第7話 道は近きにあり而るにこれを遠きに求む*

 ベランダでアレに気づいてから自分の部屋に戻った。うん。自分に言い訳するのはもう止めよう。

 訳の分からん生物? が徘徊し人が死んでいる。なのに何も考えず、何も知ろうとしない。俺はそんな人間じゃない。

 これまでもある程度のアンテナは張っていた。


 とりあえず、ダンジョン入口を発見したのに報告を怠った理由を考えておこうか。

 老いた母を癒すポーションが欲しかった。これだろう。俺の中の常識では、加齢による骨折や認知症が薬で治るはずがないのだが、そもそもダンジョンなんてものが現実にあることが俺の中の常識にはない。

 それに本当に高グレードポーションを見つけることができたなら売る前に使うつもりだ。タメしに自分へ使うか母を優先するかは幾つ見つかるかしだいだが。


 報告が遅れても初犯だし情状酌量が狙えるんじゃないかな。

 低脅威度ダンジョンなのだから、一週間? 二週間? ぐらいだったら、罰金刑で済むだろう。済んで欲しいなぁ。一ヶ月を超えると追及が厳しそうだけど。

 中から溢れ出た怪生物? が、近隣住民の身体に害を及ばさないことを願うばかりだ。

 もちろん最初に襲われるのは俺だろう。


 次は更なる情報。

 スレッド形式の掲示板。これは駄目だ。新しいスレを建てても、数十分以内には埋め立てられる。

 時々、関係ないスレにゲリラ的なダンジョン情報が書き込まれるが、これも速攻で埋め立てられるし、スレ住民への迷惑行為にしかならない。

 運営側も海外からの書き込みを弾く工夫をあれこれ試みたらしいが結果は惨敗。

 某検索エンジンはダンジョン事案以前からキャッシュを表示しないことが増えていたし、生き残ってる個人サイトやブログは、生きているその事が、内容を信じていいのか疑わしいというジレンマ。

 結局、国の公開情報に縋るしかない。



 先の戦争。大本営発表や独・英・米** 。戦争に負けているときや劣勢だと、国や軍それにマスメディアは国民に嘘をつくんだよなぁ。

 戦争中に正確な報道がなされないのは仕方がないけれども、太平洋戦争が終わって80年近くになるというのに、未だ歴史とまともに向き合えない日本という国。

 欧米が制作した映画『空軍大戦略*** 』では、劇中で描写された前線の状況とBBCの戦況放送が乖離カイリしていることで、戦争の一面を正確に描写している。

 翻って邦画。何故か日本という国家だけは誠実でなければならないという大前提を開陳し、監督の頭の中にしか存在しない崇高な理念を実践する日本政府・軍ではなかったという理由で、特定の国や民族を「だから日本は駄目だ」「日本だけは駄目だ」と否定し切り捨てる。

 自身が制作している映画をぶち壊していることに気がついていないのか、作中でアジ演説を二度繰り返したアノ監督。自分がどれだけ危険な信条の持ち主なのか、生涯自覚することはないのだろうな。どうしてそこまでも、日本政府と日本軍だけは人類史上存在したことのない清廉潔白な存在でなければならなかったのだと思い込めるのだろう……

 人類史に時折みられる独裁者や民族主義者特有の、自民族だけは他とは違う“特別”な存在でなければならないという非常に危険な思想は、映画を観ていて実に気持ち悪かった。

 俺は怪獣特撮映画を見に来たはずなのに、一体何を観せられているのかと。


 閑話休題。


 ガタルカナルの惨状が伝えられた書籍**** が戦争中に出版されただけでも、英米より日本はましだともいえる。たとえそれが帝国陸海軍の足の引っ張り合いの産物だとしてもだ。

 第一次世界大戦では、戦場に招聘ショウヘイされたイギリスの文人が提灯記事を書かずに戦場の現実を公表すれば、反戦機運が高まり戦争はもっと早くに集結したという話もあったし。



 さて、お前が言うなと突っ込まれる前に話を戻そう。って俺は誰に弁解しているのか……


 中・高脅威度ダンジョンでは定期的に民間人を締め出し、機動隊や自衛隊が何かをやっているが、頻度が低く、閉鎖される間隔が一定なのだから、我が国は対ダンジョン戦を優位に進めているのだろう。恐らくは。


 公開情報によると、通称第1層にいるのが粘菌型生物で「スライム」と仮称されている。

 ダンジョン外に持ち出すと数十分で米粒ぐらいの固体を残し消滅する。残された固体に金銭価値はないが、踏み潰すことが推奨されている。対処方法は凍結させてから踏み潰すか、ダンジョン公社が販売している簡易火炎放射器で粘菌を払った後に出現した固体を潰すのだが、そんな手間をかけるものは殆どいない。主にダンジョン初心者がゲーム感覚で打撃武器を使用して叩き潰している。

 尚、ダンジョンマナーとして、中高年の男女が一人でスライム潰しに来ているときには話しかけたりせず、いないものとしてスルーするのが礼儀とされている。


 火炎放射器か……誰も気にしていないけれど、所謂ダンジョン法は正確に言うと法ではなくて条例で、都道府県によって差異がある。護身の為の最終自衛手段としてのみ使用を許可している都道府県が多い。それと、ダンジョン公社で販売している物を改造して所有していたら、即ダンジョン入場許可証が取り消される。

 まぁ俺には関係ないけど。


 通称第2層。犬に似た四足歩行生物で「狼」と仮称されている。

 掲示板が荒らされていない頃には何故「狼」なのかで色々と言われていたが、動物愛護協会から犬を殺すのかとの苦情を避けた説。通常の犬と区別がつかなくなるから説。が最後まで残っていた。

 ダンジョン外に出すと、数時間で成人男性の足の小指の爪ぐらいの固体を残して体は消滅する。飛び散った体液はダンジョン内でも1時間以内には消滅することが確認されている。

 残った固体はダンジョン内に張り巡らされた有線コードの添加材として使われているというのが、現在公開されている使い道の一つだ。

 常時買い取りがおこなわれているが、一個、数十円ぐらいなので、買取金額が上がる強化買取期間中に半日ダンジョンにコモって、集中的に狩った個体の体内から取り出した物を集めない限り、子供の小遣い程度の金銭価値にしかならない。

 対処方法について特記事項はなかったが、集団の「狼」であれば、リーダーとオボしき最大の個体を先制・集中攻撃すれば、集団が逃げ去ることもある。とあるな。

 それと、「狼」を狩ることについて心身に負担を感じるようであれば、通称第2層以降に進まないように警告されている。


 通称第3層。小学生ぐらいの背丈で「ゴブリン」と仮称されているものがでてくる事が多い。

 全身がっしりした体躯、身長に比して異様に大きい手と太い指。

 某寺の鬼の像と似ている・似ていないとの論争がネットではカマビスしかった。

 集団内で会話を交わせる知性があるとされているが、何を言っているのか解読できたという報告は今のところない。

 この個体の集団も圧倒的劣位になると逃げだすことが知られている。どういう条件かは未解明。

 「狼」よりはダンジョン外での生存期間は長いが、10時間以上、体を保った事例は確認されていない。消滅後の固体は「狼」より少し大きいが、買取金額は「狼」と変わらない。

 「ゴブリン」を殺すことに痛痒を感じないことがダンジョン中級者の条件とされている。


 一般的なダンジョン情報はこんなものか。タマに変則的なダンジョンもあるらしいが、低脅威度ダンジョンはほぼ似たような構成らしい。

 そういえば、ダンジョン情報が公開されてすぐに、ダンジョン=神の造ったゲーム説があったな。確かにゲーム的な構成だと俺も思う。何の神かは知らないけれど。






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* 孟子の言葉でも故事成語でもありません


** ハンソン・ボールドウィン『勝利と敗北 第二次大戦の記録』朝日新聞社 1967年

・英独航空戦ではどちらの国も損失を過小に戦果を過大に発表している。

・米は日本海軍巡洋艦への至近弾を戦艦撃沈と発表。フィリピン攻略に苦戦している本間中将が自殺したと発表。所謂バターン死の行進で知られるバターンにおいて前線の米兵が飢えに苦しんでいるのをよそに、後方にいた一部のフィリピン兵は米軍の糧食を自宅に持ち帰っていて前線に糧食を送らなかったことも指摘している。


*** 『空軍大戦略』 英・西独・米合作映画 1969


**** 文化奉公会『大東亞戰爭陸軍報道班員手記―ガダルカナルの血戰』大日本雄辯會講談社 1943年

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