第39話 春風以接人(春風を以て人に接す)

 駅前に着いた。地下鉄を含め複数の鉄道会社の駅があり、JRの駅別乗降客数では日本で20番以内……50番以内? ……恐らく100番以内には入っていると思う。知らんけど。


 駅ビルで服を買おうと車を駐車場に駐めたのだが、助手席側のドアを開けてもマヤは無反応のまま真直ぐ前を見ている。車の前は何もない駐車空間。その先には殺風景な壁があるだけで特に気を引きそうなものはない。


「マヤ? 」


「ここで待っていますから早く服を買ってきてください」


 意地でも俺の顔を見る気がないらしい。


「悪かったって謝ったのだから許して。こういう場所で駐車車両に君を残していくと余計な面倒事が起こる可能性があるし、女性服のサイズなんか俺には分からないのだから俺だけ行っても意味がない」


「但馬さんは変な服を着た私を人目に晒せば楽しいのでしょうけれど、私はそんな辱めには耐えられません! 」


「いや。それは語弊がある。変とは言ったけど、色々違う意味で変な服を着ている男女は街中に一定数いてるから、今の君の服を見て誰もが変だと思うわけじゃない。変というのは俺の好みの服ではないという意味で言っただけだし、外に出れば、多分君は何故この場所には歳若い売春婦がこんな時間から大勢オオゼイいるのだろうかと疑問をもつと思う」


「そんなところに連れてきて、但馬さんは私に何をさせるおつもりですか? 」


「初対面のときに言ったよね。文化的な差異からくる誤解の可能性については。海外では売春婦しか穿かない短いスカートを日本の女性は真冬でも気にせず穿いている。それに日本に限らないけど、こっちの世界で女性がズボンを穿いていることは珍しいことではないよ。少なくともマヤがズボンを穿いていることを指して奇異な目で見られることは絶対にない。批判的に見る女性がいるとしたら、今穿いているジャージが繁華街を歩くのには相応しくないと、他人を批判的に見下したがる心の女だけだから、そんな女から指を差されて何を言われてもマヤが気にすることはない」


「気にします……」

 真っ直ぐ前を見ていたマヤは顔をウツムかせ、耳をすましていなかったら聞こえないほどの小声でツブヤいた。


「では、こうしよう。ここから店に行くまでの半時間。マヤが気恥ずかしさに耐えてくれたら、マヤが一生忘れられない素晴らしい体験のできる施設に連れて行ってあげる。だからの後ろに隠れて、周囲の声や視線を無視し顔を伏せながらついてきて」


 マヤが顔を上げ、俺に視線を向けた。

「本当に生涯忘れられないような素晴らしい施設に、私を連れて行ってくれるのですね」


「約束する」

 家を出る前に一応確認したから大丈夫なはずだ。何も知らなかった中学生のときに行ったらポケコン* を手に持った眼鏡しかいなくて場違い感が半端なかったが、今は、天文オタの日、一般向け、アベック(死語)向け、という風に曜日別で内容を変えることはやっていない。と思う。


 車から降りたマヤは俺の目の前に立つと、息がかかるほどに顔を寄せる。

「……信じていいですか」


 ここは全力でボケるべきなのだろうか? 関西人と親しくなるということがどういうことなのか、マヤが今の内から知っておくことは今後のことを思えば決して悪くない選択だ。





「今日。別れるときに、信じてよかったと必ず言わせてみせる」

 俺は内なる悪魔の抗しがたい誘惑に打ち勝ち、真面目モードを維持することに成功した。

 マヤは小さくウナズいた。






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* ポケットコンピュータ。関数電卓の延長にあるプログラム電卓から派生した製品。BASICやC言語等のプログラムを走らせることもできた。

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