第20話
一番上のお姉ちゃんの住むお屋敷に来たのは、そういえば初めてだった。
それでしかも、お姉ちゃんはなんかすごくてえらい人と結婚したそうなので、このお屋敷はすっごく厳重に守られているのだ。
お姉ちゃんといっしょにいるおばあちゃんに会うのだって、そう簡単なわけがない。
そのことを、門の前で門を守っている大柄な男の人に止められてしまってから、思い出した。
わたしはもう半泣きになりながら、なんとかかんとか訴える。
「だから、わたし、ここの若奥様の妹なんです! おばあちゃんに会いに来たの!」
「なあ門番、万能の魔女様に伝えてくれ! ルルが来たって!」
「ルルちゃん、ガーくん……!?」
そこに、そんな驚いたような声が聞こえた。
パッとそちらを見れば、庭の奥から、おばあちゃんがこっちに駆けてきている。
「あ! おばあちゃん!」
「万能の魔女様! ほら門番、嘘じゃなかったろ! 通してくれ入れてくれ緊急事態なんだ!」
わたしとガーくんが叫べば、門の向こうに到着したおばあちゃんが、男の人にむかって言う。
「その子たちは、私の孫とその使い魔です。通してあげてくださいな」
「それは、失礼しました。どうぞお入りください」
男の人はうやうやしく頭を下げて、すぐに重そうな門を軽々と開けてくれた。
通れた! おばあちゃんだ! ようやく会えた!
「おばあちゃーん!」
わたしはもう嬉しくなってしまって、しゅばっと走ってぎゅーっとおばあちゃんに抱きつく。
おばあちゃんは、やわらかくわたしを受け止め、優しい手つきで頭をなでてくれる。
「ルルちゃん、よく来ましたね。ガーくんも、ルルちゃんについてきてくれてありがとう。いったいどうしたの、二人とも?」
「あのね、おばあちゃん、わたしのお友達を、アルバートくんを助けて欲しいの! アルバートくんはね……」
「ちょっと待てルル。屋敷から、尋常じゃない叫び声が聞こえてる。あれ、お前の姉さんの声じゃないか?」
「え、ええっ!?」
わたしは、アルバートくんがこうこうこういうわけで困っている、その説明をしようとした。
ところが、ガーくんに止められてしまった。
確かに、お屋敷の方から、『え、これ人の声なの……?』と不安になるような音が聞こえてきている。
あ、よく見たら、おばあちゃんも普段しないエプロンをしてる!!
「もしかして、お産!? 今まさにお姉ちゃんのお産の真っ最中だったの!? ご、ごめんなさい。そんな大変なところに、おじゃましちゃって……」
「ええ、お産中なのです。けれど、そのお産が呪いに邪魔されてしまっていて……。そこで女神の息吹を探そうとしたら、なぜかルルちゃんのもとへ導かれたのですよ」
おばあちゃんはどこかのんびりと、そう返してきた。
女神の息吹かあ。それは確かに、わたしが持ってる、ね。
「大手柄ですよ、ルルちゃん! さすがルルちゃんです! もはや幸運の天使!」
わたしが速やかに女神の息吹を差し出すと、おばあちゃんはやんややんやとわたしを褒めたたえた。
おばあちゃんはそれをあっという間に他のよくわからない色々な材料(おばあちゃんの動きが速すぎて本当にわからなかった)と混ぜ合わせ、魔法をかけ、一瓶の白金色に輝く粉にした。
次におばあちゃんが取り出したのは、金色の太めの脚のあるカップに、穴の開いた蓋をかぶせたような物。カップには金色のチェーンが付いていて、ぶら下げることができるようになっている。
それはいったいなんなのかと聞いたら、振り香炉という物だそうだ。
おばあちゃんはその振り香炉を開け炭を入れ、そこに瓶の粉を振りかけ、炭に火をつける。カシャンと蓋がしめられた。
するとすぐにふわりと柔らかな煙と、なんだか心落ち着くようなかおりがあたりに漂い始めた。
そのまま、おばあちゃんを先頭にして、屋敷の中にむかう。
みっしりとした絨毯のしかれた廊下を、落ち着かない気持ちで、わたしは歩いた。
おばあちゃんは、振り香炉をゆらゆらと揺らしながらお産の行われているらしい部屋に入って行く。
するとすぐに、ピタリ、と音が止まった。ガーくんが『尋常じゃない叫び声』と言っていた音が。
なんだかこわくて、わたしはお産の行われている部屋には、入らなかった。ガーくんといっしょに、近くの部屋で、大人しくしていた。
振り香炉が使われてからは三〇分もしないで、お産は終わったらしい。
今度はふにゃあというかわいい泣き声が聞こえて来て、わたしの甥っ子が生まれたと教えられた。……わたしって、もしやオバさんになった?
◇◆◇
夜も交代で馬上で眠り、幾頭もの馬を乗りかえて。
麦畑の村を出た翌日の夕方にはもう、アルバートは白雪の女王の城に戻っていた。
帽子こそもう被っていなかったが、ルルに借りた服のまま、三つ編みに編み込まれていたリボンを持って。
『このお洋服も、この三つ編みに編み込んであるリボンも! みっちりとおばあちゃんのまもりの魔法がかけられているの。きっとアルバートくんのことを守ってくれるわ。このリボンなんて、剣も魔法も、不運も呪いも全部跳ね返してくれるんだから!』
ならば、もしかしたら。
いいや、きっと。
期待と願いを込めて、アルバートは、リボンのうちの一本をアルバート自身の首に巻いた。青いリボンと、重ねるように。
そしてもう一本を手に持ち、弟の寝室へと向かう。
女王よりも父よりも先に、まず弟に会いたい。それを認めてくれないなら、自分は国には帰らない。
そう事前に言われていた兵士たちの協力で、だれにも邪魔をされることなく、アルバートは弟の部屋へとたどり着いた。
部屋は、ランプが付いている上にカーテンと窓があけ放たれ、日差しと夕方の涼しい風が入ってきているというのに、どこか暗く、空気が重い。
その理由は、部屋の中心。
大きな天蓋付きのベッドに、頼りないほど小さな体が横たわっている。
ただ寝ていると評価するにはあまりに静かに、そのままはかなくなってしまいそうな気配で。
アルバートの弟、フランツだ。
「あ……。フランツ様、お兄様が、戻られましたよ。起きてくださいな。お兄様ですよ」
アルバートに気が付き、フランツに声をかけたのは、フランツの世話役の女性。
泣きはらした目の、げっそりと疲れた顔の彼女は、彼女まで倒れてしまうのではいかというあり様だ。
「フランツ様……。起きて、起きてくださいまし……!」
そのまま泣き崩れてしまいそうな世話役に、アルバートはそっと声をかける。
「すまない。苦労をかけたな。……僕からも、フランツに呼びかけさせてくれないか」
「そう、ですね……。ええ、私の声では、眠くなる一方なのかもしれません。ビシッと言ってやってくださいませ、アルバート王子」
「フランツは、君には甘えてばかりだものな」
弱弱しくも、世話役は微笑んだ。
軽く冗談めいた言葉をかけてから、アルバートはフランツに近づいて行く。
アルバートはベッドの横に膝を着き、フランツの手を取った。
フランツの手首は、一回り細くなり、骨が目立っているようだ。
そこにアルバートは、白いリボンをくるくると巻き付けていく。
『剣も魔法も、不運も呪いも全部跳ね返してくれる』という、白いリボンを。
「ただいま、フランツ。置いて行ったりして、ごめん。僕だけ逃げて、ごめん。……許さないの一言だって良い。この薄情な兄に、お前の声を聞かせてくれないか?」
「……けほっ」
アルバートが呼びかけた、次の瞬間。フランツが、動いた。
けほりとせき込んだフランツの喉から飛び出したのは、赤い皮の果実のカケラ。
そのまま幾度かせき込んだフランツは、苦し気に目をあける。
「こほっ、けほっ、けほっ。……え。あれ……?」
「ふ、フランツ様!? フランツ様!!」
「え、ああ、おはよう……? その、なんだかすごくお腹がすいていて、あたまがぼんやりするのだけれど。外がちょっと暗いのは、まだとても早い朝だから……?」
世話役の鬼気迫った呼びかけに、フランツはぼんやりと首を傾げた。
フランツが起きている。しゃべっている。その事に対する感激の涙を浮かべた世話役は、なんとか笑みを浮かべて、答える。
「いいえ、フランツ様。今は夕方にございます」
「ええっ!? 夕方!? しまった。寝すぎたなぁ。どうりでお腹がすいてるはずだ」
「ええ、寝すぎましたね。とても、たくさん。今食べる物を用意しますから、待っていてくださいまし。今日は特別です。無理せず、そのままベッドで食べてくださってかまいませんよ。そのように準備いたしましょう」
「良いの? 助かるよ。なんだか、体じゅうふらふらクラクラしているんだ。歩けとか着替えろとか座れとか言われたら、泣いちゃうとこだったや」
「ええ、ええ、そうでございましょうね」
フランツと世話役がそんな会話を交わしている部屋から、アルバートはそっと抜け出した。
弟に、早くに回復してもらいたい。
それには、自分はここにいても邪魔になると考えて。
フランツの腕に巻かれたままになっているルルの白いリボンに、どうか弟を守ってくれと願いながら。
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