第35話 秘密

 ナターシャとキィナの稽古が終わったら、次にナターシャと父レガートの稽古が始まった。今は母シィマと薬屋を営んでいるが、レガートは元々三等級の冒険者らしい。一般的には十分な実力者なのだが、ナターシャには敵わなかった。


 もっとも、レガートを相手にするとき、ナターシャは剣獣術を使っていた。全くスキルの助けなしでは勝てなかった模様。


 さておき、実力を示したナターシャは、改めてチィの家族に宣言。



「チィを買い戻すお金はあたしが稼ぐ。だから問題ない」



 キィナは悔しそうにしていたが、チィの家族四人はほっとした顔をしていた。


 ただ、ナターシャが続けた言葉に、渋い顔をした。



「あたしとチィは、この村に留まらないで旅に出るつもり。何ヶ月かこの村に留まるのは構わないけど、永住はしない。これはチィの意志でもあるから、受け入れてほしい」



 トワも意思確認をされた。チィ自身ではなく、トワの意志なのだが、シラド村に永住するつもりはないと伝えた。



(チィ。あなたが目を覚まさないと、あなたの知らないところで勝手に話が進んじゃうよ? 本当にいいの? あなたが自分の意志を示すなら、わたしは別の道を選ぶこともできるよ? 別の体に移ることだってできるんだよ?)



 トワはチィに語りかけてみるが、反応はない。


 チィの心は、本当に死んでしまったのかもしれない。トワが、チィの心を殺してしまったのかもしれない。


 それならば、申し訳なく思いながらも、トワはチィの肉体を使わせてもらうつもりでいる。



「チィが旅に出るなら私も行く!」



 キィナがそう言い出して、ナターシャが断った。



「これは私とチィの旅だから、あなたは邪魔。ついでに言うと足手まとい」



 もう少し言い方を考えよう……とトワは思うのだが、獣人にはこういうところがある。自分の考えをはっきりとストレートに伝えがち。それでトラブルになることもあるし、逆にわかりやすくてスムーズになることもある。


 いつだったか、ジューノははっきりとトワに対する好意を伝えられなかったが、それはまた別の話。子供が恋愛絡みで素直になれない程度の奥ゆかしさはある。


 ともあれ、ナターシャにきっぱりと同行を断られて、キィナはまた激高していた。



「私だってすぐに強くなる! っていうか、あんたとチィの旅ってどういう意味よ!?」


「それは内緒。あたしとチィだけの秘密」


「なんかムカつく! 自分たちは特別な関係みたいな顔をして! 一年ちょっと一緒にいただけで、チィを自分のものみたいに思わないでよね!」



 それからもナターシャとキィナは揉めていた。相性が悪いようにも見えたけれど、二人とも自分の思っていることをストレートに言い合うので、案外分かり合うのも早いかもしれない。


 その後、トワたちはチィの家で夜を迎える。


 チィ一家の三姉妹は、元々一つの部屋が与えられていたらしい。今ではベッドが二つだけになっていたけれど、トワは妹ミィと姉キィナと同じベッドで休むことに。もう一つのベッドをナターシャが使う。


 それなら二人ずつで寝れば良い、トワとナターシャが同じベッドで……とトワは思ったのだが、ミィとキィナはそれを許さなかった。どうしてもトワを離したくないらしい。キィナとしては、トワとナターシャが近づくのを嫌がっている部分もあった。



「あんたはもう誰にも渡さない……」


「お姉ちゃん、もういなくなっちゃダメ……」



 両サイドから抱きつかれて、トワは少し気まずかった。二人が見ているのは、トワではなく、チィだから。



(チィ、モテモテだねぇ……)



 トワは、二人に本物のチィと会ってほしかった。


 どうすればチィの人格を呼び戻せるだろうかと考えていたが、良い案は浮かばず、いつしか眠っていた。


 翌朝。


 ほんのりと明るくなってきた頃、トワは目を覚ました。


 両隣のミィとキィナは、夏の夜に終始くっついているのは辛かったのか、トワと少し離れて眠っている。


 トワが隣に視線をやると、ベッドに腰掛け、何か眩しいものを見るように目を細めるナターシャと目が合った。


 おはよう。ナターシャが声に出さず、口だけを動かした。


 トワもおはようを返して、両隣の二人を起こさないよう、闇魔法で気配を消しつつ、体を起こす。


 トワが外を指さすと、ナターシャが頷いた。


 二人で部屋を出て、さらに外へ。


 まだ遠くの空が白んでいるくらいの頃合い。夜明けと共に起きるのが普通のこの世界でも、まだ外に出てきている人はいない。


 広がる畑と、吹き抜ける温い風。葉が揺れて擦れ合う音もひっそりと響く。



「……ごめん、ナターシャ」



 開口一番、トワはひそひそ声でナターシャに謝った。



「何が?」


「……ナターシャはもう家族を失ったのに、見せつけるみたいに、わたしが家族と仲良くしちゃって……。見ているの、辛いんじゃないかって……」



 ここに来てから、トワはそれを気にしていた。でも、ナターシャは首を横に振った。



「辛くない。むしろ、トワが家族と幸せな時間を過ごしているのは、見ていて嬉しい。心が温かくなる」


「そう……。羨ましい……みたいには、ならない?」


「羨ましいよ。もうあたしには得られないものだから。でも、あたしにはトワがいる。あたしたちには、家族よりも深くて……重い絆が、ある」


「……うん」



 ナターシャがトワの手を握る。トワも握り返した。



「ねぇ、でもさ、トワ」


「うん?」


「もしトワが……ここで平穏な暮らしをしたいって望むなら、それでもいいと思う。あたしは、トワに幸せになってほしい。家族に囲まれて、笑っていてほしい」



 ナターシャの顔は少し寂しそう。もしトワがそれを選ぶなら、ナターシャは一人で旅を続けるのだろう。



「それは、許されないよ。誰が許さないのかなんて知らないけど、少なくとも、わたしはわたしを許せない。まだ何の償いもしていないのに、平穏な日々を過ごすなんて」


「……そうだね。まだまだ、あたしたちに平穏は許されない」


「何をすればいいかわからないけど、何かをしなくちゃいけない。納得できるまで何かをして、平穏とか、幸せとかを求めるのは、その後」


「……まぁ、あたしは結構、トワと一緒にいられるだけで幸せだけど」


「……それを言うなら、わたしだって、ナターシャがいるだけでいいっていうのはあるかな……」



 二人でそっと笑い合う。



「あたしたち、クズだよね」


「本当にね。あれだけのことをしておいて、幸せを感じてる」


「トワがクズで良かった。トワがずっと塞ぎこんでるところなんて見たくない」


「それはお互い様だね」


「うん。……あ、そういえば、トワの本当の名前、チィなの?」


「あ、その話もしないといけなかったか。ええっと……まぁ、チィらしいんだけど、わたしにはチィとしての記憶がないから、やっぱりわたしはトワかな……」


「その名前は、自分で考えたの?」



 そうだよ、と気軽に答えても良かったのだけれど。何かしら言い訳を考えても良かったのだけれど。


 それはやっぱり嘘で、トワはナターシャにあまり嘘を言いたくなかった。



「……今はまだ、詳しいことは秘密でいい?」



 ナターシャはきょとんとした後、こくんと頷いた。



「わかった。いつか、トワが話せるときに」


「うん。ありがとう」



 二人の握り合う手に少し力がこもる。


 そして、夜明けの空を、二人で静かに見守っていた。

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