第18話

 考え事をしながらオレはしばらく繁華街の周囲を歩いていた。

 商店街は近いが、なんとなく遠回りしたい気分だった。外の風に当たりたい、という理由もあったのだが。

『あの、タクトさん……』

「ん?」

『あそこにいるのって……』

 セラに呼び止められて、オレは前の建物のほうを見る。

 見知った顔が、巨大な建造物のロータリーに佇んでいる。と思いきや、その人物はそのまま建物の中に入っていく。

「……鹿野?」

『ですよね、やっぱり』

 やはり、オレの見間違いではなさそうだ。

 彼女が入っていったのは、この辺りではそれなりに大きな総合病院。

「何しているんだ、こんなところで」

『玉越さんのお見舞いでしょうか?』

「いや、帰りのホームルームで玉越は家で安静にしているって言っていた」

『じゃあ、一体……』

「つけてみるか」

 オレはこっそり近付き、恐る恐る病院の中に入っていく。

 当然だが、独特の薬臭い匂いが充満している。患者と医師たちがごった返していて、既に鹿野の姿は見当たらない。

『って、なんで入るんですか?』

「いや、なんとなく気になったから……」

『流石にこれはストーカーですよ』

「人聞きが悪いぞ。笛木じゃあるまいし」

「……笛木くんがどうかしたの?」


 ――って。


「のわあああああッ!」

 オレは柄にもなく素っ頓狂な声を挙げてしまった。

 背後を振り返ると、オレを淡々と見つめる鹿野の姿がそこにあった。

「……何しているの?」

「あ、えっと、なんていうか……」ここは正直に言っておこう。「たまたまこの近くを通ったらさ、鹿野さんの姿が見えたから、何しているのかなぁ、って……」

「ふぅん……」

 鹿野が訝し気な表情でこちらを見ている。嘘は言っていないし、決してやましい気持ちはないのだが、いらん誤解を与えていないか心配だ。

「それで、鹿野さんはなんで病院に? 誰かのお見舞い?」

「あぁ、私は……」

 そう言って、鹿野は廊下を歩きだす。ついてきて、ということだろうか。無言で鹿野はひたすら進んで行く。オレもそのまま彼女についていくことにした。

 しばらくすると、多目的ホールと書かれた部屋の前で立ち止まった。

「ここは……」

「入って。できれば奥の方で立ってて。ちっちゃい子たちをなるべく前の方にしたいから」

 ――どういうことだ?

 鹿野の言っている意味が良く分からなかったが、オレは言われるまま部屋に入った。

「あっ、来た!」

「ねぇねぇ、今日はどんなお話を読んでくれるの?」

「いつも楽しみにしているわよ。佳音ちゃんの読み聞かせ」

 部屋の中央に、既に何人かが集まっている。体育座りしていたり、車椅子に乗った入院着の小さな子どもら、そして同じく入院着の高齢者たち。あとは何人か看護師が今か今かと待ちわびているようだ。

 鹿野はそのまま中央のパイプ椅子に座る。オレはといえば、部屋の隅っこで遠くから眺めるかのように佇むことにした。

「みんな、こんにちは」

 いつもの鹿野からはイメージがつかない、はきはきとした声。心なしか口元も緩んでいるように見える。

「こーんにちは!」

「はーい。それじゃあ、今から絵本の読み聞かせを始めます」


 ――読み聞かせ?

「あの、看護師さん」オレは近くにいた看護師にこっそり耳打ちした。「鹿野さんって、いつもここで読み聞かせを?」

「ええ。月に一度、ボランティアで来てくれるんですよ」

 そうだったのか。本当に意外すぎて驚く。

「今日のお話は、『こころのなかのてんし』」


 ――天使?

『わぁ、天使のお話みたいですよ! 気になりますね!』

 自分が天使になったせいか、妙に気になるタイトルだ。ひとまずオレはそのまま彼女の読み聞かせを聞くことにした。

「あるところに、とっても心が優しいけど、とっても泣き虫な天使さんがいました……」

 沈着で、なおかつ温和な声で読み聞かせが始まる。

 話はいたってシンプル。天使が困っている老人、猫、更にはお寺の鐘といった様々な者たちを次々と幸せにしていくというものだ。

 だが、その繊細な話にどこかオレは聞き入ってしまう。子どもも大人も、誰一人騒ぐことなく雰囲気に呑まれながらじっと話に耳を傾けていた。

『うっ、うぅ……、ぐすっ……』

 傍らのセラから、どこかすすり泣く声が聞こえている。


 ――って。


 泣いている?

 天使として共感できるところがあるのか、それともただ単に泣き上戸なだけなのか。気になる、というか気が散ってしまって仕方がないが、今は話の続きを聞くことにした。

「今まで助けた人たちは、思い思いに感謝の言葉を伝えました。でも、今にも消えてしまいそうな天使さんにはその声が聞こえません」

 それにしても――。

 この話は、一体なんだろう。一見普通の絵本だが、どこか繊細で優しい雰囲気がある。

「『ぼくはあなたのおかげでお母さんの病気が良くなりました』『わたしはあなたのおかげで素敵な人と結婚できました』そんな思いを何度も口にして、天使さんに伝えようとしました。その中にいる一人の子どもが叫びました。『ボクは天使さんを幸せにしたい!』その言葉が出たとたん、ほかの人たちも次々と『天使さん、幸せになって!』『消えないで!』と、天使さんの幸せを願い始めました。するとどうでしょう……。消えかかっていた天使さんが、元通りになっていきました」

『うぅ、天使さん、良かったです……』

「『ありがとう。今までは人に幸せをあげてばかりでしたが、幸せがこんなにあたたかいものだったなんて知りませんでした。みなさんのおかげです』感謝を告げた天使さんは、またどこかへ飛び去っていきました。天使さんはこれからも、人々に幸せを与え続けていくことでしょう。おしまい」

 絵本を読み終えると、部屋中から拍手の嵐が沸き起こった。

『感動しました……、こんな素敵なお話があるんですね』

「あぁ……」

 鹿野は立ち上がり、深々とお辞儀をするとそのまま部屋から出ていく。

 なんていうか、淡々とした奴だな、本当に。

 ひとまずオレは鹿野を追いかけることにした。

「おおい、鹿野……」

 廊下で呼び止めようとした矢先、彼女が誰かと話をしていることに気が付いた。

「いつも楽しませてくれてありがとね」

「いえ……」

 杖を突いた六十代くらいの女性だ。朗らかな表情で鹿野に深々とお辞儀をしている。そういえば、先ほどの読み聞かせの時にも姿を見かけたような気がする。

「あの絵本、やっぱり今回もお母さんが描いたのかしら?」

「はい……」


 ――鹿野の、母親が?

 疑問に思ったオレは、鹿野に近寄った。

「あら、佳音ちゃんのお友達かしら」

「はい。学校の……。それよりもあの絵本って、鹿野さんのお母さんが創ったってこと?」

「……うん。実は」

「凄い! もしかして絵本の作家さん?」

 鹿野はこくり、と頷いて、

「……昔は、だけど」

「そう、なんだ……」

 今は違うってことか。因果関係があるわけではないが、あのホスト狂いの体たらくで絵本作家だったというのは想像がつきにくい。


 ホスト……?

 そういえば、忘れかけていたけど、まさか、鹿野の母親と真喜人が出会ったのって……?


 と、オレが考え込んだ瞬間――、

「うっ……」

 目の前にいた女性が苦しみだした。

「大丈夫ですか……」

「え、えぇ……。いつものこと、よ……」

 悶えて蹲る女性を見かけた看護師たちが次々と寄ってくる。

「幸恵さん! しっかりしてください!」

「すぐにストレッチャーの準備を!」

「はい!」

 あれやこれやという間に幸恵と呼ばれた女性はストレッチャーに乗せられていくのだった。

「お、大袈裟よ。これぐらい……」

「喋らないでください! 行きますよ!」

「せめて、息子に連絡を……」

「真喜人さんにはこちらから連絡しますから!」


 ――えっ?

 今、なんて?


「ねぇ、鹿野さん。今、看護師さんが……」

「……偶然、かな?」


 あの女性の息子が、真喜人?


 ――なるほどな。

 どうやら、ここは確認してみる必要がありそうだな。

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