第19話

 処置室の前で、オレたちはじっと身体を強張らせていた。刻、一刻と時間が経っていく。固唾を呑んで、ただ幸恵の容態がどうなるか待つしかできなかった。

「……助かるかな?」

「だといいけど……」

 つい先ほど出会ったばかりの、見ず知らずの老婆。オレが気に掛ける必然性は正直ない。成り行きで付き添っているだけだ。


 ――いや。


 最後に看護師が発した、「真喜人」という名前。それを確認しておきたい、という理由もある。

 それ以外の理由は、ないはずだ。その用件さえ済ませれば、あの人物に用はない。


 はず、だ――。


『心配ですね』

「あぁ……」

 オレたちが神妙な面持ちで待っていると、廊下の向こう側から誰かがやってきた。

「……君たち?」

 やはり、といったところか。見知った顔がオレたちの姿を見るなり、不可解な顔になる。

「真喜人、さん?」

「えっと、どうして君たちが?」

「実は……」

 オレたちは事情を話した。鹿野が病院で読み聞かせのボランティアをしていたこと、偶然出会った幸恵という女性が突然倒れたこと。別段差し支えのない部分は嘘偽りなく伝えた。

「……そうか。すまなかったね」

「やっぱり、真喜人さんのお母さんだったんですね」

 真喜人はこくり、と頷き、

「偶然っていうのは怖いね。うん、そうだよ。重い病で、ずっと入院していてね……」

 しばらく俯きながら、真喜人は静かに話す。

「他にご家族はいないんですか?」

「父は早くに他界したから……。兄もいるんだけど、今はどこで何をしているのか……」

 と、そのとき――、

「お待たせしました」

 処置室から出てきた初老の医師が話しかけてきた。

「母は……、どうなったんですか?」

「一命は取り留めました」

 それを聞くと、真喜人はほっと胸を撫で下ろし、

「良かった……」

『良かったです……』

 何故かセラも安堵の言葉を放つ。

「ですが、いつまたこのような状況に陥るか分かりません。あまりこういった言い方はしたくないのですが、最悪の場合……」

「分かっています。すみませんが、引き続き母のことをよろしくお願いします」

 真喜人が深々と頭を下げると、医師も同じように頭を下げてその場を去っていった。

「治るといいですね」

「あぁ。でも母も歳だからね。あまり無理もさせられない、けど……」真喜人は顔に影を落として、「どうせなら、もっと長生きしてほしいよ。せめて、僕が結婚……」

 そこまで言いかけて、真喜人は口を噤んだ。

「……真喜人、さん?」

「あ、いや。何でもない。とりあえず、僕は今日は母に付き添う。あ、このことは佳音ちゃんのお母さんには黙っておいてね。あまり彼女にいらない心配を掛けたくないんだ」

「……それは、構いませんが」


 ――なんだ?

 あまりにも「マキト」の情報と、ここにいる男の性格が乖離しすぎている。


 ――マキト。

 前世で、オレが殺した人物。

 あの男が見せつけていた目は忘れられない。


『この人……、本当に悪質ホストなのでしょうか?』

「親の容態を心配するのは当然だろ」

 セラに反論してみるものの、正直同感だ。あまりにもイメージが違い過ぎる。人の上っ面だけで見るのは危険だということは前世から重々理解しておいたはずだ。だが、どうも引っ掛かる点がオレの中で渦巻いていた。

 この男からは、アイツから感じた禍々しい気が全く感じられなかった。


 ――待てよ。


 そういえば、とオレは思いついた。ちょうど良い、ひとつ恩を売っておけば、一石三鳥ぐらいは狙えそうだ。

「それじゃあ、私もこれで失礼します」

「うん、ありがとう。ごめんね、僕の母に付き添ってくれて」

「……ありがとう。成り行きなのに」

「いいよ、別に。私が勝手についてきてしまっただけだから。それじゃ、また明日学校でね!」

 オレたちはそのまま病院から出ていった。

『なんかまたワケが分からなくなってしまいましたね』

「いや、好都合だ。ここで一気に情報を集めようと思う」

『集めるって、一体……』

 オレはふっと笑みを零して、

「今夜……、またお前の力を借りるぞ、セラ」



 深夜の病室。暗い部屋に、一人の男が椅子に座り込んでいた。

「……母さん」

 男――、真喜人はただベッドに横たわる女性の手を握りながら、椅子に座ってじっと俯いていた。

「……ま、きと」

 真喜人ははっと我に返るが、それが寝言だということに気が付きふぅ、と呼吸をして再び顔を俯いた。

 それから再び、静寂が訪れる。時計の針の音、外の車の音、微かな機械音。何も変わらない、暗黒の空間に普段なら気に留めないような音だけがひたすら流れていた。


 ――さて。


 ここでひとつ、静寂を打ち破ってやりますか。

「こんばんは」

「誰だ!?」

 病室の入り口に佇むオレの姿を見るなり、真喜人は目を丸くして驚いていた。

「どうも、です」

「君……、なんでここに?」

「どうしても気になって、こっそり忍び込んでしまいました」

 嘘だが。実はあれからしばらく病院の中で隠れていた。

「忍び込んだって……、何を考えているんだ!」

「本当にすみません。その点については謝ります」

 真喜人は冷や汗を拭って、オレのほうへと近付いていく。

「全く、最近の子は本当に良く分からないな……」

「良く分からないのはあなたのほうですよね、マキトさん」

 そう言うと、真喜人はオレのほうを睨みつけた。

「何が言いたいんだ?」

「私、知っているんですよ。あなたが、この辺じゃ有名なホストだってことを」

「うっ……」

 真喜人は口を噤んだ。じっとオレのほうを睨みつけたまま、拳を握りしめている。

「どういうことか、しっかり説明お願いできますか」

「……断る」

 やはり、奴は話さない、か。

「だったら、ひとつ取引をしましょう。あなたが事情を話してくれたら、私がお母さんを助けてあげます」

「何だって?」真喜人は怪訝そうな顔を浮かべた後、「馬鹿馬鹿しい。そんなことをできるわけがないだろう」

「信用していないんですね」

「当たり前だ。分かったらとっとと帰って……」

 オレは間髪を入れずに意識を集中させた。ふわりとした柔らかな感触が再び伝わってくる。

「これでも、ですか」

「なっ、その姿は……」

 一瞬にして羽の生えた天使に変わったオレを見るなり、真喜人は何が起きたのか分からないように硬直した。

「この姿では初めまして。オレは、本当は天使です……」

『また人前で変身して……』

 呆れかえるセラを余所に、オレは真喜人との話を続けることにした。

「天使? まさか、そんな……?」

「本当ですよ。それじゃあ、今からお母さんを助けてみせます。それができたら、あなたのこと、しっかりと話してもらいますからね」

 真喜人は黙り込んだ。

 オレは傍らにいるセラにアイコンタクトを送った。セラも、仕方がないといった様子でしぶしぶ目を閉じて手を翳した。

『エンジェル・マジカル・ヒーリング! 生命の煌めきよ、彼の者に祝福を!』

 セラの掌に光が集まっていく。キラキラと、光の粒がそこから幸恵のほうへと橋を架けるかのように渡っていく。

「何が、起こって……」

 真喜人は唖然としたまま、幸恵の方へと駆け寄っていく。

 しばらくすると、その煌めきは収まっていった。

「……き、と」

 幸恵の口が動く。それは先ほどのような寝言ではない。

 目がゆっくりと開き、ぼんやりだが真喜人のほうを見つめていた。

「母さん!」

「あら? どうしたの? そんなに心配そうな顔をして……」

「身体は、大丈夫なのか!?」

「不思議ねぇ。さっきまで凄く苦しかったのに、まるで嘘みたいに身体が楽になったの……」

「まさか、本当に……?」

 真喜人は一瞬、オレのほうに視線を送った。

「私のことは心配ないわよ。もう大丈夫だから。それじゃあ、もう一度おやすみなさい。真喜人にもよろしく、ね」

「かあ、さ……」

 再び幸恵は目を閉じた。すぅ、と心地よさそうな寝息を立てて安らかな顔で眠り始める。

『どうやら、本当に治ったみたいですね』

「あぁ……」

 オレたちはほっと胸を撫で下ろした。

 まさか、笛木と玉越の「大切な人の命が助かった」という幸せがここで役に立つとはな。微妙に状況が違うからあまり自信はなかったが、なんとか結果オーライといったところか。

「……本当に、天使なのか?」

「あぁ」

 真喜人はまだオレたちのことを疑ったような目で見てくる。が、ため息を吐いた後、

「分かった。信用しよう」

「それじゃあ……」

「確かに、僕はホストだ。だけど、それが何だっていうんだ? そんなことだけを聞くためにわざわざ僕のところに来たわけじゃないだろう?」


 ――きた。


 ここからが本番だ。

「はい」

「どこからそんな噂を聞いたかは知らないけど、どうせ碌な噂じゃないだろ」

「ええ、あなたの悪評は凄まじいです。実は昨日、クラスメイトが私たちの姿を目撃して、それで教えられました。どうやら、その子のお姉さんの友人があなたの被害者だったみたいで」

『ちょっと、タクトさん……』

「ですが!」オレは真喜人をしっかり睨みつけ、「今のやり取りでなんとなく察しました。あくまで仮定の話ですが」

「えっ?」

『えっ?』

 怪訝な表情を浮かべる二人を見据え、オレは話し込んだ。

「悪質ホスト、マキト……。ここらじゃ相当ヤバいと評判ですけど。あくまで証拠もない推論ですけど……、もしかして、その人物はあなたであって、あなたじゃないんじゃないですか?」

「なっ!」

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