第21話
道すがらすれ違う使用人にフランツの事を伝えつつ頼みつつ、アルバートは、次は白雪の女王の夫、アルバートらの父親のもとへと向かう。
数日離れていただけで懐かしくなっている城の中を、アルバートは歩く。
美しく整えられた中庭を眺められる回り廊下を抜け、もう間もなく父の部屋に着くというところで。
その目当ての人物が、部屋からどたどたと飛び出してきた。
「フランツが、フランツが目覚めたと……! おお、アルバート、お前も戻っていたのだな……!」
頬はこけてしまっているが、父は予想外に、しっかりとした足取りをしている。
そのことにホッと息を吐きながら、アルバートは頭を下げる。
「はい。戻りました、お父様。フランツは目を覚ましはしましたが、ひどく弱っている様子です。世話役と医師たちに任せてきたばかりなので、今は騒がせない方が良いでしょう」
「そうか……。いや、良かった。アルバートよ、よくぞ戻って来てくれた。お前たちになにかあったらと思うと……」
父親は、アルバートがそこにいることを確かめるように、強く強く、アルバートを抱きしめた。
アルバートは軽く父を抱きしめ返し、しかしすぐに照れくさくなったのか、とんとんと父の背中を叩いて、解放を願う。
なごりおしげに、でもしかたなさげに。
少しゆるまった父親の腕からサッと抜け出し、アルバートは姿勢を正す。
そして、フランツの部屋からハンカチに包んで持ち出してきたそれを、父に見せた。
「ご心配をおかけしました、お父様。ところで、こちらを見てください。フランツは、コレを吐き出したのです」
その、赤い皮の果実の欠片を目にし、父親の顔色が変わる。
「これは……、リンゴ? まさか! あの魔女か!?」
かつて毒リンゴに殺されかけた白雪姫を助けたのは、他ならぬこの人だ。
白雪姫の口から吐き出されたそれと、嫌になる程そっくりな見た目と香りのリンゴだということを、彼はよくよくわかった。
警戒を一気に強めてくれた父に、アルバートはさらに告げる。
「ええ。お母様を、紐で、クシで、リンゴで殺そうとした、あの魔女、毒リンゴの魔女でしょう。やつが、この城に入り込んでいます」
「ああ、なんてことだ……」
「僕は、この城を出た後、隣国の、万能の魔女様に助けを願おうとしていました。フランツの危機を聞き、道半ばで戻って来てしまいましたが……。あの方への伝令を願えませんか。この国に、毒リンゴの魔女が戻ってきていると」
「わかった。すぐに……!」
アルバートは願い、父親は力強くうなずいた。
そのまま父親は、城のみんなに指示を出して回ろうと……、したのだけれども。
「あら、あら、まあ」
その場に、くらりとするような香りが広がる。
それと同時に、聞く者をうっとりさせてしまうような女の声が、アルバートの背後から聞こえた。
バッと後ろを振り向いたアルバートが見たのは、白雪女王の姿をした女。
けれど、その服の趣味は本物の女王と比べると、ずいぶんと下品なようで。
白雪女王であればまず着ないような、むやみに肌を晒すようなドレス。それを、だらしなく気崩して着ている。
右手には、クジャクの羽根で作られた、大ぶりの扇。それを女は、ゆらりゆらりと、大げさな動きで振っていた。
その動きにつられるように、アルバートの父はふらふらと女に歩み寄っていく。もうアルバートのことなど忘れたかのように、見もせずすっと追い越して。
女の方からもずいと身を寄せて、アルバートの父の耳に吐息がかかるほどの距離で、女は言う。
「ねえあなた、どうかしたの? どうもしないわよね? あなたは、具合が悪かったのではなくて? すぐに、部屋に戻らなきゃ。そうよね?」
「そうだ、すぐに……。すぐに、部屋に戻らなければ……」
「お、お父様……!」
アルバートが呼びかけても、父の反応はなかった。
こくこくとうなずき、ただ白雪女王の姿をした女の言葉を繰り返して。
城のみんなに指示を出して回ることなんてすっかり忘れて、彼は部屋へと、戻って行ってしまう。
アルバートは、父を追いかけたかった。
けれど、追いかけるわけにはいかなかった。
背中を向けるのなんてあまりに恐ろしすぎるような魔女が、今目の前にいるとわかっているから。
ぎゅっと緊張しているアルバートをふわりと抱きしめ、クラリとする香りで包み込んで、女は言い聞かせる。
「アルバート、おかえりなさい。毒リンゴの魔女だなんて、こわいわね。こわくてこわくて……、あなたはもう、息もできないわね?」
息の根を自分で止めろ。
これは、そういう命令だ。
そう、アルバートは理解した。
そして同時に、従ってなどやるものかと、強く心に決めた。
作戦があるわけじゃない。毒リンゴの魔女に勝てる気もしない。
でも弱っている弟から、父から、少しでもこの悪い魔女を引き離して、自分に引き付けておきたい。
時間稼ぎしかできない自分が情けないけれど、自分にできることくらいは、全力でやり抜きたいじゃないか。
つまりは、精一杯の虚勢を張ろう。
アルバートは、そう決めた。
だからアルバートは、回された腕をバシリと強く振り払って、女をにらむ。
「なっ!? アルバート、なにをするの!? ……なに、その目は。どうして、正気を保って……?」
女は、信じられないとばかりに目を見開き、じり、じりと後ずさった。
アルバートは首元のリボンに手をあて、堂々と胸をはり、はっきりと告げる。
「そんなの、効かないのさ。これは、あの万能の魔女様が、愛する弟子で孫なとびっきりかわいい魔女のために作ったリボンだ。あの子が髪の毛先のほんのわずかすら傷つかないようにと、愛と魔法がめいっぱいにこもっている。お前ごときに、どうにかできるわけがない」
魔女としての格が違う。
その事実を突きつけられた女は、ギリっと表情をゆがめ、舌打ちする。
「チッ! しょせん借り物の力でしょうに! ああ、なんて生意気な。なんて忌々しい。その髪、その目、その肌、その唇! まるで、自分が世界で一番美しいとでも言うような!」
「忌々しい? 白雪の女王が、そんな風に思うわけがない。そう思うのならば、それこそがお前が本物のお母様ではない証拠だな!」
「だったらどうした! もう、お前の言うことなど誰も信じやしない!」
激昂した様子の魔女に、内心アルバートは恐怖を覚えていた。
けれど精一杯凛々しくほえれば、魔女もカッとなったように叫び返してきた。
その迫力に飲まれそうに、アルバートの心が折れてしまいそうな瞬間に、それは、天からやって来る。
「アルバートくん、わたしは、信じるよ!」
「ボク様も信じてやるよ、アルバート!」
ばさり、ばさり、ばさり。
真っ白な羽を広げて中庭に降り立ったのは、エメラルドグリーンの髪のとびっきりかわいい魔女を乗せた、大きくて強くてかっこよくて美しいペガサスだった。
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