63話 ー国境の城塞ー あな あはれ きのふゆゑ 夕暮悲し あな あはれ あすゆゑに 夕暮苦し あな あはれ 身のゆゑに 夕暮重し*

< 城塞『シュガローフ』 - 近傍地 - サナタ教現地司令部 >



従軍氏チャプレン、貴方は何を言っているのですか? 」


「ですから、シーミー川を越えることなくゴブリンドモは前進を止めました。司教参事会長アーチディーカン


「わかりませんね。そろそろ南中(正午)になるというのに、彼らは何が不満なのですか? 」


「不満と申しますか、先頭に立って集団を率いるゴブリンが残っていないのです。前線に残っているゴブリンは私どもの言う事を聞きません」


「報告にあった弓矢による不意打ち攻撃ですか。名誉を重んじる軍のとるべき戦術ではありませんね」


 司教参事会長アーチディーカンと呼ばれた中年男性はやれやれと大仰オオギョウに肩をスクめる。


「意見を申し上げてもよろしいでしょうか」

 従軍氏チャプレンは恐る恐るというテイながら、声とは裏腹に目には力がある。


「お若い方の向上心を摘むことはいたしません」

 司教参事会長アーチディーカンは全身を耳と化して聞くという姿勢をとった。


「ありがとうございます。今次の作戦指導は先見洞察が足りず、場当たり的な対処が繰り返されております。イヤシクも軍事作戦とは遠く状況の推移を洞察達観しあらゆる不測の事態に対応せねばなりません」


 突然演説をはじめた従軍氏チャプレン司教参事会長アーチディーカンは手のひらを見せて制止する。


「学習会での講習を大変お勉強されていますね。マコトに喜ばしいことです。ですが貴方は『先見洞察』という言葉を正しく理解しておりません。わたくしどもは1年前より貴方の言う『先見洞察』を持って作戦準備を進めてきました。問題は戦闘行動開始後の軽挙妄動にあります。おわかりですか? 貴方の話もしておりますよ。軍には統帥というものがあります。今、統帥という言葉を用いましたが、貴方の発言は初歩の戦闘指揮すらワキマえていないことも指摘しておきます。貴方が成すべきことは、学習会で使用された字句を覚えているか否かではありません。この状況を如何に好転させ得るのか、その一点についてのお話しをお願いいたします」


 演説冒頭で話の腰を折られた従軍氏チャプレンウツムいたまま顔を上げようとしない。


「ではこうしましょうか。攻城兵器を運搬している者たちの中で、戦意の旺盛なゴブリンを何十か前線にお連れなさい。イズれも力自慢の方々です。きっとお役に立つでしょう。組み立て前の攻城兵器の部材で移動盾を作ることを許可いたします。なるべく壊さないでくださいね。あれらは貴方の言う不測の事態に対応するために持ってきたものですから、城塞到達以前に使えなくしてはそれこそ本末転倒です。貴方にはそのまま最前線での戦闘指揮を命じます。ご自身の洞察力を十全に発揮して現在の膠着状態を終わらせてください。優秀な貴方には期待しておりますよ。質問がなければ直ちに始めてください」


 従軍氏チャプレンは顔を上げることなくとぼとぼと大型テントから出て行った。


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< 城塞『シュガローフ』 - 近傍地 - 傭兵隊A分隊 >


 シーミー川は川幅こそ10mもないが河底がV字型に切れ込んでおり、中央辺りはゴブリンの身長より深くなっている。

 真夏の昼間でもなければ誰も冷たい川の水に潜りたいとは考えない。


 A・B分隊に誘導されたゴブリンの群れは、冷たい水が流れる川に架かった唯一の橋へと殺到したが、橋に近づく度に左右から弓の斉射を受け戦闘集団が倒れると残りは逃げ帰るという行動を繰り返していた。



「おいおい! 何だありゃ」


装甲馬車ウォーワゴンじゃないですか。隊長」


「んなこたぁ知っている。奴等どこから調達してきやがったんだ? あんな物」


 古墳墓イドウムの上に寝そべっていた傭兵隊隊長と部下はそろそろと後ろに下がっていく。


 朝霧は陽が昇ると何時しか霧雨へと変わっていた。

 衣服を払っても泥は落ちず、身に纏いついたままだ。


 下で待機していたA分隊の隊員から馬の手綱を受け取った隊長は古参の隊員を呼び寄せる。


「奴等装甲馬車ウォーワゴンを繰り出してきやがった。馬はいねぃが馬車が橋に乗っかれば確実に橋は落ちるか? 」


「ちょっと見てきます」


 隊長に問われた古参隊員は古墳墓イドウムの上に登って、しばらく様子を窺ってから戻ってきた。


「ありゃ駄目です。後ろからついてくるゴブリンと車高があまり変わりません。あんなゴブリンサイズで落ちるなら、我々が騎乗で通過した際に落ちてまさぁ」


「やはり駄目か……」


「隊長! 」


「何だキクチューイ? 」


「俺が行ってきます」


「バカ野郎! あんな物まで持ち込んでいるんだ。橋が落ちても明日の朝までには架橋して通れるだけの資材も用意してあるのは確実だ。てめぇ無駄死にしてぃのか! 」


「明日の朝までゴブリンドモにシーミー川を渡らせなければ、あの人たちは確実にファグス・クレナへ逃げ込めます! 」


「……れたのか」


「違います! いえ、そうなのかも知れません。よくわかりません。ですが、あんな綺麗な女性のハラワタがゴブリンドモに食い荒らされる姿を自分は見たくありません。それは確かです! 」


 キクチューイは15歳で入隊し、入隊時から数年間はニック・ザ・グラブの従者だった。手先の器用な男で部隊内では何かと重宝チョウホウされている。隊長は共に居た十年間を回想する。


「それに、あの男。いけ好かない奴に見えたけれど、地下坑道を発見できたのは奴の手柄だそうですね。シュガローフの住民全員、奴に借りがあります」


「いや、それは……総司令官殿は内壁内への侵入を危惧されたので、調査を指示したのだ。連中は外と内、両方に向けて坑道を掘っていたが、内壁内の貯水槽に穴を開けたら全員水死していただろう」


 何か言い聞かせる口実はないかとニック・ザ・グラブは考え込む。


「隊長。命令はいりません。自分はあの橋で死んできます」


 晴れやかな笑顔を見せキクチューイは橋に向けて駆け出していく。



 後年の話だが、引退したニック・ザ・グラブは毎年私財からキクチューイの給与を捻出し、老いた両親に届け続けることになる。



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< 城塞『シュガローフ』 - 近傍地 - サナタ教最前線 >


「対岸へ押し入ろうとしたら橋が落ちただと! 装甲馬車ウォーワゴンの部材は回収したのか! 」


 新たに前線指揮を命じられた従軍氏チャプレンは、引き連れてきた屈強なゴブリンと共に持ち込んだ資材でタチマチちのうちに装甲馬車ウォーワゴンを作り上げた。


 信仰者ムッミンは当初抱いた新任の従軍氏チャプレンへの印象を完全に書き換えることを強いられる。

 今、目の前にいる男は頼りになる指揮官ではなく、青筋を立て、横溢オウイツした感情を押しとどめようとすらしない感情的な動物だ。


「川は普段より流量も多く勢いも強い時期ですから、部材の大半は川下に流れて行きました」


 従軍氏チャプレンは目を閉じてこれ以上の感情を爆発させて目の前の男を怯えさせないように無理やり気を落ち着けさせる。


「俺はこれから架橋資材を掻き集めねばならん。他に報告することがなければ下がっていい」


「今更ですが、ゴブリンドモは橋の落ちる前、盛んに水面に石を投げこんでおりました。上流から人が流れてきたようです」


「石など投げんでも此の時期の冷たい水であれば流された時点で死ぬのは確実だろう。余程近くで川に落ちていない限りはな」


「そう思います。退室のご許可をいただけますか」


「待て! 俺の持ってきた道具を使って渡河点トカテンまで塹壕を掘らせよ。ある程度掘り下げたら掘り出した土を対岸側に盛っていけ。匍匐ホフク前進が可能な高さであればよい。隠れながらの作業であれば士気の落ちこんだゴブリンドモであっても従うであろう。弓矢には触らせるなよ。こんなところで矢を浪費させるわけにはいかないからな。手隙テスキのゴブリンドモには投石用の石を更に集めておくように言っておけ。明日には古墳墓イドウムまでの地下坑道も開通するのだ。再架橋した後は損害をカエリみずに人海戦術で一気に突破するぞ」





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< 城塞『シュガローフ』 - 近傍地 - 傭兵隊A分隊 >



「隊長! D分隊が到着しました」


 中央部が崩落した橋を古墳墓イドウム上から眺めていた隊長は日夕ニッセキ点呼の為に下りてきた。

 B分隊が7人、A・D分隊の8人が3列で整列している。

 夜のトバリが下りるのもまもなくだ。


 D分隊長が一歩前に出る。

「城内警備任務をC分隊と交代! 10班・11班只今到着いたしました! 12班は兵舎にて待機中。欠員無し! 」


「D分隊は直ちに左陣地へ! A分隊は後方に下がり戦術予備を命ず! タダし3班は帰舎してよし! B分隊6班も帰舎してよし! 帰舎後待機中の1班・4班に前線への出動と(補給)段列任務を伝達せよ! 食料・水・厚手外套ガイトウ・乾いた衣服、必要だと思う物を洗いざらい持ってこさせろ! 」


「了解いたしました! 」


 傭兵たちが一斉に動き出す。


「隊長はお休みにならないのですか? 」


 1音1音を明瞭に発音するよく通る声で話しかけてきたB分隊長兼傭兵隊副隊長。


「ゴブリンドモが一気呵成カセイに攻め寄せてこようとしているのにか? 冗談はよせ、ヴィング」


 古墳墓イドウムにて、全員の食事と衣服の交換が一巡した数時間後の深更シンコウ

 ニック・ザ・グラブはB・D分隊長を呼び寄せる。


「撤退する。あの数は防ぎきれそうにない」


 B・D分隊長は黙ってウナズいた。









次話の投稿は二週間以内にできるといいなぁと思っています。

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* 上田敏訳詩集『海潮音』アンリ・ドゥ・レニエ「銘文」新潮文庫 1952

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