第33話 解決策がわからないのではない 問題がわかっていないのだ

「偉大なる御主人様。入室の御許可をタマワりたく存じます」


 ドアノック後、小男は定型句を述べる。声が聞こえたのか、ノックの音を受けてなのか、扉は部屋のアルジの意に応じて開く。

 20メートル四方はある無駄に広い執務室の最奥に、横幅が6メートル縦が2メートルある、使い勝手よりも部屋の主の虚栄心を満足させることが目的のような執務机が据えられ、机の後ろには長辺が3メートルの水彩画が飾られている。モチーフは優雅に思索しているブレーダルベイン・フィリップ・クーム侯爵。この部屋の主だ。


「なんだ? 」


只今タダイマ、オールバラ家の者と日本人が球冠キュウカン鏡にて接触してきました」


「オールバラ家は何と言ってきたのだ? 」


「オールバラ家の者は何も話しておりません」


「ん? 日本人が代弁者か? 」


「日本人は『球冠キュウカン鏡について調べている』とのみ言ってきました」


「お前の話は分からん。あれは王家からの連絡を受ける物だ。今回のように稀に日本人が接触してくる事もあるが、我が領への訪問か、交易を望むぐらいなものだろ? 調べる? 何を? それにお前の話が全てであるのならば、何故お前はオールバラ家の者を見知っておるのだ? 」


「日本人の不明な言動は深く考えなくともよろしいのではないかと。オールバラ家の者についてでございましたら、先年マリルボーン伯爵家のパーティーにて、ラウザー男爵家の従僕が庭園で殺害されたことがありました。覚えておいででしょうか? 」


「ふむ、そのようなこともあったやも知れぬな」


「その際に、の家令テイラーに付き従っておるところを見かけたのでございます。『テイラーの秘蔵っ子』と言われておったのが、最近では『オールバラ家の長い手』と巷間コウカンで言われるようになった娘です」


の家はそのような娘を付けたのか。その『長い手』というのは、お前が今名付けたのではあるまいな? そのような話初耳ぞ。で、お前はその従僕を闇討ちしたのはその娘だと? 」


「そこまでは言っておりません。ただオールバラ家は20年前には没落必至と言われておりました」


「わしも選べるのなら、あのような優秀な家令を雇いたいものだ」

 部屋の主は家令の全身を上から下まで一見する。


菲才ヒサイの身にては恐懼キョウクの極みにございます。20年前。の地に日本人が訪れた。そういう噂も当時はございました」


「続けろ! 」


「はい。その頃のの者は領内の見回り時にも見知らぬ文字で書かれた小本を常に携帯していた。そのような噂を小耳にはさんでいたことをふと思い出したのでございます」


「なるほどな。用件は分かった。それで? お前は我が家から誰を遣わすのが適当だと考えておる? 」


「オールバラ家の者に見劣りしない能力と容姿の持ち主は当家でも限られているのではないかと」


「回りくどい話はもうよい。ロミナを呼べ! 」


「はっ! 」

 家令は室内の伝声管にて家政婦長に主人の命令を伝達する。


 しばらくした後に執務室の扉からノックの音がした。

 部屋の主が左手を扉の方に向けて、その腕を横に動かすと扉が独りでに開いていく。


 扉が完全に開くと、最敬礼のお辞儀をしている短い赤髪の少女が顔をあげた。

 少女は一言も言わず、しずしずと歩きながら真っ直ぐに執務机の直前まで来ると静止する。


 部屋の主は人差し指のみを立てた右腕を机上に向けるとゆっくり時計回りに一度だけ円を空中に描く。


 それを見た少女は、主の指と同じく時計回りにその場でゆっくりと身体を回す。


「お前の変わらない美しさは今日も眼福ガンプクだ。流麗リュウレイな肢体はどこから眺めても素晴らしい」


マトった衣服を脱ぎさり、直接御確認なさいますか? 」

 入室した少女は低い声で訊ねながら、ブラウスのボタンに手をかける。


「我が劣情を誘い、子種を強請ネダるか。平民とは浅ましいものよ」



 幾度となく繰り返された儀式。



「子細はスペンサーから聞け。お前には高い金をかけておる。今次コンジのような男に媚びる所業、決して軽々に行うな。わしの満足を得られれば今度の日本人にお前をくれてやる。だが日本人というのは純潔信仰が強いと聞く。結果をださぬうちから間違いは犯すなよ。今度の日本人がお前の夫に相応しいか、それを決めるのは最短でも数年先の話だ。何年も経てば別の有用な日本人が現れるかも知れぬ。お前の使い道はまだまだあるのだからな」

「スペンサー。日本人には何と言って接触を切ったのか? 」


「はっ。『明日の同じ時間。午後1時にもう一度、球冠キュウカン鏡を使え』と伝えておきました」


「ロミナ。お前は先にスペンサーの執務室へ行け」

 少女は机の前と部屋を出る際に二度、最敬礼のお辞儀をした後に退出した。


「スペンサー。可能であればお前の言う小本をオールバラ家から奪取するように日本人に命じよ」


「かしこまりました。それはロミナをダシに使うということでよろしいのですか? 」


「お前の言う『長い手』が常に側にいるようでは、それも難しかろうがな」


「首尾よく本を奪ってくれば、本当にロミナを下げ渡すのですか? 」


「お前は何を言っておるのだ? 耄碌したのか? 何かの役に立つわけでもない。盗みが上手いというだけの犯罪者なんぞ用が済めば殺せ」


 家令は額が足につくのではないのかという程の深いお辞儀をした。もう10年若ければ本当に足と額をくっつけていたかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る