第16話
「玉越さんは心配ないわ。一時的に意識を失っていたみたいだけど、迅速に対応してくれたおかげで大事には至ってないわよ。一応、親御さんには後で病院に連れて行ってもらうように連絡しておいたわ。あ、今彼女は寝ているから静かに、ね」
保健医の説明に、オレたちはほっと胸を撫で下ろした。
水泳の授業が終わり、オレと笛木で玉越の様子を見に来たわけだが、ひとまず大丈夫のようだ。
「鹿野さんもありがとうね」
「……いえ」
ベッドの傍らに座り込んでいる鹿野が返事をした。
あの後すぐに美濃先生と三組の担任がやってきて、玉越は美濃先生に介助してもらって保健室に運ばれていった。鹿野はどうせ自分は見学だから、と一緒に付き添うことを申し出てくれた。そのおかげで水泳の授業も三組の担任の仕切りで滞りなく行なわれるのだった。
授業中はどんな様子だったのか分からないが、今の状況を見る限り鹿野はずっと玉越のことを看てくれていたようだ。
「本当にありがとう……」
「……全然構わない」
笛木は涙目で感謝をしている。水泳の授業中もソワソワと気が気でない感じだったからな、コイツ。相当心配していたのだろう。
「おっと、来たばかりで申し訳ないけど、僕は図書委員の仕事に向かうね。本当は僕が交代してあげたいところだけど……」
「いいのよ。笛木君ありがとうね。クラスが違うのに何から何まで」
「こちらこそありがとうございます。それじゃあ、僕はこれで」
笛木は会釈して、保健室を立ち去った。
「あなたたちももういいわよ。後は私が看ておくから」
「ありがとうございます。でも、もう少しだけ……」
「あら、そう。それじゃあ、ちょっとだけ頼もうかしら。ちょうど職員室に取りに行くものがあるから、その間だけお願い」
「……はい」
保健医が部屋を出ると、一気に部屋中に沈黙が訪れる。
オレはふと、鹿野のことを見る。何というか、昨日の件が嘘みたいな光景だ。
昨日鹿野は包丁で玉越を刺していたのかも知れない。結果的にそのような事態には陥らなかったが、一歩間違えていたら悲惨なことになっていた可能性もある。
それが今は……。
「……チッ」
ベッドの中から鈍い舌打ちが聞こえる。
「……起きてる?」
なんとなく鹿野が尋ねると、はぁっとこれみよがしなため息が聞こえてきた。
「さっきからずっと起きているっての。何よ、良い子ぶっちゃって……」
バツが悪そうに玉越は横向きになって不貞腐れている。
「良い子ぶるとかそういう言い方は……」
「まさかこれで借りを作ろうとか思っていないよね? 言っておくけど、アンタのことまだムカついてんだからねッ!」
「……」
――コイツは。
まだ昨日の事を反省していないようだ。この分だといじめが再発するのも時間の問題だろう。
「あぁ、もう! ムカつく! どいつもこいつも!」
「笛木くんも?」
オレがその名前を出すと、玉越は「うっ……」と言葉を詰まらせた。
「……笛木くんは別」
「あ、そう。まぁ私らのことはともかく、笛木くんにはしっかりとお礼言っておきなよ」
「……お礼?」
「玉越さんを真っ先に助けて応急処置したの、笛木くんだよ」
鹿野がオレの代わりに答えた。
「応急処置……?」
「人工呼吸とか、ね」
そう吐き捨ててやると、玉越は顔を真っ赤にして「なっ……」と硬直してしまう。
「い、いくらなんでもそれは早すぎるというか、いや、イマドキの小学生なら普通かもだけど、でもまだ心の準備もできていないというか、初めてのき、き、き、きす……」
独り言でベラベラと語りだした。見かけによらずウブなんだな。コイツのことだから正直とっくの昔に経験済みぐらいだと勝手に思い込んでいた。
「笛木君、あなたのことを本当に心配していたんだよ」
「……助けた後、ずっと抱きしめていたよ」
「そ、そうなんだ……」
玉越が黙り込む。恥ずかしさなのか、何か思うところがあるのか、それとも両方なのか。少しだけ顔が赤いが、それ以上に口をへの字に曲げているのが妙に気になった。
「幸せだね、玉越さんは」
「……えっ?」
「笛木くんのあんな顔、初めてみたよ。あれ、本当に死んじゃったんじゃないかって思って凄く悲しんでいる顔だった。そんな人がいてくれるのって、凄く幸せなことなんだよ」
「……それは」
「あなたといつもつるんでいる子たちも凄く不安そうだった。なんだかんだでアンタのことを大切な友達だって思っているんだよ」
「……当たり前でしょ、そんなの」
「当たり前なんかじゃないッ!」
オレはその大声に、思わず驚いた。
声を挙げたのは鹿野だった。今まで寡黙だった彼女が、突然こんな声を出したのだ。玉越もオレと同じように目を丸くして驚いている。
「な、何よ……」
「心配してくれる人がいるって、凄く幸せなんだよ! 簡単に当たり前だなんて言わないでッ! 自分が愛されて当たり前だなんて思っているなら、あなたは人を愛する資格なんてないよ!」
鹿野が珍しく剣幕になって怒っている。その瞳にはうっすらと涙が滲んでいた。
――あぁ、そうか。
多分、鹿野自身も心配だったんだな。笛木や、玉越の取り巻きたちと同じくらい。だからこうして親身になって看ていたんだ。
例えそれが、自分のことを虐めていた相手だとしても。
「玉越さん、笛木君のことは本当に好きなんだよね?」
オレは玉越に聞いてみた。
「あ、当たり前でしょ!」
「だったら……」オレは額を抑えながら、「あなたも笛木君みたいに、誰かの幸せを喜べる人になって欲しいな。彼みたいに優しい、純粋な人に、ね」
オレは玉越に向けて諭した。まぁ、実際のアイツはストーカー紛いの行動をしていたわけだが。あくまでも玉越にとっての笛木ということで。
「……分かったっての」
玉越はバツが悪そうに窓の外へ視線を送る。
「……ごめんね、さっきは大声出しちゃって」
「何でアンタが謝るの? そういうのムカつくんだけど」
「あっ……」
「まぁいいけど。なんていうか、人に叱られるのとか久しぶりだったからビックリした」
「……そう、なんだ」
鹿野がそれだけ言って、再び沈黙が続いた。
しばらくすると、保健室の扉が開く。保健医が戻ってきたみたいだ。
「玉越さん、お母様が迎えに来たわよ」
「はぁい」
「大丈夫? 一人で準備できる?」
「それぐらいは大丈夫です」
「ならよかったわ。それじゃあ、私はお母様のところで待っているから、準備が出来たら昇降口まで来てね」
それだけ言って、保健医は再び部屋を出た。
「……私も教室に戻るね。それじゃ」
「待って!」
玉越が大声で鹿野を呼び止めた。
「……まだ何か用?」
「そ、その……」玉越は口をもごもごとさせながら、「ありが、とう……。それと、今まで、ごめん……」
顔を赤らめながら謝る玉越に、鹿野は
「別に、いいよ」
「……本当に?」
こくり、と頷いてそのまま鹿野は保健室を立ち去っていった。
「じゃあ私も……」
「アンタはまだ帰らないで」
オレは振り返り、じっと玉越を見つめる。
そういえば、さっき……、
「もしかして、プールで言ってたこと? 後で話があるとかなんとか」
「そう。だからその話だけ済ませておきたいの」
玉越はかなり真剣な目付きでオレを睨みつけている。恨みや怒り、という様子ではなさそうだ。いつになく真面目な態度に、オレもしっかり目を見開いた。
「できるだけ手短に済ませよっか。あなたも早く病院に行かなきゃいけないわけだし」
「ちゃんと答えてくれたら早く終わるから」
「あっそ。で、何の話? 笛木くんのこと?」
「違う。笛木くんを勝手に巻き込まないで」
――コイツは。
奴がお前のことを盗聴していたと知ったらどういう反応をすることやら。
「じゃあ、鹿野さん関連?」
「……まぁ、そう」
「いじめていたことなら誰にも言ってな……」
「それはいいの! 一応、そのことは反省しているから。もうあんな真似はしない」
「だったら……」
「昨日」軽く呼吸を繰り返しながら、玉越が聞いてきた。「アンタたち、帰りに男の人と一緒に車に乗っていたでしょ」
……。
見られていたのか。
「そうだけど。見ていたの?」
「見ていたっての。アンタにコテンパンにやられた後に、公園で時間を潰していたら、なんかアンタたちの姿が見えてさ」
「あ、そうなんだ…・・。で、車で帰ったことが何か問題? たまたま鹿野さんの知り合いの人がご厚意で乗せてくれるって言ったから甘えただけで……」
「知り合い? 今、あの男の人と知り合いって言ったよね? どういう関係なわけ?」
玉越が更に強く声を荒げた。
「あの人のこと知っているの?」
玉越がこくり、と頷いて
「……知っているっての。その前に質問に答えて」
――まさか。
「玉越さんのお母さんとお付き合いしている人だって……」
「お付き合いって、えっ……? やっぱり、でも、そんな……」
何やら玉越の様子がおかしい。どうやら本当に、あの真喜人という男のことを知っているみたいだ。
「ねぇ、玉越さん教えて! あの人、一体……」
「……スト、よ」
――えっ?
一瞬言葉が掠れて聞こえなかったが、なんとなく察した。
「あの人、この辺りで有名な悪徳ホスト! うちの姉貴の友達も前に被害に遭ったって言ってた!」
その言葉に、オレはドクン、と心臓を高鳴らせていた。
――思い出した。
あの真喜人という男は、確かに前世の記憶でもホストだった。
それも相当なろくでなしの類。自分に惚れた女性に売春や犯罪行為の斡旋を行っているという噂だ。
そして……、
あの日、オレは初めて人を殺した。
真喜人が働いているホストクラブがあるビルの屋上に向かい、奴を銃で撃ちぬいた。
そして、その後は……。
オレは後の記憶を辿ろうとするが、頭が痛くなってその場にしゃがみこんでしまった。
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