第18話

 なんだか、ハラハラしてしまう。

 確かに、わたしがこれほど華麗に崖を登れた気はしないのだけども。

 わたしなら、絶対にケガをしないのに。

 アルバートくんじゃ、ちょっとしたケガくらいはしてしまうかもしれないじゃないか。

 落ちそうなのはガーくんが支えてくれるにしても、どこかぶつけちゃうかも。崖を掴むだけで指先なんかは傷つくかも。

 そんなの、嫌だ。わたしだって、アルバートくんにほんの少しも傷ついて欲しくない。

 あれ? ガーくんってば、わたしのところに飛んで来てないで、ちゃんとアルバートくんの近くにいてくれなきゃ……。


「なあ、ルル。その人に少しも傷ついて欲しくない、その人にどこまでもしあわせでいて欲しい。その感情こそが、いわゆる愛ってやつなんだぜ?」


 ガーくんは、スイっと飛んで来て、わたしの耳元でそんなことをささやいた。

 それで、そのままくるんとアルバートくんの背中の近くに戻って行ってしまう。

 わたしが反応しきれないほど早く。あっという間に。


 ……あい。愛!?


 いや別に、愛というのは、変なものではないのだ。

 家族に向けるのだって愛だし。友だちに向けるのだって愛だろう。

 わたしは家族みんなに愛されていると思っているし、家族みんなを愛してる。

 ガーくんにもおばあちゃんにもみんなにも傷ついて欲しくないし、しあわせでいて欲しい。当たり前だ。

 アルバートくんに対してもそう思ったって、なにも恥ずかしいことではない。

 ないはず、なんだけど。


『気持ちの面のほんの少しだって、ルルちゃんに傷ついて欲しくはないんだ』


 アルバートくんに、さっきそう言われてしまったわけで。そのことが、何度も思い浮かんできてしまう。

 つまり、アルバートくんもわたしのことを……? いやいや、いやいやいや!!

 落ち着けわたし。なにか、変だ。

 割としょっちゅう、おばあちゃんってばわたしのことをめちゃくちゃ愛しているなあと思うけど、それは嬉しくて誇らしいだけなのに。

 彼がそうかもしれないとすると、なんとも落ち着かないというか。変にそわそわしてしまうというか。

 いや、変な意味じゃなくて。いやいや変な意味ってなに!


 ……わたしの中で、アルバートくんだけが特別ってこと?

 他の人とは違う、特別。唯一の、他とは違う種類の、愛?

 それって……、いや、ないないないっ! まだ出会って何日もたってないのに、ない!!


「ルルちゃん、どうかしたの……?」

「えっ、あっ! お、おかえりぃっ!?」


 いつの間にやら、アルバートくんが戻って来ていた。ちょっと手が土で汚れているようだけど、ケガはなさそう。

 とっさにおかえりと伝えたけれど、声がひっくり返ってしまった。恥ずかしい。

 でもアルバートくんは、少しも気にした感じはなく、朗らかに笑う。


「ただいま、ルルちゃん。見て。ちゃんと根っこまで綺麗に取れたよ」

「あ、本当だ。おお、女神の息吹だね。完ぺきにおばあちゃんのスケッチといっしょ。ええと、そしたら……」


 差し出された薬草を見て、急速に気持ちが落ち着いていく。

 洗って土を落として、それから乾燥させなきゃ。

 とても貴重な物だし、すごく大切な物だから、きちんと丁寧に。

 まずは水を用意して……。


 そうして薬草に集中するうちに、顔が赤かったのが落ち着いて来た気がする。

 なんで顔が赤くなったのかなんて、考えてはいけない。また赤くなるから。

 ニヤニヤと腹が立つ笑い方をしているガーくんと、なんだか急にさらにかっこよく見えるアルバートくん。

 どちらの顔も、わたしはしばらくちゃんと見ることができなかった。


 お宿までしばらく、歩いたはずなのだけれども。

 どんな話をしたかとか、どんな景色を見たのかとか。

 そんなことを覚えていられる余裕なんて、わたしにはなかった。

 

 いや、まあ、でも、とにかく。

 愛とか恋とか、そんなことで浮ついている場合ではないのだ。

 今は、まだ。

 今はまだってなに? とか、恋なんて誰も言っていないが? なんて、考えないったら考えないのだ。うん。


 そう結論付けた頃にはお宿についていて、ほっとしたような、もったいなかったような気持になった。

 もう、ガーくんが変な事言うから!




 ともかく、目当ての薬草は、手に入った。

 だから、わたしたちは少し安心していた。

 きっとこのままなんとかなる。そんな予感で、いっぱいだった。


 滝のある村からチーズが有名らしい別の村、それからもはやみやこの郊外と言っても過言ではないのではというくらいみやこに近い麦畑の広がる村まで。

 商人さんの馬車に乗せてもらったり、親戚に会いに行くという人の馬車に乗せてもらったりと道中まで含めて。泊まったお宿も、なにもかも。

 うまくいっていた。

 ふしぎなくらいに順調に進めた。

 事件らしい事件も、不安になるようなことも、なんにもなかった。


 だからどうしても、油断していたのだろう。


 みやこには城壁があって、その中に入るには関所を通らなければいけない。

 この国の人ではないかつ逃亡中のアルバートくんは、関所を通ることは難しい。

 だから、アルバートくんには、麦畑の村で待っていてもらおう。

 わたしとガーくんで、おばあちゃんを連れて村まで戻って来ようということになった。


 けれど、わたしたちが麦畑の村に戻った時。

 アルバートくんは、いなくなってしまっていた。

 村のどこにも。それどころか、この国のどこにも。

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