第13話
車で揺られること五分、近所のファミレスに停まって中に入っていった。
十八時に差し掛かる時間帯の店内には、母子連れのグループや仕事帰りらしきサラリーマン、そしてテスト勉強をしている学生たちで賑わっている。
店員から席を案内されて、窓際のテーブルに座った。オレの隣には鹿野、対面に真喜人が座った。
「遠慮なく好きなもの頼んでいいよ」
「あ、ありがとうございます」
オレはメニュー表を眺めながら、チラチラと真喜人の様子を窺う。
これといって特に変な様子もなく、微笑ましそうにメニューやオレたちの様子を眺めているだけだ。こうして見ると普通の好青年としか見えない。
「……決まった」
「あ、うん。私も」
オレたちはタッチパネルに注文を入力した。鹿野はカルボナーラとガトーショコラ、真喜人は鶏の照り焼き御膳、オレはミックスグリルとカスタードプディング、そしてドリンクバーを三人分頼んだ。
「僕はちょっとトイレに行ってくるね」
「……分かった。私はみんなのドリンクを取ってくる」
「佳音ちゃんありがとう。それじゃあウーロン茶をお願い」
「あ、私も同じので……」
鹿野はこくり、と頷いてそのまま二人とも席を立ってしまった。
――チャンスだ。
オレは隣に置いてある鹿野の鞄を開けて中身を覗き込んだ。
『ちょ、ちょっとタクトさん……』
「やっぱりあったな」
おそらく、と思ってはいたが、予想通りの物が中から見つかった。すぐさま鞄を閉めてオレは平然と態勢を立て直す。
「……お待たせ」
「あぁ、ありがとう」
何食わぬ顔で鹿野を出迎える。鹿野は特に不思議がる様子もなく、グラスを置いてから着席した。
それからしばらくは沈黙が続いていく。帰り道で散々会話をしていたのが嘘みたいに、何を話していいのか分からない状況に陥っていた。
「ごめんごめん、お待たせ。トイレが混んじゃってて」
沈黙を打破するかのように真喜人が戻ってきた。
そこから間髪を入れずに料理が運ばれてくる。肉の香ばしい匂いが立ち込める。ゆっくりと舌鼓を打ちながら、目の前のハンバーグを平らげた。
そして、皆が食べ終わるタイミングでデザートが運ばれてきた。
「……プリン、好きなんだ」
「えっ?」
鹿野の呟きに、オレは一瞬動きが止まる。
「ほら、この間も給食のプリンの余りを貰っていたから……」
「あ、そうそう。うん、実は好きで……。変かな?」
「……うぅん。なんていうか、ちょっと似ているなって」
「似ているって、誰に?」
「……秘密」
鹿野はそっぽを向いて、静かにガトーショコラを頬張った。
――まさか、な。
オレはプリンを口にした。とろけるような甘い味が口いっぱいに広がる。今はそれ以外のことは考えないようにしよう、と思った。
ファミレスを後にして、オレたちはようやく鹿野の家に着いた。
オレは深呼吸をして、三〇二号室のドアに手を掛ける。
「……どうしたの?」
鹿野が不思議そうにこちらを見てくる。
――イカンイカン。
前回の記憶が思わず蘇ってしまうところだった。あの、血生臭い、凄惨な光景。何度も見慣れてきたオレでも思わず立ち眩んでしまいそうになるほどの衝撃を喰らった。
幸い、今はそのようなことはない。至って普通のマンションの廊下だ。そりゃ当たり前なのだが、オレはほっと胸を撫で下ろしてしまった。
「お邪魔します」
恐る恐る部屋に入っていく。勿論、特に変わった様子はない。
「私の部屋、ここだから」
傍らにある部屋に入り、オレは無言で床に座り込んだ。
間もなく鹿野がお盆にコップを乗せて運んできて、テーブルに置く。
「……それじゃ、始めよっか。宿題」
「う、うん……」
淡々と宿題をこなしていき、しばらくは沈黙に近い空気が流れていく。宿題そのものは三十分も経たないうちにあっさりと終わってしまった。
「……これでいい?」
「うん、ありがとう。助かったよ」
「どういたしまして……」
オレは麦茶を飲み干して、もう一度お盆に乗せた。鹿野は様子を察してこくり、と頷いてそのまま無言でお盆を持って部屋を立ち去った。
――今のうちに!
オレは自分の鞄から黒い塊を取り出した。
『タクトさん、それって……』
「コイツを……、まぁ、ここでいっか」
鹿野のベッドの下にそれをこっそりと仕込んだ。安直な方法だが、この際そこまで細かいことを気にする必要はないだろう。
『それって、笛木さんの盗聴器ですよね!?』
「あぁ。おあつらえ向きだと思ってな。ちょっとばかし借りさせてもらう」
『ダ、ダ、ダダダダダダメですよおおおおおおおおおおおッ! 盗聴は犯罪ですッッッッ! 天使が犯罪者みたいなことしないでくださいッッッッ!』
「犯罪者を天使にした奴が何をほざいてる⁉」
やれやれ、とオレが頭を掻いていると、再び部屋の扉が開いた。
「……誰かと話していたの?」
「あ、うん。ごめん。ちょっと親に電話してた」
「ふぅん……」
何度目の苦しい言い訳だろうか。まぁ、鹿野は特に気にも留める様子はないが。
「それでさ、鹿野さん……」
「何?」
この際だ。この場で思い切って聞いてみるか。
「鹿野さん……、あのさ」
「うん……」
オレは少し深呼吸を交えて、
「鞄の中に、何で包丁が入っているの?」
一瞬にして、鹿野の顔が引きつる。
「……見たの?」
「ごめん、チラっとだけど鞄の中が見えちゃったから」
勿論嘘だ。先ほどファミレスで鞄を覗いたときにしっかり見えた。布に包まれた、刃渡り二〇センチほどの包丁が。
それは間違いなく、前の世界で見た光景――真喜人を刺したときに使用していた物と全く同じ包丁だった。
「それは……」
「今日は調理実習とかなかったよね? 何で持ってきているの?」
鹿野は俯いたまま、ぐっと眉間をピクピクさせている。
「……まさか、それを聞くためにわざわさ?」
オレは頷いて、
「ずっと気になっていたから。こんなの見つかったら大問題だよ。銃刀法違反って、所持しているだけでもダメなんだよ」
鹿野は口をもごもごとせわしなく動かしている。しかし、声は出ていない。
「……誰かに言いつけるの?」
「安心して。このことは私と鹿野さんの秘密にしておくから」
「……本当?」
「本当だよ」
そこまで言うと、鹿野は少しだけ強張った顔を緩めた。
次第に彼女の瞳から、数滴ほど雫が伝ってくる。床面にポツリ、と垂れて、ひくっ、と嗚咽を漏らし始める。
「ごめ、ごめんなさい……」
「もしかして、だけど……。誰かを刺そうと思っていたの?」
「うん……」
やっぱり、だ。
『まさか、あの真喜人って人を……』
「それってもしかして……」オレはじっと鹿野を見つめて、「玉越さんを?」
オレがそう答えると、
「そう……。何でもお見通しなんだね、拓斗さんは」
『えっ、そっち?』
オレが思っていたとおりだった。
「まぁ、理由はなんとなく分かるよ。誰だってあんないじめを受けたら気が狂いそうになるから」
「……拓斗さんには、本当に感謝している。もしあれでまた何かされたら、私、わたし……」
鹿野の嗚咽が次第に強くなっていく。
――辛かったんだな、本当は。
あまりいじめを気にしていない様子だったが、あんなことをされて傷つかない人間はいない。鹿野だって、ずっと耐えてきたんだ。
オレは鹿野に近付いていき、そっと彼女の頭を抱えた。
「大丈夫……。もう、何も心配することはないよ」
「……拓斗、さん」
オレの胸元が鹿野の涙でじんわりと温かくなっていく。何年ぶりだろうか、こんな感触を身で味わったのは。
しばらく、オレは鹿野の頭をさすりながら、泣き止むまでずっと抱きしめていた。
「ただ、もう約束して。たとえどんなに辛くても、絶対に誰かを傷つけるようなことはしないって」
「うん、約束する……」
オレは鹿野が少し落ち着いたのを確認すると、ゆっくりと胸から離していった。
「その言葉、信じるよ。もし困ったことがあったら、ちゃんと私に相談してね」
「拓斗さん……、ありがとう」
「お礼なんかいいよ。私たち、もう親友でしょ」
その言葉に、鹿野はふっと笑みをこぼした。
初めて見る、彼女の本当の笑顔。まだ少しだけ涙が残っているけど、それでもこんなに優しい顔なんだなとオレは心を綻ばせていった。
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