第32話 事情
トワたちは家のリビングに案内され、簡単に状況を説明される。
チィの父親はレガートで、母親はシィマ。
さらに十一歳の妹ミィと十五歳の姉キィナがいるらしい。
チィの家族は薬屋をやっているそうで、午前中の今、妹と姉は近くの森で薬草採取をしているのだとか。護衛として村の人も付いている。
トワとしては、当然ながらチィの家族について聞いても、懐かしさも何もない。チィの両親は何か思い出してほしかったようだが、その期待には応えられなかった。
ただ、両親を前にして、チィが目覚めるのではないかとトワは期待した。しかし、休眠スキルでチィの心を呼び起こそうとしたが、応じてくれない。もう一年以上眠りっぱなしで、本当に死んでしまったのではないかとさえ思う。
チィの家族の話を聞いた後、チィの身に何があったのかも聞いた。
一年と少し前、チィは奴隷として売られたらしい。
税金として納めるお金が足りず、それをまかなうためにチィを売ったのだ。
農村では珍しい話でもないようだが、薬屋をやっていて、農民よりは裕福な家庭でも子供を奴隷として売るのは珍しい。
その原因は、つい三年前からここシラド村に税金を取り立てに来るようになった、ユーベルト伯爵。
元々、シラド村はどこの国にも属さない村だった。そのため誰の保護も受けられない代わり、税金の取り立てなどもなく、完全に自治をしていた。
シラド村のある
蒼深の森には危険な魔物も出没するため、あまり人が住むのに適していない。その代わり、外部の侵略者からも襲われにくいという利点もあった。人間同士の争いを避けられて、魔物との戦いに集中できる土地だ。
そんな土地を、最近爵位を継いだユーベルト伯爵は『開拓』し始めた。蒼深の森に『違法』に住み着いている者たちから、税金を巻き上げ始めたのだ。
蒼深の森がユーベルト伯爵の土地だというのは、実のところ向こうの一方的な主張。本来のユーベルト伯爵領は蒼深の森よりも北側だ。蒼深の森は誰の土地でもなく、強い魔物が現れるただの危険地帯。
それなのに、あえて蒼深の森に住む者がいると知って、ユーベルト伯爵は蒼深の森を自分の領地と見なし、税金の取り立てを始めた。
シラド村の者たちは、ユーベルト伯爵の横暴に怒った。しかし、数千の兵力を持つユーベルト伯爵に、小さな村々が対抗できるわけもない。武力で壊滅させられるか、税金を払うかの二択なら、後者を選ぶしかなかった。
通常の税金を払うだけならまだ良かった。ユーベルト伯爵は強欲で、シラド村に通常では考えられないほど高額な税を課した。勝手に自分の領地に住み着いた罰という意味も含めてのことだとか。
また、その税は一律というわけではなく、農民も薬屋も、ギリギリの生活ができる程度まで搾り取られている。
村からすると莫大すぎる税を支払うため、一年と少し前、チィは奴隷商人に売られた。
売られたのはチィだけではなく、他の村人二十人程も一緒だった。
そのおかげで税金を納める目途は立ったのだが、奴隷となった村人を乗せた馬車が、道中で魔物に襲われた。何の魔物だったかはわからない。とにかく、奴隷商人も村人も、それで全員死んだと思われていた。
後に見つかったのは諸々の残骸だけで、全員分の死体が見つかったわけではない。しかし、未発見の死体は魔物の胃袋に収まったのだろうと判断された。
ときに危険な魔物が出没する森だからこそ、ほとんど人が寄りつかなかった場所。そこを半端な護衛しか付けずに移動すれば、そんな事態も十分にあり得る。シラド村の者たちが怒っても、奴隷商人は軽く聞き流すだけだった。誰かにとって大切な家族をむざむざ死なせたというのに、『商品が死んだせいで大損だ、代わりの奴隷を寄越せ』などと言い出す始末。
取引は完了した後だったので、シラド村からさらなる奴隷の引き渡しはなかった。奴隷商人も、流石に無理があると判断したか、引き下がった……。
(とりあえず、ユーベルト伯爵は殺しちゃおうかな。奴隷商人も殺しちゃいたい)
シラド村の状況を聞き、トワはごく自然にそんなことを思ってしまった。
その後に、すぐ思い直す。
(待って待って待って。わたしの選択肢に、ごく普通に人殺しが入ってきてるのはダメだって。もう数え切れない程に人を殺したけど、あれはあくまで復讐のため。軽い気持ちで殺すなんて、しちゃいけない)
葛藤しながらも、シラド村の人たちの力になろうとは思った。
これが、大虐殺を行ったことへの、償いの一つ。
「……今までのことは、こんなところかな。とにかく、記憶を失っていても、チィが生きていてくれて良かった」
「でも、ごめんなさい。チィを奴隷になんてしてしまって……。そうすることしかできなかった弱い大人で、ごめんなさい……」
レガートとシィマは酷く落ち込んでいる。
親として、チィを奴隷にしたのは身が捩れるほどに苦しい選択だったことだろう。
(謝らないでいいよ。悪いのは二人じゃなくて、重税を課したユーベルト伯爵だから……って、わたしが言うことじゃないんだよなぁ。わたしはチィじゃないから……。かといって、まるっきりチィとしての立場を無視して声をかけられるわけでもないし……)
トワは少し考え、二人に向けて言葉を紡ぐ。
「……わたしには過去の記憶がないから、なんて言っていいのか、わからない。ただね、二人にはあまり落ち込んでほしくないって思うよ。わたしは、二人が笑っている姿を見ていたい」
きっと、チィが意識を取り戻しても、同じようなことをいうだろう。
この二人を見ていたら、チィが愛されていたのはわかる。そして、きっとチィもこの二人を大切に思っていたことだろう。
大切な人には、落ち込んでいるより、笑っていてほしい。
チィも、そういうことを思える子だったのではないだろうか。
「……そうか」
「……そうね。あまり暗い顔ばかりしていても、うっとうしいだけよね」
レガートとシィマが笑った。取り繕った弱々しい笑みでも、俯いているよりはマシだった。
「それで……チィは、今までどうしていたんだ? ナターシャは、新しくできた友達なのかな?」
「獣人はあまり人族のいる場所に顔を出さないという話だったけれど、近くに村でもあったのかしら?」
今度はトワたちの話をすることになり、トワは少し困った。
獣人の村に住み着いていたという話はできるが、この四ヶ月程は復讐に明け暮れていたとは、言えない。
「……ナターシャ。ひとまず、わたしから説明するね?」
「うん。わかった」
言外に、話を合わせてね、という気持ちも込めていた。ナターシャもそれくらいは察してくれるだろう。
「この一年くらい、わたしは……」
トワは、獣人の里での日々を思い出し、語る。
語り始めた直後から、もう涙が溢れた。
もう戻らない日々を思い浮かべて、ありふれていた笑顔に焦がれて、あったはずの未来を想像して。
まだろくに語らぬうちから泣き始めたトワを、レガートとシィマは気遣わしげに見ていた。二人にとってはわけがわからなかっただろうが、急かすことなく、トワの言葉を待った。
ところどころつっかえ、おそらく意味の繋がらないことも話し、トワは大切な思い出を語った。
トワの隣で、ナターシャも泣いていた。
リクーク村が真獣人に襲われて壊滅したところまでどうにか話して、トワはそれ以上しゃべれなくなった。
泣いているトワを、立ち上がったナターシャが優しく抱きしめてくれた。トワはナターシャにすがりついて泣いて、しばらく何もできなくなった。
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