第16話
翌朝、朝一番の乗合馬車に間に合うよう、宿を出発した。
といっても、乗合馬車という物のことを、わたしは昨日まで知らなかったのだけれども。
なんでも、大きな街と街の間を馬車が決まった時間に行き来していて、お金を出せばそれに乗せてもらえるそうな。
街のはずれ、馬車の乗り場へと向かう。
今は、昨日よりはちょっと遅いくらいの時間帯。なのにアルバートくんはすごく眠そうだ。やっぱり、ちゃんと眠れなかったのだろうか。
少し心配だけど、今日は馬車移動が続くはずなので、そこで寝ても良いだろう。
たくさんの人が乗る乗合馬車では、静かにしなくてはいけないと、ガーくんに教わった。よく眠れそうだし、寝るくらいしかすることもなさそうだ。
昨日は馬車に乗せてくれた農村の人と、あれこれおしゃべりしたのだけれど。
馬車には、一〇人ほどの人がぎゅうぎゅうに乗り込むことになった。
それと、馬に乗ってついてくる護衛の人たちが二人。槍を持った男の人と、弓を持った女の人。
護衛なんているの!? とびっくりしたのだけれど、街道沿いであってもたまに盗賊や肉食獣が出ることもあるそうで。必要なんだそうだ。
人がいっぱいいるし、狭いし、静かにしなきゃいけないし、外に護衛までいる。
なんだか、息がつまるようだ。
ぎゅっとガーくんを抱えて、馬車に乗る。
運よく、かつアルバートくんが譲ってくれて、すみっこに座れた。
馬車が走り出したら、ガラガラキシキシゴトゴトとけっこううるさい。馬のパカポコ走る音も、うるさいほどの音ではないがしっかり聞こえる。
これなら、おしゃべりしても聞こえやしないんじゃないか。いや、よく考えたら、この中で聞こえる程の大声でずっとしゃべっていたら、そりゃ怒られるか。
ふと、ガーくんが腕の中でもぞもぞしだしたので、腕をゆるめた。
くるりと向きを変え、ぐいっと口をわたしの耳元に寄せて、ないしょ話のようにガーくんは言う。
「おい、ルル。昼の休憩の時に、走って逃げるぞ。外の護衛役が、どうも嫌な感じだ。こっちを、というか、姉様の事を探っている感じがする」
「それって、単に姉様が美人だからじゃなくて?」
こちらもささやき声で、そう返した。
はあ、と小さくもらされるため息が、耳にあたってくすぐったい。
「片方は女だぞ? まあ、姉様は男女問わずクラッとさせそうな美人だけどさ。でもさっきから、『アンベールの言っていた子じゃないか』とか、そんな会話もしてる。アンベールが誰かは知らないが、昨日の男か、白雪の女王の国の兵士かもしれない」
ガーくんは、とても耳が良い。
わたしにはそんな会話は少しも聞こえなかったけれど、ガーくんが言うのなら本当だろう。
「それは……、確かに、逃げた方が良いわね」
「ああ。昼休憩は、森を抜けた先の平原でする予定のはずだ。引き返すような動きで、森に入る。追いかけられたら北東へ。追いかけられなかったら、あるいは追いかけられてもうまくまけたら南西にむかう。姉様にも、そう伝えてくれ」
「わかったわ」
ガーくんの指示に、わたしはすぐにうなずいた。
どっちに逃げたかわからないように、フェイントをかけるという作戦だろう。
この馬車に乗っているので、最終的にみやこに向かっているというのはわかってしまう気がする。
けれど、どのルートでみやこに向かうかくらいは、なんとかごまかしたいところだ。
隣に座っていたアルバートくんの耳に手をあて、こそこそ話でガーくんからの伝言を伝える。
馬車のゆれのせいだろうか。
アルバートくんがけっこう動くので、何回かわたしの唇が耳にあたってしまった。
その度に、「ひゃっ」とか言われたので、アルバートくんはくすぐったがりさんなのかもしれない。
「わ、わかった。けど、ちょっと、くすぐったかったかな」
ようやく全てを伝え終えた頃には、アルバートくんの耳は、真っ赤に染まっていた。
やっぱりくすぐったがりやさんだったか。悪い事をしてしまったなぁ……。
昼休憩予定の平原に着く前に、チャンスはやって来た。
馬車の御者をしていた人がお腹が痛いと言い出して、まだ森の中でトイレ休憩をすることになったのだ。
護衛の人たちはきっと、こんな森の中の道での休憩ということで、周りを警戒するので忙しいだろう。チャンスだ。
そこで、「わたしたちも……」と言って、トイレに行くような顔で馬車を降り、道から外れ森の中に入って行く。
このまま、わざとはぐれてしまえばいい。
わたしたちがはぐれたら、誰かに心配とか迷惑とか、かけてしまうかもだけど。
今は、捕まるわけにはいかないのだ。
出発の前に、何度も何度もしつこいくらいに『休憩時、出発時刻までに戻ってこなかった場合は、待ちません。いない人は置いて出発します。次の乗合馬車でも待つか、自分たちでどうにかしてください』と聞かされたし。きっと見捨ててくれると思っておこう。ごめんなさい。
このまま、このまま……。
「おい、あんまり道から離れると、危ないぞ!」
ところが、わたしたちがはぐれそうなのに気が付いた護衛の男の人が、注意してきた。
ガーくんが、すかさずギッとそちらをにらんで、言い返す。
「ボク様がついているから平気だ! なにかいれば気配でわかる! それよりお前、こっちに寄るなよ! 女の! 子どもの! トイレをのぞき見たいのか!? ヘンタイ! おいルル、もう少し奥に行け! 見えないくらい、奥に!」
「そんな、失礼よ! 彼は忠告しただけでしょうに。きちんとこちらの言うことを聞けないなら、なにかあってもしらないからね!?」
護衛の女の人が顔を真っ赤にして叫び、男の人はどちらかといえば彼女の勢いにたじたじになった感じで下がっていった。
わたしとアルバートくんは、そのままこそこそと、ゆっくりと、でも確実に森の奥に入って行く。
「走るなよ。大きな音をたてるな。慎重に行けよ。そっと、そーっとだ」
ふわりと飛びながらわたしたちを追い抜いていく瞬間に、ガーくんはそんなアドバイスをささやいて行った。
うん。そっと、そーっとね。
静かに静かに森の中を歩いて行く。
街を走り抜けるのはアルバートくんが上手だけれど、森の中ならわたしたちの得意分野だ。
ガーくんが先頭、その後ろわたしがちょっと前に出て、アルバートくんの手をひく。
時折方角を変えながらしばらく歩くと、段々地面が斜めになってきた。どこかの山に入りつつあるのだろう。
「このまま、南西に山を突っ切っていくぞ。山の中に、大きな滝が有名な別荘地で観光地な村があるはずなんだ」
今度は、もう普通の声で、ガーくんが言った。
人の気配が、声が届きそうな範囲にはもういないということだろう。
わたしはほっと息を吐いてから、尋ねる。
「ねえガーくん、別荘地で観光地って、何か見る物があるの? おいしい物とかある?」
「食べ物はどうだったかなぁ……。古い城と立派な教会はあるぞ。あそこは、王様になれそうでなれなかった王子が、後に王様になった王子に負けて引っ込んだ場所なんだ。負けた王子の城がある。城には入れないが、そいつの寄付で建った立派な教会は見られるぞ」
「……なんかつまらなそうなところね」
ガーくんの説明に、率直な意見が口からぽろっと出てしまった。
ほほうと興味ありげに息を吐いていたアルバートくんが、それを聞いて苦笑いしている。
ガーくんは、ちょっと困ったような声音で続ける。
「あー、あと、あれだ。さっきも言ったが滝がある。元々は、そういう豊かな自然みたいなのを、都会に住むやつらが楽しむ場所だな。大きな街に比較的近く、景色が良い場所が多い。だから、別荘地。貴族の別荘が多いから、そいつらの交流の場でもあるらしいぞ」
「交流? え、森の中でお茶会とかするの?」
「そういうのではない、と思う。詳しくは知らないが、狩猟とか釣りとかを男どもが集まってするんじゃないのか?」
アルバートくんもうんうん頷いているので、そんな感じらしい。
白雪の女王様の国にも、似たような場所があるのかも。
「ほへー、そうなんだ」
わたしは、感心の声をあげた。
やっぱり面白そうとは思えなかったので、ちょっとどうでもよさげになってしまったけれど。
いやだって、わたし、元々都会に住んでないもの。豊かな自然の中で暮らしているもの。
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