The Outsider ~規矩行い尽くすべからず~

藤原丹後

第0章 プロローグ

第1話 徒然

 特養(特別養護老人ホーム)から帰宅した。


 築50年弱のマンションの1室。1人で暮らすには広すぎる自宅。昔は親子4人で暮らしていたが今は1人暮らし。

 父は四半世紀前に酒の飲み過ぎで他界。姉夫婦は隣県で暮らしている。

 母は数年前にも転んで骨折して、医者に「もう歩けないかもしれません」と言われたけれど、最初の骨折からは運良く回復した。でも、2度目の骨折でついに自力で歩けなくなった。


 母の1度目の入院時に、定年退職まで数年あった郵便局を俺は早期退職し、目出度く無職というジョブ? タスク? を手にする。主夫という言葉があるのは知っているがちょっと違う気がする。

 俺の役割にふさわしい言葉は何だろう?

 職に就かずに母親の介護をしている息子。

 まぁ母は特養に入っているので、やってることは汚れ物の洗濯だけだが。

 警官に職質されたら、やはり無職ですと答えるべきか……

 警官だって仕事なのだから個々人の細かい家庭の事情を聞かされても迷惑だろう。


 1人で食べる夕食。


 日替わりの具に、溶き卵を入れて錦糸卵状になったものと刻みネギをふっていろどりを増やし、普段より少し手間をかけた味噌汁が食卓にあると、母は「きれいやなぁ」と毎回喜んでくれた。

 そんなちょっとしたことをふと思い出す。

 生味噌を買うのをやめて、フリーズドライの味噌汁ですますようになってから、もうどれぐらいの月日が流れたのだろうか。


 認知症が進行し、流行り病の数年後に面会できた母は、もう俺のことがわからなくなっていた。

 女性用の下着を買うことにも抵抗がなくなり、特養へ週に2度母の着替えを持って行き洗濯物を回収する。

 そして月に1度の面会日。母は俺を「誰だろう?」という顔で見つめる。その間、会話は途切れ時間だけが過ぎていく。


 先月なかったことが今月あることもなく。

 今月なかったことが来月あることもない。

 何もない日常が過ぎていく。


 ある日。何時ものように洗濯物を干しにベランダへ出ると、隣室との隔て板の下部3分の1ぐらいが銀白色の霧状のものに覆われていた。

 最初は煙と見間違えた銀白色の霧。それは「霧」と呼ぶには密度がありすぎ、しかし「液体」と呼ぶにはあまりにも軽やかだった。ふわりと宙に浮かんでいるようだが、風にたなびくことはない。不自然なほど静止し、風に揺れる白いカーテンのようにも見えるが、よく見るとそれは霧と言うほかないが霧とは違う別のものだった。

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