第49話 君のまちがいは いつもおびえる心



 昼食へと向かう車中の空気は随分と華やいだ気がする。そんなにズボンが嫌だったのか……


 車は軽自動車であればギリすれ違えるかという狭い路に入って行く。

 この辺りは空襲で焼け残ったのか、戦後の早い時期に家を建てたのか、古い民家がぽつぽつと残っていて、第2次ベビーブーム・高度経済成長期・バブル時代と、日本の直近百年間の民家見本市という景観になっているので、街並みに統一感が全くない。寧ろ最近建てられた家の方が異様な場違い感を醸し出している。


 目指す日本料理店に到着した。開店してから十年経っていない。

 店指定の駐車場に車をとめる。

 狭い範囲とは言え20年前であれば、こんな辺鄙というか都会の隙間のような場所に、ランチで4000円も要求する店を出店しようとは考えなかっただろうし、地銀や信金も審査を通さなかったのではなかろうか。


 俺は小学校への通学路だったので、この辺は自転車の通れない路地にまで精通していたが、外からやってきた人はナビがなければ店にたどり着けないと思う。


 古い民家を部分的に改装した店内に入る。

 如何にも近所のおばちゃんがパートでやっていますという感じの中途半端な服で、中年女性が玄関口に出てきた。前掛けがなければ店員かどうかの判断がつかないのだが、夜営業ではまともな服を着た店員が出迎えるのだろうか?


「先程お電話をさせていただきました但馬です。今からでも大丈夫でしょうか? 」


「はい聞いております」


 にこやかな笑顔で初めての部屋に案内される。中庭が見える。桜。いや、アーモンドの花が少し残っている。日当たりの悪そうな庭だから遅れて咲くのか。今まで一人で食べに来ていた部屋と明らかに違う部屋に通されたということは、これまで俺は上客と見做されていなかったことになるな。


 久しぶりなので、何処が上座か一瞬迷ったが、とりあえず床の間の前に座った。

 この部屋のように明確な席次が定まらないようにワザとあしらえた部屋はうっとおしいだけだ。


 そういえば、外国人は畳に座るということがが苦手らしいが、このたちは大丈夫なのだろうかと見回すと、各々が慣れているように畳の上に座っている。野外やダンジョンで地面に座ることもあるのだろうから杞憂だった。


「ランチは真コース4人様と聞いております。変更やお飲み物のご注文はありますか? 」


「私は車の運転がありますし、このたちは未成年ですのでコースだけで結構です。ただ……この3人は生魚を食べれていないので、焼き魚か他のものに変更が可能であればお願いします。時間的に無理なようでしたら生魚は残すかも知れませんが、お気になさらないでください」


「変更が可能かどうか聞いてまいります」


 仲居さんが退室すると唯一会話を理解できたであろうリンが、食べられるのなら食べたいと言ってきた。


「変更できなければ、そのまま食べれば良いけど、こちらが要求して向こうが応じてくれたのに、それを又変更してもらうというのはめて」


「どうしてよ。こっちは客なのよ。食べたいものを食べたいと言って何が悪いの? 」


「こういう店は料理の一品一品にそれなりの手間をかけている。店がどの段階から何にどの程度の手間をかけるかは分からないけれど、入店した時点で下拵シタゴシラえを始めていたのなら、既に素材を無駄にさせたかもしれない。こちらの要求に応じてくれると仲居さんが伝えてくるさいには既に変更した調理がはじまっている。それを再変更して最初のものでいいなんて言ったら、間違いなく気を悪くさせる。そんなことはできない。生魚が食べたいのなら別の機会に試して」


「だから、それがわからないって言ってんの」


「あのぉ但馬さん。お店の人が気を悪くするからできないとオッシャっておられるのですか? 」


「相手側の立場をオモンパカって行動するのが、日本社会の美徳だよ」


 引き戸が音もなく開いていくと先程の仲居が顔を出し、料理の変更に応じるため少し時間がかかると告げてくれた。


「今、どちらのお言葉で話されていたんですか? 」


 大阪のおばちゃんであればこれぐらいは許されるという、剥き出しの好奇心で聞いてきた。本当に中途半端な店だよな。ここ。オーナーは従業員教育にも力を入れて欲しい。まともな日本料理店のつもりでいるのなら。


「東欧寄りの西アジアですけど、事情があって、SNS等に書かれては困りますので国名等への詮索は止めてもらえますか」


「書きやしませんよ。皆さんお綺麗だと思ったら、あちらの人だったんですね」


 若い頃から何度も思っていたけど、俺の連れが美人だと褒めることが、初対面でその場限りの他人にとって何の意味があるのだろう。見れば誰でも思う事について相手の同意を求める行為。この歳になってもどういう返事を望まれているのか未だわからない。

 生涯で、一度で良いから言い返してみたい「羨ましいのか」と。


「ありがとうございます」

 何でお礼の言葉の無理強いをさせるのだろうかと不満を感じつつ、会話は終わりだとの意思表示を込めて仲居の顔を見ずに返事すると、向こうも引き戸を閉めて下がってくれた。


「食事がくるまで少し時間がかかるけれども生魚は出さないでくれるそうだよ」

 日本語の会話がわからないマヤとロミナに説明する。

 ロミナと視線が合うと向こうから話し掛けてきた。


「日本人ばかりが私たちの国にやってくるのは、但馬様のオッシャった美徳と関係があるのでしょうか? 」


「そう! それよ! どうして来るのは全員日本人なわけ? 」


「私も気になります! 但馬さんは日本の他にも色々な国があるようなことを言われていましたよね。でも私たちを『異世界人』と呼ぶのは日本人だけです。どうして他の国の方はいらっしゃらないのでしょう? 」


「何か誤解があるようだけれど、その質問に俺が答えられたら逆に変じゃない? 」


「でも、気になります! 」


「何故かはわからないけれど、もし俺が超常の力で異世界へ人を送り出すなら、高い人口密度の都市で、深夜に子供や女性が出歩いても、犯罪に巻き込まれる恐れの少ない日本を選ぶだろうなとは思うし、別に不思議はない。あぁ絶対に犯罪に巻き込まれないとは言っていないよ」


「たいした自信ね。あんたにとって日本は特別なんだろうけど、あんたがもう少しお利口さんなら、そういう考え方は間違っているということに気付けたのでしょうね」


「だから誤解があるって。何故日本人だけが異世界と接触できるのかではなくて、異世界と接触できるのは何故日本なのかという思考実験をしているのだから、日本が特別な理由ではなく、日本を特別にしている理由だったら思うところがあると俺は言っている」


「えっと……どう違うのですか? 」


「但馬様は、明白な原因が有るという前提を基に異世界との接触という事象が起こることへの考察をしているのではなく、異世界との接触という結果から事象への類推をすることであれば可能であり、それを思考実験と呼ばれているのではないでしょうか」


「つまりあんたは日本が特別だという理屈を講釈したいと言っているんでしょ! 何も誤解なんかないじゃない! あんたが大バカだという事実は理屈じゃ変えられないのよ」


「但馬さんの言う日本が特別な理由とは何なのでしょう。それは本当に特別なのですか? 」


「日本社会の特異性については外国人も色々言っていて、よく言われるのは日本人の集団主義* なんだけど、それは間違っている。日本人の公共性の高さについて、称賛する外国人もいれば、自分たちの国も昔はそうであり、現在では日本人のような高い公共性を持ち得ないのは、移民や特異な教育の産物のせいなのだと言っている人もいる。他人の言葉ではなく自分の言葉で語れということであれば、近代以降の歴史、中国やインドの生産力を凌駕した産業革命以降の欧州が何をやってきたのかを知れば自明だと思う」


「その欧州という国と日本は違うと但馬さんは考えておられるのですね」


「直近半世紀の歴史がそう言っている」


「何が違うのでしょうか、但馬様」


 俺は卓上にあるもので簡易の世界地図をす。


「欧州というのは、この辺の国々の総称で長らくアフリカという大陸を支配下に置いていた。こっちの米と言う国は中南米諸国を米の支配下にあると見做して、他国の介入を長らく許さなかった。両者の違いはアフリカは欧州の植民地だったけど、中南米諸国は米の間接支配であり直接統治はしていないこと。最高権力者の首を挿げ替えるときは宣戦布告のない侵略戦争を一方的に行ったり、テロリストを送り込んだり、反政府思想の集団に金や武器を供与するという方法を用いていた」


「日本はそんなことをしなかった。だから特別だと、あんたは言いたいの? 」


「そうじゃないし、欧米がやってることは日本もやっている。米の手法は国の内外で批判されたから、米は手綱を緩めることになり、その結果南米の一部の国は経済発展を遂げることができた。それに対してアフリカ、サハラ砂漠以南のブラックアフリカと呼ばれている国々は、南アという例外を除いて未だに後進国と呼ばれている。時折現状を改めようとする指導者が頭角を現すが、国のトップになっても支援した有力者たちの私腹を肥やさせる気がないと判明すると直ぐに失脚させられる。役人は上から下まで私腹を肥やし、自分と家族が欧州のどこかの国で暮らしていける財産を得たら生まれた国から逃げ出すことしか考えていない。諸外国が貧民のために提供した転売しても儲からないトウモロコシの屑ですら、僅かな金を得るために横流しする役人ばかりだ」


「あのね、あんた。あんたの世界の人間がどうしようもないからと言って、だから日本は特別だということにはならないのよ」


 ノイズは無視。


「事実として、この辺の東南アジアと呼ばれている国々はイチジルしい経済発展を遂げている。マレーシアの国家元首は『日本から学べることは日本の失敗だ』と言っているが、別のところでは『日本人の規律と規範を学べ』とも言っている。後進国と呼ばれている国々の最大の問題は縁故主義だが、東南アジアの国々にはその縁故主義を克服した先の日本という成功例が目の前にある。勿論日本にも縁故主義はあるし、大統領という国家元首が任期を終える度に逮捕されても先進国と呼ばれている国もあるから、程度の問題なのだけどね。ブラックアフリカや中南米と経済発展の度合いが乖離したのは直近に日本という国があるかないかの一点だと俺は思う」


「うわ~日本って凄いんだ~」


「ここにフィリピンという国がある。人口も多く、他の東南アジアの国々よりも日本に近い。国際語と呼ばれている英語がある程度通用する。周囲のどの国よりも先に発展できる下地はあったのに、他の東南アジアの国々と同じく経済発展することができなかった。その最大の理由はフィリピンの宗主国が米だから。80年前に日本は米を相手に大きな戦争を吹っかけてボロ負けしたけれど、一時期は東南アジア一帯を占領していた。占領期の日本人は色々と評価の低い駄目なこともやらかしたけど、再占領した米は日本が敷設した舗装道路や発電所や現地住民用の施設を破壊した。米にしてみれば文明的な暮らしは米人と一部の現地人だけが享受できればよくて、その他大勢の現地住民のために補修等で余計な出費を払い続けるようなものは必要ないと判断したのだろう。日本が米の植民地であるフィリピンに攻め込んだとき、米軍の最前線では食べるものが無かった。米軍の備蓄食料は現地のフィリピン人がそれぞれの家庭に持ち帰り、命じられても米軍に協力しなかった** 者がいたように、米は植民地の住民全員から支持されていない。日米戦より前に、米はフィリピンの民間人を大量虐殺したという歴史的経緯もあるから、米は植民地というものを真面目に統治しようと考えていなかったのかもしれない」


「だから日本は特別であると、但馬さんは考えているということでしょうか? 」


「今話したのは一例だよ。ブラックアフリカと中南米を一緒くたにしたけれど、細かいことを言うと歴史的な経緯が違う。ブラックアフリカにも優秀な指導者は時折現れるし、中南米には近代教育を全く受けていないのに国民から絶大な支持を得られた指導者もいた。でも、そういう人たちは国家を発展させる前に消えていく。俺はその理由を国民が国家を全く信じていないせいだと思う。何故東南アジアの国々だけが他の後進国より先に経済発展を成し遂げたのか、日本抜きでその理由を説明しようとする人は、特定民族の優秀性を唱えたがる危険な人種差別主義者か、日本蔑視者だろうね」


「はっ! 笑える。あんたが正にそうじゃない。自分が差別主義者だと認めていることに気がついていないの? 」


「以前街を歩いていると、川に架かった橋の上で白人の集団十数人が熱心に川を見続けている光景に出くわしたことがある。鳥や魚が見えるわけではないし、護岸工事で垂直に切り立った川岸。何も見るべきものなんかないと首を捻ったけれど、俺がその集団の後ろを通りすぎてしばらく進んでから振り向いても未だ見続けていた。多分あの連中は昼間人口が数百万人の大都市に流れている川面にゴミが全く浮いていないことが信じられなくて、何処かにゴミと呼ばれる異物が浮いているはずだと、ゴミが流れてくるまで待ち続けていたんじゃないかな」


「但馬さんは以前にもゴミという言葉を使われていましたね」


「これから行く図書館周辺には、川なのか水路なのかよくわからないところがあるけど、そこには間違いなく俺がゴミと呼ぶ物が浮いていると思うよ。日本人だから絶対に住んでいるところを汚さないというわけじゃない。これも程度の問題で、日本人の高い規範意識や公共性は日本人だけが言っているのではない。黒人と言われている人たちの高い運動能力を褒めることが差別主義だと言うのなら、この話はこれ以上続けても意味がないことになる。上手な絵を描ける人もいれば、音楽感性に優れた人種もいる。他と違うことを指摘することが結果的に称揚していることになり、それは差別だと言われてもね」


「日本人には高い規範意識と公共性があるということが、但馬様の類推ですか? 」


「後は……『足るを知る』という言葉がある。半世紀前、高度経済成長期後の日本人は大半が中流層以上の生活を手に入れることができた。贅沢を望まなければ程々の満足を得られる事を日本人は知っている。国民に余裕があるから人口ボーナス*** 後の低迷する経済下でも国内が混乱しない。まぁ日本人は諸外国と比して為政者への信頼が異様に高いせいでもあるし、高いがゆえに『山がうごいた』という言葉に象徴されるように、時折国民は今の政権与党に駄目だしをするけど、基本的には現与党のすることを放置している」


 誰も納得したという顔をしてくれない。


「お待たせいたしました」


 引き戸が開き膳が運び込まれてきた。食卓の上に並ぶ、これぞ日本料理と言うべき色とりどりの品々。少女たちが口々に称嘆ショウタンしていく。


 20年ぐらい前だったろうか。温泉宿に泊まると夕食の前に変な儀式につきあわされることが何度かあった。

 部屋の灯りを最小にして「料理の演出でございます」と言って色々やっていたが、俺は心底つまらなそうな顔をして眺めていた。

 あの頃。仲居さんは、今俺の前で無邪気にハシャぐ少女たちのような反応を俺に期待していたのだろうな。






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* 高野陽太郎 『「集団主義」という錯覚―日本人論の思い違いとその由来』新曜社 2008年


** ハンソン・ボールドウィン『勝利と敗北 第二次大戦の記録』朝日新聞社 1967年


*** 子供と高齢者に比べ、生産年齢人口が多い状態。 人口ボーナス期では豊富な労働力を背景に個人消費が活発になる一方、高齢者が少なく社会保障費用が抑えられるため、経済成長が促される。

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