第14話
時刻は既に夜の八時を回っている。健全な小学生なら早く帰れと言われる時間帯だ。
「随分遅かったね。もう帰るのかい?」
「ええ、お邪魔しました」
「外は暗いけど、送っていかなくて本当に大丈夫?」
「あ、はい。近いので歩いて帰ります」
真喜人はリビングでテーブルに腰掛けながらテレビを見ている。随分と古い映画だ。真っ白なゴムマスクの男が印象的な、あのミステリードラマだ。
オレはふと、その映像に釘付けになってしまう。
「これって……」
「あぁ、テレビを付けたらやっていたからさ。なんとなく見てたんだ」
なんて言っている間に、殺人事件のシーンが始まる。庭に飾られている人形の首が人間の生首と挿げ替えられており、悲鳴と共にゴロン、と首が転げ落ちる。なかなかにインパクトはあるシーンなのだが――、
「……うわっ」
「キッツいね、これ」
若干引き気味な鹿野と真喜人を余所にオレは
「そうですかね」少し目を背けてから、「明らかに造り物ですよ、あの生首」
「はっはっは、そりゃそうだよ! 本物なわけないじゃないか」
「……それでもリアルすぎる」
リアル、ねぇ。
ま、一般人の反応はそんなものだろう。
「本物の生首はもっとエグいよ」
「……見たことあるの?」
ある、と答えたい気持ちはあったが、流石に「ないよ。ただのイメージ」と吐き捨てておいた。
そのままオレは会釈をして、玄関に向かっていった。
「それじゃあ、また明日」
「……うん」
先ほどまで泣いていた鹿野は、もうすっかりいつもの調子に戻っていた。
――この分なら大丈夫、か。
玄関の扉を開けてオレは帰路についた。
『なんだか色々ありすぎましたね』
暗い裏道の中、セラが話しかけてきた。
「まだまだ油断はできないけどな」
『ひとまずは安心、でいいのでしょうか?』
「分からん。明日の朝起きたら世界が崩壊していたりしてな」
『こ、怖いこと言わないでください!』
やれやれ。天使の癖にビビリか、コイツは。
「結局、前の世界で何故あんなことになったのかが分からないままだからな。時間稼ぎぐらいにはなった程度だ」
『真喜人さん、でしたっけ? なんであの方は刺されたのでしょうか?』
「さぁな。あの時に二人の間に何があったことやら」
『それにしても、タクトさん。どうして佳音さんが玉越さんを刺そうとしていたって分かったんですか?』
「あぁ、あれか」オレはため息を吐いて、「あれはただの直感だ」
『えっ……』
セラが硬直しながらオレを見る。
「つっても、現状そう考えるしかないだろ。オレたちは崩壊する前の世界で真喜人が刺されたことを知っている。だが、オレたちが今の世界で見たのは、あくまでも鹿野に親切にしている普通の優男だからな。さっきの流れで『真喜人を刺そうとしていた』と言ったら鹿野が不思議に思うだろ」
『それは、たしかに……』
「それに、だ」もう一回オレはため息を吐いて、「初めから真喜人を刺そうとしていたならわざわざ学校の鞄に包丁を忍ばせたりはしない。あの男が下校途中で出会ったのは単なる偶然だ。本当は鹿野は学校で誰かを刺そうと思っていたんだよ」
『あっ……』
ようやくセラが合点がいったかのような顔つきになる。
「そう考えると、心当たりのある人物は一人しかいない。おそらく、もしいじめが今日も行なわれていたらあの包丁で玉越が刺されていたかもな。運良く今日はアイツの機嫌が良かったからちょっかいも出されることもなく事件は起こらずに済んだが」
『結果的には玉越さんの恋を叶えたのは間違っていなかったわけですね』
「あぁ。そうなったら玉越を刺したときに世界が崩壊していた可能性もあり得るな」
うっ、とセラが言葉に詰まる。
『佳音さん……、優しそうな人なのに……』
「セラ」オレは傍らの天使をじっと見つめて、「世の中に、絶対人を殺さない、なんて人間は存在しねぇよ」
『……タクト、さん?』
「あんだけいじめられりゃ無理もないだろう。この先更にエスカレートするかも、って考えたらそんな行動に出てもおかしくはない。ま、鹿野のことだ。あくまでも脅しか護身用として持っていったのだろうな」
『何事もなくて良かったです』
「今のところは、な」
『……ですよね』
結局、あの世界で何故鹿野が真喜人を刺したのかは分からないままだった。少なくとも、今後はより鹿野のことを気に掛ける必要があるだろう。
そんなことを話しているうちに商店街へとたどり着いた。天界へ繋がる扉を開けて、ふわふわの空間が内部に広がっている。
オレは腰を下ろして、鞄を開けた。
「明日の準備ですか?」
くっきりと姿が見えるようになったセラが話しかけてくる。
「その前にやることがあるだろ」
中に入っている、黒い物体を取り出す。それは、笛木から没収した受信機だった。随分とアナログなラジオのような型ではあるが、逆に分かりやすくて使いやすい。
「……本当にやるんですね」
「ただの様子確認だ。本当はこんな手を使うのは好きじゃない」
電源を入れると鈍いノイズが流れてくる。なんとか周波数を調整すると、微かな声が耳に届く。
しばらくは沈黙が続いた。微かな生活音がやっと聞こえるかという程度だ。
『……のぉん』
扉を開ける音と共に、高い女性の声が聞こえてきた。勿論、鹿野の声ではない。
『……酒くさっ』
『ごめぇん、ちょっとぉ飲み過ぎたぁ』
『あのさ……、いい加減ホストクラブもほどほどにしておきなよ』
『はいはい……。それで、マキトさんは?』
『……いないよ』
『あ、そう。まぁいっかぁ。それじゃあ、母さんはお水飲んだら寝るからぁ』
『……また吐き散らかさないでよ』
『はあい、お休みぃ……』
それだけのやり取りが聞こえると、また生活音だけの侘しい音声に戻っていった。そこまで聞いたところで、オレは受信機のスイッチを切った。
――なるほど、な。
「佳音さんのお母さん、ですかね?」
「自分で母さんって言っていたからな」
「佳音さんと似てなさそうなタイプですね」
「そんなもんだろ。親は子を映す鏡とは言うが、鏡ってのは反対にも映るもんだ」
「あれが母親ですか!? 子どもの面倒を人任せにして、自分はホストクラブ三昧って……。絵に描いたような毒親じゃないですか!」
「頻度にもよるが、あまり良い親ではないようなのは間違いないようだ」
「真喜人さんもですよ! もう帰ったって言っていましたよね? 薄情すぎません? 普通お母さんが帰ってくるまで待っていませんか? 家に女の子一人ですよ!」
「ま、所詮他人の子だからな」
とオレは冷たく反応するが、正直珍しくセラの指摘は鋭いところを突いていると感じた。
「なんかどんどん闇が深くなってきましたよ! 絶対、何かありますってあの家族!」
「これだけじゃなんともな……」
はっきり言ってしまえば、もっと複雑すぎる家庭など多々ある。善悪は別として、鹿野の家はまだシンプルな部類だろう。今のところ分かっている範囲では、の話だが。
「こんな状態じゃ、佳音さんがいつまた心を壊してもおかしくないですよ!」
「だろうな。何せ、学校に包丁持っていくぐらいだからな」
「絶対に幸せにしましょうね! それで、世界の崩壊を防ぎましょう!」
「あぁ……」
とはいえ、真喜人が帰ったので、今日のところはあのような事件は起こらなさそうと考えていいだろう。奴の存在には気になるところが多々あるが。
「あと、天使の本業もありますからね! 佳音さんだけじゃなくて、他の人たちの幸せもしっかりと分け与えていくことを忘れないように! ぶっちゃけ私も忘れかかっていましたが!」
「お前なぁ……」
「いいですか! やることは多いですよ!」
やれやれ、先が思いやられるな。
オレはため息混じりに、鞄を開けた。
明日の授業の準備ぐらいは普通にやっておかないとな。
「はぁ……、っていうかオレってやっぱ女になっているんだな」
「今更何を言っているんですか」
鞄の中身を見るたびに、改めて自身が女になっていることを思い知らされる。生理用品などはまだしも、やたら可愛らしい筆記用具やら小物やら、全部セラの趣味で揃えられたものだ。
後はまだ風呂やトイレの際も微妙な気持ちにさせられる。多少はマシになったが。
まぁ、それ以外は大して不便はない。今となっては女子になったおかげで鹿野とも自然とコミュニケーションを取っているわけだし。
これ以上恥ずかしい思いなど、あるわけが……。
「そういえば、明日は体育があったな」
「そうですよ。ですから、私の方で用意しておきました」
……?
……用意?
「用意って、体操着ならもう……」
「忘れたんですか? 明日の体育はプールですよ!」
……。
……えっ?
「それって、つまり……」
「はい! ですので、私が用意しておきました! スクール水着!」
セラがオレの目の前にでかでかとスク水を広げてきた。
ってことは――。
明日のオレは、これを着ることになるわけで。
そのことを考えたオレは、一瞬にして目の前が真っ白になった。
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