第23話

「ほほほっ。いえね、本番の前に、一度試した方が良いかしらと思ったのよ。でもそんなの、鏡に聞くまでもなく、ルルちゃんって決まっていますものね」

「おばあちゃんってば、そういうことじゃなくてぇ……。もう、まじめにやってよ!」


 コロコロと笑ったおばあちゃんに、わたしはぷんと怒った。

 でも、おばあちゃんはあんまり気にしてなさそうにふわりと微笑んで、仕切り直す。


「はい、ごめんなさいね、ルルちゃん。では、あらためて。……鏡よ鏡。白雪女王は、どちらにいらっしゃるの?」

「白雪の女王は、悪しき魔女に姿を奪われ、城の地下牢に捕らえられていた。今は良き魔女に助け出され、……そちらに」


 答えた鏡から、ぴかりと光が伸びた。

 そちらと言った方、つまりおばあさんの姿の女性にむかって、一直線に。

 キラキラキラーっとまばゆい光が、彼女を包む。


「ぐ、ぐぅうううううっ……!」


 苦し気なうめき声が、光とは別方向、地に伏せられた悪い魔女の方から聞こえた。

 見ればしゅうしゅうと、黒い煙が、悪い魔女を包んでいる。


 光と、煙。

 それらがすべて晴れた時。

 おばあちゃんのとなりに立っているのは、雪のように白い肌、黒檀のように黒く艶のある髪、血のように赤い唇の、青々と晴れた日のように美しい女王様だった。

 表情が、姿勢が、仕草が違うだけで、人の美しさというのはこうも変わるのか。

 毒リンゴの魔女だってこの顔かたちをしていたはずなのに、本物の女王様は、びっくりしてしまう程に美しい。

 そして地に伏せた悪い魔女は、おばあさんの姿になっている。

 それぞれ、元の姿に戻ったのだろう。


 女王様は、しばらくの間、悲しそうに、悪い魔女の姿を眺めていた。

 それからふう、とため息を吐いて、女王様は言う。


「毒リンゴの魔女よ。速やかにこの国から去りなさい。そして、二度とこの国には足を踏み入れないように。そうすれば、命まではとらないと約束しましょう」

「えっ!?」


 思わず叫んでしまってから、ぎょっとみんなの視線がこっちに集まって、わたしは慌てて口を自分の両手でふさいだ。


「ルルちゃんが驚くのも、無理はありませんね。女王、あまりに刑が軽すぎるのでは? あなたの家族がおびやかされ、国が乗っ取られるところだったのですよ?」

「ボク様も理解できないね。前回そうやって国外退去だけで済ませて、今回まんまと再犯されているじゃないか。どう考えたってそいつまたなにかしでかすぞ。地を足で踏まなきゃ良いんだろって、箒に乗りっぱなしで悪だくみとかするぞ」


 おばあちゃんとガーくんから、厳しい意見が飛んだ。

 わたしは、そこまで深く考えて叫んだわけじゃないんだけど。

 ガーくんの全力で飛んでもらったら、一日もかからずうちの国からここまで来られたので。

 国から出るって言っても割とすぐ戻ってこられない? って単純に思ってた。


 女王様はその大きな瞳にうるうると涙をため、小さな声でぼそぼそと反論する。


「けれど、それでも……。それでもその人は、わたくしの母だった人なのです……! 前の時だって、今回だって、結局、誰もどうにもなっておりません。わたくしは閉じ込められておりましたが、殺そうとはされませんでしたし……」

「母として自分のことを想ってくれていたから、自分は殺されなかった。あなたはそう、考えておられるのね?」


 おばあちゃんの問いかけに、女王様は小さくうなずく。

 白雪女王様は幼い頃に実母を亡くし、毒リンゴの魔女は女王様の継母だったと聞いている。

 親子の情があった。少なくとも、白雪女王様はそう思っているのだろう。

 ところがそれを、ガーくんが力いっぱい鼻で笑う。


「はんっ! 片方が死ねば、姿を交換する魔法は解けてしまうんだよ。あんたは、老婆の姿を押しつけるために、美しい女王の姿を保つために、生かされていた。それだけのことさ」

「そうでしょうね。残念だけれど、子さえいればだれでも母になれる、というわけではありません。心のどこにも子を愛する感情を持てない人間が、どうしたっているのです」

「そ、そんな……」


 ガーくんとおばあちゃんの言葉に、白雪女王様は、顔色を悪くして、うつむいてしまった。

 アルバートくんが、その弟さんとお父さんが、女王様のもとへと駆け寄る。

 それぞれに手を握り、きゅっと抱き着き、肩を支える家族の姿を見て、わたしは疑問に思う。


「……そんなに家族に愛されていて、まだ、母の愛っぽいものなんてものが欲しいものなの?」


 ハッと顔をあげた白雪女王様の、視線が痛い。

 しどろもどろになってしまいそうなのをなんとかこらえて、わたしは続けて説明をする。


「そりゃ、良いお母さんならいてくれた方が良いと思うわ。でも、悪い魔女の、これ、愛かなぁ……? みたいなよくわかんない物を、たっぷりの愛情をくれる家族を危険にさらしてまで求めるっていうのは……、ちょっと、よくわかんないなって……」

「ルルちゃんの言う通りです。女王、あなたは、愛されていますよ。家族にも、城の皆にも、国民にも。あなたはもう、子に対して、民に対して、母の立場なのです。過去の子どもだったあなたの無念があるというなら、それを救うつもりで、母であるあなたから愛を与えなさい」


 おばあちゃんの言葉を受けて、白雪女王様は、ぐるりと周囲を見た。

 中庭に集まったたくさんの人々。その全員が、彼女を心配そうに見つめている。

 ゆらり、動揺したように、女王様の視線がゆれる。


「アルバートもフランツも、今回、かなり危ない目にあったよな? そんな目にあわせたソレを簡単にゆるすってことは、子どもらを守る気がない、子どもらのことなんてどうでも良い、そう思われたってしかたがないぜ。女王サマはさ、ソレと、自分の今の家族、どっちの味方をするつもりなわけ?」


 ガーくんが、あきれ交じりのため息といっしょに、そう問いかけた。

 それで女王様は、アルバートくんと弟さんを、自分の子どもたちを、そして彼らとともに立つ女王様の夫を見た。

 アルバートくんはわたしの服に着替えているし、弟さんなんてパジャマだ。それも、げっそりとやつれている。

 二人の子の心配をずいぶんしていただろう女王様の夫だって、どこか疲れたような様子だ。


 毒リンゴの魔女の罪は、白雪の女王様の姿を一時借りただけではない。


 それが、ようやくわかったのだろう。


「あ、あ……、あああああっ……!」


 女王様は自分の下腹、新たな子を宿しているのかもしれない場所を抱え、泣き崩れた。

 そうだよ。出産って、命がけらしいじゃない。

 お姉ちゃんなんか、とんでもない叫び声をあげていた。いやあれは、呪いがあってのことらしいけれど。

 でもとにかく、地下牢で、だれの助けもなくては、乗り越えられるようなものではないだろう。

 毒リンゴの魔女は、女王様のお腹の子を、殺す気だった。そう考えても間違いではなさそうだ。

 そういう意味でも、簡単にゆるしてはいけないだろう。


「ごめんさいアルバート、ごめんなさいフランツ、ごめんなさいあなた、ごめんさい、みんな……! わたくしは、わたくしはなんてことを……!」

「良いんだ。良いんだよ」


 アルバートくんのお父さんは女王様を立ち上がらせ、抱きしめた。

 女王様の背中を、アルバートくんと弟さんが撫でている。

 やがて呼吸を整えた女王様は、家族に支えられながらも、背筋を伸ばして、しっかりと宣言する。


「毒リンゴの魔女は、裁判にかけましょう。女王であるわたくしには裁判など無視できる力があるけれど、それを、もうあなたのためには使わないわ。きっちりと法に照らされ、ふさわしい罰を受けなさい。……かつて、わたしの母だった人よ」

「それならば、私はこの者の魔女としての力を奪いましょう。牢を抜け出ることも、宙に浮き逃げることも、できないように」

「……お願いします、万能の魔女様」


 後半の、おばあちゃんが提案して、女王様が受け入れた事の方が、問題のようだった。

 魔女の力を失うと聞いてから、毒リンゴの魔女はジタバタともがきにもがき、うーうーとうめきにうめいている。


 けれど、もう、悪い魔女に同情する人など、だれもいない。

 毒リンゴの魔女を母と慕っていた白雪女王様は本当の家族の愛に気が付き、その他の人はみな、魔法で無理やりに従わされいた、嫌な記憶しかないのだろうから。

 悪い魔女の無駄な抵抗は、更に強く地面にむかって押しつぶされる結果になるだけだった。

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