第2話 熊
「……うわー。大きな熊だなぁ……」
トワの十メートル前方に、体長が四メートルはありそうな熊が迫っていた。
体毛は真っ黒で、その目は赤い。名前は不明だが、凶悪な顔つきと雰囲気。
おそらくは、魔物の類。ただの動物ではない。
(……寝てる間にも魔物らしき奴らが近づいてきてたけど、避けられてたっぽいんだよね。今回も帰ってくれないかな……)
ひたすら光合成を続けている間、トワは周囲の状況を多少認識していた。
動物型の魔物などが近づいてきたが、トワの様子を見たり匂いを嗅いだりすると、すっと去っていくのが常だった。
人間を養分として繁っている不気味な植物も、それに寄生された人間も、魔物からすれば食べたいものではないだろう。自分も寄生されかねないと判断し、去っていったのだ。
(今回もそうであってほしい……。でも、そのためには、わたしが寄生しているってのが明確にわかった方がいいか……)
まともに戦えば、あんな巨大な熊に勝てるわけもない。少女の体を捨て、あの熊に乗り換えることも可能だが、元人間であるトワは、できれば人間の体で動きたい。魔物に宿って理性を保てるかも怪しい。
トワは少女の体を守るため、右腕の外に茎を伸ばし、葉を茂らせる。
(これを見て、大人しく去って……っ)
トワは熊に向かって右腕を伸ばす。
熊は凶悪な顔つきに反して、慎重にトワに近づいてくる。
そして、ついにトワのすぐ目の前へ。
それから、熊はトワが生やした植物の部分に鼻を近づけ、すんすんと匂いを嗅ぐ。
(ほらほら、わたしは危険な植物だぞー? 食べるとあなたの身が危ないぞー?)
熊はしばしトワのことを睨んでいたのだが……。
「え?」
トワが気づいたときには、もう右腕がなくなっていた。熊に食べられてしまったのだ。
「うぉああああああああああ!?」
右腕に猛烈な痛み。しかし、真っ赤な血が吹き出す光景には、現実味がなかった。
「ちょ、いきなり、なんてこと……っ」
トワが混乱しているうちに、熊の大きな口が眼前に迫った。
危険だ、と認識する前に、トワはとっさに右方向に転がっていた。熊の口が空を噛む。
「いっったぁああああああああああああ!」
転がりながら、右腕の傷を打ち付けてしまう。トワは痛みで意識が飛びそうだった。
しかし、痛みに呻いている場合ではない。トワは即座に体勢を立て直し、右腕の出血個所を押さえながら、熊から逃げる。
必死に走るのだが、ただの少女の足で熊から逃げきれるわけもない。
ただ、トワは魔力の流れを感じ取ることで、背後の熊の動きがわかった。熊はトワを丸飲みしようとしていたが、寸前で体をねじって回避。トワは無理な動きでバランスを崩し、転んでしまう。
(あっぶない! そして痛い! めっちゃ痛い! 痛みだけで死ねる! うー! なんの罰だこれ!? わたしが何をした!? とにかく、このままじゃ長くは持たない! いっそ熊に乗り換える? いやいや、まだこの子だって生きてるかもしれないんだし、そう簡単に切り捨てるわけにも……っ)
熊は容赦なくトワに迫る。その動きは俊敏。
「あがぁああああああああああ!?」
丸飲みは避けた。しかし、今度は左足を持っていかれた。
左足からも大量の出血。このままでは、熊に食べられなくても、出血多量で死んでしまう。
(どうする!? どうする!? こんなのから逃げられるわけ……いや、そもそも、逃げる必要ない……?)
トワの右腕と左足は失われた。しかし、その失われた手足には、トワの本体の一部が宿っている。その気配をトワは感じ取ることができた。物理的なものとは違う何かで、まだ繋がっている感覚があるのだ。
(……熊の中でわたしの体の一部を成長させれば……?)
熊の口がトワに迫る。頭がその口内に覆われ、あと数秒で少女の体が食いちぎられるという瞬間。
トワは、熊の口や胃に入った体の一部に、その場での成長を促す。
すると、体の一部が根、茎、蔓を伸ばし、熊の体を侵食するのが感じ取れた。
体の異変を感じたか、熊が苦しげに呻いて動きを止める。
(これは……いける。この熊、保有してる魔力的なものも多いから、成長も早い!)
熊の体内をどんどんトワの根が侵食していく。
「ぐぉ!? ぐが!? ぐぅあ!?」
熊はトワから離れ、自身の体をその鋭い爪でかきむしり始める。体の内側で暴れているものを取り出そうともがいているようだ。
トワは、出血で意識を
「……体の中から侵食されるのは気持ち悪いでしょ。でも、もう遅い。わたしの一部はあなたの体をどんどん侵食してる。取り除くには、あなたの顔も胃袋も、全部摘出しないいけない。そうなればあなたは死ぬ」
トワは淡々と侵食を続ける。熊は地面突っ伏してもがき苦しむ。
「……苦しませたいわけじゃないんだ。もう、死にな」
トワは熊の脳を侵食し、破壊。
熊はのたうち回るのを止め、静かに絶命した。
やがて、その巨体から植物の茎と葉が生える。最後には彼岸花のような真っ赤な花が咲き乱れて、おぞましくも美しい光景が生まれた。
「……これが、今のわたしの力……?」
トワは、生き物の体を侵食し、操ることもできれば、殺めることもできる。
森に咲いているだけであれば無害だが、別の生き物に触れると恐ろしい力を発揮する。
自分が人間であったなら、絶対に関わりたくない存在だ。
「って、感心してる場合じゃない。これはマジで死ぬ……。出血を止めないと……」
トワは手足の断面で本体を成長させ、蔓を巻き付けて強引に出血を止める。既に流れた血は戻らず、気持ちの悪さは感じるが、これで死ぬことはない。
「焦った……。本当に死ぬかと思った……。でも、この手足、どうすれば……」
腕を失っただけなら、まだ歩くことができた。左足まで失っては、満足に歩くこともできず、森の外を目指すこともできない。
「……茎を伸ばして足の代わりにできる? 他にもっとできることは? 魔法とか……なんか使えないかな……?」
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