第10話 洗い場
「とりあえず体を洗って、服も着替えようか」
村長の家を出てから、ナターシャがそんなことを言い出した。
ナターシャはまず、トワを自宅に案内した。長屋にある一室を使っているようで、広さは五畳程度。家具も少ないので、それだけでも生活には困らないらしい。
二人で持ち帰った荷物を床に置いたら、ナターシャは箪笥から着替えと手ぬぐいを取り、すぐに部屋を出る。
次に、トワたちはある簡素な家にやってくる。家というより、目隠し用の仕切りがついた東屋だった。男性用と女性用の二つある。トワたちは女性用の区画に入った。
「ここで体を洗えるから、好きなときに来ていい。ただ、水は無駄遣いしないこと。水魔法で出せる量も限度がある」
簡単な注意を述べた後、ナターシャはさっさと服を脱いで、設置してある棚に服を放り込む
(わ……綺麗な体……)
トワはナターシャの肢体に見とれてしまう。
ナターシャは戦士であり、その肉体は引き締まっていて美しい。芸術品のような魅力がある。
「どうかした?」
十四歳にしては大きな膨らみを隠しもせず、ナターシャは首を傾げる。他人に裸を見せることに全く恥じらいがないらしい。トワは同性同士でも肌をさらすことに苦手意識を持つタイプだったから、その堂々とした振る舞いに気後れしてしまう。
しかし、その気持ちはそっと押し隠した。
「……なんでもないよ」
「そう」
「うん」
(……ここは裸の付き合いも普通。慣れていかないと。男女の区別なく裸をさらすとかじゃないんだし、覚悟を決めて……)
トワも服を脱ぎ、棚に放り込む。この簡素な貫頭衣のような服は、もう着ることはないかもしれない。
(うーん、ナターシャの体を見た後だと、わたしの体って貧相……。十一歳としても少し発育が良くないのかな……?)
チィがどういう経緯で森にいたのかはわからない。良い理由ではないだろうし、口減らしのために奴隷として売られたのかもしれない。まともな食事をしてこなかった可能性は十分にある。
トワと同じことを、ナターシャも思ったのかもしれない。
「トワは十一歳だっけ? ……ご飯、たくさん食べようね。あたしが食べさせてあげるから」
「……わたしも働くんだから、全部ナターシャのお世話になるわけじゃないよ」
「うん。わかってる」
二人で仕切の先にある別室に入ると、大きな水瓶と桶がいくつか置かれていた。半端な時間だからか、トワたちの他には誰もいない。
ナターシャは桶で水を掬い、それをトワに浴びせる。気温も高いので、その水は冷たくて気持ち良い。気持ちいいが、驚かされたのも確か。
「もー、急に止めてよね」
「あははっ。トワは使い方も知らないだろうから、手伝ってあげようと思って!」
「水を掬って体にかけるだけでしょ? それくらい、自分でできるよ」
「まぁまぁ、いいからいいから」
「わ、ちょっとっ」
ナターシャはトワの頭に水をかけつつ、さらに髪をワシャワシャとかき乱す。
「自分でできるってば」
「まぁまぁ」
トワが止めようとしても、ナターシャは止まらない。
不快なわけではないので、トワはもうナターシャの好きにさせることにした。
好きにさせていたら、ナターシャは濡れた手ぬぐいでトワの体中を擦り始める。単に体を綺麗にしてくれているのだが、トワは流されるままではいけないような気がした。とりあえず、股間にまで伸びてきたナターシャの手は、流石に止めておいた。
体を洗っている間、ナターシャは楽しそうに笑っていたのだけれど、洗い終えるとふと真顔になった。さらに、何かをこらえるように唇を引き結ぶ。
「……どうかした?」
「あ、ううん。なんでもない……。ただ、その……妹のことを、思い出してただけ……」
「そう……」
ナターシャは、妖狼族に妹を殺されたと言っていた。
トワの面倒を見ているうち、妹と重ねてしまったようだ。
(こういうときの励まし方とか、全然わからないけど……)
トワは、ナターシャの体を抱きしめる。村長の家で、ナターシャがトワにそうしてくれたように。
「……わたしには、ナターシャの気持ちはわからない。大切な人を失ったことは……ない、のかな。覚えてないだけかもしれないけど。
何もわかってあげられなくて、何もできなくて、ごめん。ナターシャの望みはわかってるけど、それを叶えてあげたいって思えなくて、ごめん。
でも、ナターシャと戯れることくらいはできるから、いつでも言って」
「……うん。トワがあたしの望みを叶えてくるなくたって、その気持ちだけで、すごく嬉しい」
ナターシャもトワを抱きしめる。お互いの体温は、熱いくらいに温かい。
(ナターシャはわたしを利用したいと思ってる。けど、それと同じくらい、わたしを一人にしておけないっていう気持ちがあるんだろうな……。優しい子……。復讐を果たす以外の未来、見せてあげられたらいいのに……)
落ち着いたところで、二人とも水気を払い、洗い場を出て服を着る。
獣人たちの服は露出が多く、要所を隠すことしかできない。貫頭衣よりも防御力が低くなり、トワは落ち着かないものがあった。
「……ここって、もう少し布地の多い服はないの?」
「あるけど、貴重なんだ。ここでは衣服をほとんど作ってないから」
「ああ、そういうこと……」
村長が露出のない服を着ていたのは、権力者の証なのかもしれない。
トワは服装に付いては諦め、せめてもの抵抗として、元々着ていた貫頭衣を腰に巻いてパレオのようにした。
(ここの生活水準を上げたいけど、風魔法しか使えない設定だと厳しいよね……。隠れ住んでいる雰囲気だから外部との交易も難しいだろうし……)
「ちなみに、冬は何を着ているの?」
「冬用の厚手の服はある。でも、本当に冬用だから、今着ると暑くてしょうがない」
「そう……。わかった」
「まぁ、どうしても別の服が欲しいなら、今日殺した連中の服を着てもいい」
「……当分はこの服でいいや。あの服は着たくない」
人を殺して服を奪う。それを着る。この世界では普通かもしれないが、トワからすると野蛮すぎる。死んだ人の服を着たいとも思えない。
洗い場である東屋を出ると、トワたちに暖かな日差しが降り注いだ。
自然に満ちた美しい村で、その場にいるだけで心が洗われるようでもあった。
「トワ。改めて、リクーク村へようこそ」
ナターシャがトワに笑いかける。
「……うん。迎え入れてくれてありがとう」
トワも、ナターシャに微笑み返した。
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