第19話

「ああ、やはりこちらにいらしたのですね、アルバート王子!」

「アルバート王子! どうか今すぐ城にお戻りください! 弟君が、フランツ王子が、眠ったまま目覚めないのです……! アルバート王子がいなくなった日の夕刻から、ずっと」

「いくら呼びかけても、ゆすっても、反応がないのです。医師に診てもらいましたが、なぜこうなったのかは、わからないと……」

「……このままでは、フランツ王子は、いつまで生きていられるか……」

「ご両親は、それですっかり弱ってしまわれております。特にお父君は、ベッドから立ち上がる事すらままならない状態です。どうか、あなた様のご無事な姿を見せてあげてください」

「どうかお戻りください……。どうか……」


 突如麦畑の村にやって来た、隣国の兵士の一団。

 彼らは金の三つ編みの少年を見るなり、地に膝を着き口々に訴えた。

 金の三つ編みの少年すなわちアルバートは、最初は身構え、今にも逃げ出しそうな様子。けれど、家族の現状を聞いた途端に、彼の表情が変わった。


 ぽつり、だれに聞かせるでもないかのように、アルバートはつぶやく。


「こんなの、どう考えたって、罠だとわかる。僕が行ったって、何もできやしないって」


 罠などと言われても、兵士たちはさっぱりわからない。アルバートも、彼らにしゃべっているのではない。

 兵士たちの戸惑いに満ちた沈黙の中、ゆっくりと首を振りながら、重たいため息を一つ。

 それから、観念したような弱弱しい笑顔を浮かべて、アルバートは続ける。


「それでも、僕はフランツの兄だから。フランツの身代わりになれるのなら、それでもいい。なにかできやしないか、あがくだけあがきたい。なににならずとも、せめて、フランツのそばにいて、手をにぎるだけでもしたい」


 エメラルドグリーンの髪の少女とぬいぐるみのようなペガサスが、『すぐ戻るから!』『大人しく待ってなよ』と言いながら向かって行った方角は、西。

 アルバートは、そちらに向かって、深く頭をさげる。


「ごめんね、ルルちゃん、ガーくん。それと、ありがとう。君たちとの旅は、すごく楽しかったよ」


 伝えたかったけれど伝えられなくなってしまった言葉を、アルバートは吐き出した。

 それから数秒、彼は頭を下げたままでいる。

 次に顔をあげた時には、アルバートは一段としっかりとした、兄の顔になっていた。


「すぐに戻ろう。フランツのもとへ、一秒でも早く。……間に合わなく、なってしまう前に」


 アルバートの宣言に、兵士たちは全員ホッとした様子だった。



 ◇◆◇



 その、少し前。

 ちょうど、ルルとガーくんとアルバート王子が、別れの挨拶を麦畑の村で行っていた頃。


 みやこの大きなお屋敷では、お腹の大きな女性が、苦しんでいたのだった。

 赤ちゃんが生まれそうなのだろう。

 女性はお産に使われる椅子にほとんど寝たような状態で座り、額にいっぱいの汗をかいている。

 椅子を取り囲むように医師と産婆とその手伝いの人々がいて、バタバタと動き回っている。

 あとは普通の椅子に座っている者が、二名。女性の右隣に彼女の夫。左隣にその女性の祖母、万能の魔女。両隣の二人は、女性の手をにぎったりさすったりして、はげまし続けていた。


 万能の魔女が歌を歌うと、女性は一瞬は楽そうな表情になるものの、すぐに苦しみのたうってしまうような状態。

 それが、しばらく続いていた。

 女性の息はどんどんと荒くなり、指先は冷え切り、血の気も引いていっているようだ。


 いくらお産でも、普通の苦しみ方ではない。

 そう気づいた万能の魔女がよくよく探ると、女性の大きなおなかには、何かが巻き付いているようだった。


「……これは、呪い、ですね。だれかが、この親子の幸福をねたんでいるのでしょう」


 万能の魔女の言葉を聞いた女性の夫は、顔色を悪くし、震え、魔女にすがる。


「なんてことだ……! ま、魔女様、それでは妻は、わが子はどうなるのです……!?」

「どちらも、私が助けてみせましょう。呪いは解けます。ただ、どうしても、……時間がかかります。固く編まれた紐を解くような、時間が。女神の息吹という薬草があれば、この時間を短くすることができるのですが……」

「探してまいります! 妻がこれほど苦しんでいる時間なんて、少しでも短くなければ! 呪いが長くこびりついて、子に悪い影響があっても困る!」


 女性の夫は、魔女の言葉を聞くなりすぐに立ち上がった。

 けれど、そう都合よく見つかるだろうか。

 万能の魔女は少し不安になったけれど、それを表情には出さずに言う。


「風の精霊に、どちらに行けば見つかるか、聞いてみましょう」


 返って来る返事は、『この辺りにはない』である可能性が高いけれど。

 そんな事は誰にも言わずに、どうか近くにあってくれと願いながら、魔女は風の精霊に尋ねた。

 風のあるところならばどこにでもいる風の精霊は、噂話が大好きで。

 どこかの風が見聞きしたことを、どの風だって知っている。

 そんな精霊に、女神の息吹のある場所を、問いかけたところ。


「……えっ? エメラルドの髪のかわいらしい魔女が、女神の息吹を持ってこちらに来ている……? それも、小さなペガサスといっしょに……?」


 万能の魔女は、立ち上がった。

 お腹の大きな女性をしばらく女性の夫に任せると声をかけて、部屋を出て行く。

 そのまま、風の精霊の示す方向、屋敷の外、庭を抜け、門まで向かう。

 門の前には門番が立ち、そこで小さな訪問者たちと、なにやらもめていた。

 小さな訪問者たち、すなわちエメラルドグリーンの髪の少女と、ぬいぐるみのようなペガサスと。


「だから、わたし、ここの若奥様の妹なんです! おばあちゃんに会いに来たの!」

「なあ門番、せめて万能の魔女様に伝えてくれ! ルルが来たって!」


 なぜここに、いるはずのない孫とその使い魔がいるのか。

 万能の魔女は、驚いて叫ぶ。


「ルルちゃん、ガーくん……!?」


「あ! おばあちゃん!」

「万能の魔女様! ほら門番、嘘じゃなかったろ! 通してくれ入れてくれ緊急事態なんだ!」

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