第2話
白雪の女王様の国、のお隣の国。
二国の境にある高い山。そのふもとの深い森の奥、澄んだ水に満ちた美しい湖のほとり。
そこに、家族が住むには少し小さいけれど、二人が住むには少し大きいくらいのログハウスがありました。
広いウッドデッキにはティーテーブルと二脚の椅子、西側に大きな樹とそれにぶらさがったブランコ、そこここにいっぱいの花とハーブ。
たくさんの心ときめく物が、ログハウスをかざっています。
人の住む街から遠く遠く離れているここに、誰がどうやってこんな良い家を作ったのか。
そんなふしぎでステキなログハウスこそが、【万能の魔女】のおうちです。
万能の魔女――、今ではすっかり落ち着いた雰囲気の老女にしか見えない彼女は、若い頃にはとってもパワフルな人でした。
あっちこっちを飛び回って、色んな人を助け、数々の伝説を作ったとか。
東の山に人を襲う竜が住み着いたと聞けば、こらしめに行ったとか。
西の国の王様が病気になってその国の誰もどうにもできないと聞けば、治す薬を作って届けたとか。
北の大地が雪の嵐で閉ざされてしまったと聞けば、春そのものをそこに連れて行ったとか。
南の海で人魚たちが船を沈めていると聞けば、船乗りたちに人魚に対抗できる知恵を与えたとか。
とか、とか。
こんな風な彼女の伝説はやがて百を超え、いつしか人々は彼女を【万能の魔女】と呼ぶようになったそうです。
できないことなど、何もない。だから、万能の魔女。
そんな彼女は、現在このログハウスで、ルルちゃんとガーくんというとてもかわいらしい一人と一匹といっしょに暮しています。
今は初夏。
森の中湖の近くにあるこの家は、そこらの街の中の家と比べると大変に涼しいです。
それでも日の出から二時間も経てばむしむしとしてきて、誰かとベッドの中でひっついて寝ているのなんて、とても耐えられなくなってきます。
そんな頃。
◇◆◇
「い、い、かげんに、起きろっ、ルル! このねぼすけっ! 最悪寝てても良いけど、せめてボク様を放せ! ボク様はぬいぐるみじゃなーいっ!」
わっ! と大きな声で腕の中から叫ばれて、ルル、つまりわたしは目を覚ました。
いや、今の嘘かも。
目を覚ました、とか言っちゃったけど、まぶたがどうにも開かない。
「うるさいよぉ、ガーくん……」
もにょもにょとそう返して、今はぬいぐるみサイズのガーくんを抱えなおそうとした。
なのに、もぞもぞ、ごそごそ、じたばた、と、段々抵抗が大きくなっていく。
「あつい、あっついっ! もー、ボク様はぬいぐるみじゃないって言ってるだろ! 放せよ! 蹴るぞ!」
蹴る、と言われてさすがに私は手を離した。
とたんに、ばさりと風吹く。
「わぷっ! むー……」
ガーくんの羽が顔にかかったんじゃないか。
そんな気がして顔を両手でこすって、そしたらどうにか目が開いた。
「おはよう、って言うにはもうだいぶお日様が高いところにあるぜ、ルル」
あきれたような声で、ふんと鼻を鳴らして、空中をばっさばっさと飛びながらそう言ったのは、ガーくん。
ガーくんは、一一歳の女の子であるわたしが抱きしめて寝るのにちょうどいいくらいの大きさの、大きな翼を持った真っ白な馬。
本当は、天馬とかペガサスとかいうなんだか大した生き物なのだけれども、今はぬいぐるみのようなかわいらしい姿だ。
ペガサスから一文字とってガーくん、というわけではなく。
一応この子の本名が『ガ』から始まる……んだけど、その本名は気安く呼んじゃいけないとかで、ガーくんと呼んでいる。
「おはよーガーくん。そして、おやすみぃ……」
「おいっ、もう一回寝ようとするな、ルル! 今日からしばらく万能の魔女様がおでかけするんだろ! ちゃんとしゃきっと見送るんだろ!?」
「……そうだ、おばあちゃん!! えっ、まだいる!? よね!?」
今度こそ、カッと目が覚めた。
三日月の形のベッドはお気に入りだけど、慌てて動くと大きくゆらゆらゆれてしまうから降りるのがちょっと大変だ。
わちゃわちゃもちゃもちゃとどうにかベッドを抜け出し、ぴょんと飛び降りる。
それから寝室を抜け出し、階段を駆け下り、ああ、ふわりとバターの香りが広がったリビング!
今日の朝ごはんはなにかしら。なんて思いながら、リビングダイニングの奥、キッチンに立つおばあちゃんに、元気いっぱいに朝のご挨拶。
「おばあちゃーん! おっはよー!」
「万能の魔女様、おはようございます」
ガーくんは、わたしに対してはけっこうえらそうにふるまうのに、おばあちゃんに対してはいつも丁寧だ。わたしは雑に扱うのに、おばあちゃんにはどこまでも紳士的。
むかつく。ガーくんの主人はわたし、のはずなのに。
まあ、おばあちゃんは、ガーくんに限らずみーんなに尊敬されている、とってもすごい【万能の魔女】だから。仕方ない、とも思う。
でもどうしたってむかつくはむかつくけどね!
「おはよう、かわいい子たち。さ、席に座って。そろそろ朝ごはんができあがりますよ」
ニコリと笑ったおばあちゃんは鼻歌を歌いながら、魔法でふわふわと周りに浮かせたお皿に、ぽん、ぽんとフライパンから跳ねさせたパンケーキを乗せていく。
続いてベリーが、クリームが、シロップが、くるくるひゅるりと宙を舞い、それぞれのお皿に。
おばあちゃんはほんの少しのシロップだけかけたのが好き。
ガーくんはクリームもシロップもいらないけど、ベリーはたーっぷり。
わたしはぜーんぶたっぷり! パンケーキを焼く時のバターだってたっぷり!
それぞれの好みに合わせて仕上がったパンケーキのお皿は、ステップを踏むようにふわりふわりと空中を泳いで行く。そして、コトリ、コトリとダイニングテーブルの上に着地した。
ふわふわのスクランブルエッグに、昨日の残りのほかほかほくほくのポトフ。
キンと冷えた牛乳と、シャキシャキのサラダ……はそこまで得意じゃないけど、まあガーくんのみたいに山盛りもしゃもしゃじゃないからいいや。おばあちゃん特製のオレンジのドレッシングがあればおいしく食べられるし。
ばっちり用意されたおいしそうな朝ごはんに釣られて、ガーくんと競争するみたいに席に着く。
ゆっくりおっとりと歩いて来たおばあちゃんも席についたところで、さあ、いただきます!
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