第24話

「……本当に、天使なのか?」

 美喜人の声が聞こえる。

 気が付くと、あの病室――幸恵が眠っている場所に戻っていた。

「あぁ」

「分かった。信用しよう」

 疑ったような目で見てくる美喜人に、オレは淡々と答える。

 やれやれ、と心の中でため息を吐く。またここから説明をしなければならないのか。二度手間にはなるが、こればかりは仕方がない。


 それからオレは美喜人と前回同様のやり取りを進めていく。どこまで互いに理解したのか既に把握しきれていないところもあるが、慎重に会話をしながらもう一度美喜人についての情報を引き出していった。

「……もう、話はいいかな?」

「すみません、それがまだ聞きたいことがあって……」

 美喜人は「えっ?」という表情を浮かべて、オレのほうを見た。

「全く、何が聞きたいんだい?」

「真喜人さんの消息は、本当に知らないんですね?」

「そうだよ。何年も会っていないし、どこにいるのかも知らない」

「もし真喜人さんがある日突然ひょっこりと現れたら、どうします?」

「さぁ? 家に来たって追い返すし、お店にはもう入れないから」

「……入れない?」

「指紋認証だよ」はぁ、とため息を吐きながら美喜人はオレを見据えて、「お店の裏口から入るには指紋認証が必要だからね。僕が入店したときにオーナーさんがデータを書き換えたから、いくら兄でも入ることはできないよ」

 そういえば、ホストクラブに行ったときに入口にそんなものがあったな、と思い出す。双子でも指紋は違う。そこを突破するのはできない、ってことか。

「……何か、真喜人さんの手掛かりになるような物ってありますか?」

「あるにはあるけど……」

 美喜人は傍らに置いてある鞄を開けて、中から何か取り出す。

「それは……」

 持ってきたのは、刃渡りが十一センチほどのサバイバルナイフ。通販かミリタリーショップあたりなら比較的入手しやすいタイプだ。

「高校時代からね、護身用だって言いながら持っていた物だったよ。偶然お店の中に置いたままにしてあったけどね。兄のロッカーの中で偶然これを見つけてしまったんだ」

「……あの、それ!」オレは美喜人に近付いて、「私に貸してくれませんか?」

「えっ……?」

 美喜人は当然のことながら、怪訝な表情を浮かべる。

「こんな物、一体……」

「悪いことに使わないのは約束します。ですから、それを、どうか……」

 オレは深々と頭を下げて頼み込む。

 美喜人は首を傾げながら、「まぁいいよ。でも、すぐに返してね。それと、本当に悪いことには使わないように!」

「はい! あ、できたら何か袋に入れてもらえると……」

「はいはい……」

 美喜人は近くに置いてあったビニール袋に入れてオレに手渡した。

「それと、最後にもうひとつ……」

「しつこいね。まだ何かあるのかい?」

「明日って、美喜人さんは何か予定はあるんですか?」

「ん? 明日?」

「そうです、明日です!」

「明日は、佳音ちゃんとお母さんとで七夕の飾りつけに行く予定だけど……」


 ――七夕?

「えっと、明日って七月五日じゃ……」

「そうなんだけど、当日はホストクラブで七夕イベントがあるからね。前日は色々と準備があるし、結局明日行くことになったんだよ」

「七夕飾りって、どこで……」

「ほら、僕が働いているクラブがあるビルの屋上。あそこに期間限定で笹の葉が飾ってあるんだよ。何でもビルの管理人さんがこの時期だけ特別に貸してくれて、近所の人たちやうちのクラブの人たちも自由に短冊を飾れるようになっているんだよ」


 ――そうだ。

 またひとつ、思い出したことがある。

 オレが前世で真喜人を殺害したときも、鹿野が七夕の短冊を飾りに来た時だった。奴の狙いはその言葉で鹿野と鹿野の母親を誘い出して、その場で殺害することだった。

 真喜人の存在に夢中で、すっかりそのことを失念していた。

「あの、美喜人さん……。物凄く言いづらいんですけど、できたら明日……」

 行かないでください、と言いかけたところで、オレは唾と一緒に言葉を飲み込んだ。


『……拓斗くんの分も飾ってきてあげるね』

『いいよ、オレは。そういうの信じていないし』

『……そっか。でも、何事もまずは信じてみることから、だよ』


 ――あぁ。


 前世で鹿野がオレに投げかけてくれた言葉が、脳裏に過る。まさか、このタイミングでこんなことを思い出すなんてな。

 あのときの鹿野の表情――本当に嬉しそうだった。

 まさかこの後でとんでもない地獄絵図が広がることになるとは思わなかったが。

『それで、鹿野はどんな願い事をするんだ?』

『……私は』


 ――鹿野の願い事。

 アイツは何を願ったんだっけ?


「いえ、何でもないです」

「……もう、話はいいかな?」

「はい。充分話は聞けました。ありがとうございます」

 オレはそう言って、病室から出ていった。


 病院の外で、セラが不安そうな顔でオレを見ている。

『タクトさん。良かったんですか? てっきり明日中止しろ、って言うかと……』

「これでいい。中止したら真喜人も来ない可能性だってあるからな」

『分かりましたけど……』

「それよりも、ひとつお前に頼みたいことがある」

『え、何ですか!』

 なんだかセラは嬉しそうだ。やっと自分が役に立てる場面が出てきたというところだろう。

「お前って、人前に姿を現せることってできるのか?」

『まぁ、一時的になら』

 オレがこうして人間としての生活送っているわけだし、一応コイツもそういうことは可能らしい。

「なら明日、ちょっとばかしお使いを頼む」

 オレはメモをセラに手渡した。

『えっと、接着剤に、指紋を採取できる粉? あと、ラミ……、なんですか、これ?』

「ラミネートフィルムな。金はなんとかしてくれ。買い終わったら学校にいるオレのところに届けて欲しい」

『何に使うんですか、こんな物! あとタクトさんは……』

「オレは明日、午前中で授業を早退する。なるべく真喜人より先回りしてあの場所に行きたいからな」

『午前中? 随分中途半端なんですね。てっきり一日ズル休みするかと思っていました』

 ズル休みとは人聞き悪いな。まぁ、結局半日休むから間違ってはいないのだが。

「ちょっとな、パソコンを使いたくて。うちにはないから、学校ぐらいしか思い当たらない。ってなわけで、午前中に買い物を済ませてくれ」

『なんだか良く分からないですけど、頑張ります……』

 ――これでよし!

 いよいよ明日……。ここで一気に畳みかけてやる!



 翌日、午前中の授業は何事もなく終わった。

 以前にやった内容を繰り返しただけで、大して面白味もなかった。というよりも、オレの頭の中では最早真喜人とのことで一杯になっていた。

 授業が終わり、オレはすぐさまコンピューター室に向かった。一応児童たちに解放しているのだが、授業の合間に使おうなどという暇人はどうやらいないらしい。

『ただいまです……。頼まれた物、買ってきました』

「助かる。サンキュー」

 セラが部屋の窓から気疲れしたような顔で飛び入ってくる。買い物の袋をオレに手渡して、近くの椅子に勝手に座り込んだ。

『探すのに苦労しましたよ。この辺の店、十一時開店ばかりだから本当に急ぎました』

 どうやって入手したのかは敢えて聞かないでおこう。

 オレは袋の中から指紋採取キットを取り出した。

「あとは……」

 次に、昨日預かった例の包丁を鞄から取り出す。

『何をするつもりですか?』

 眉をひそめるセラを余所に、オレは作業を進めていく。

 まず、包丁に付着した指紋を、キットの粉を付けて採取する。二種類の指紋がそこに浮かび上がる。

「まぁ、そりゃそうなるよな」

『指紋って、確か双子でも違うんでしたっけ?』

「あぁ。これに触れたのは真喜人と美喜人の二人だけ。どちらか片方が真喜人のなんだが……」今度は包丁を入れていたビニール袋の指紋を採取する。「そのためにわざわざこれに入れてもらったわけだ」

 袋に触れたのは当然美喜人だ。となると、こちらに付着した指紋とは違う方が真喜人のしもんということになる。

 真喜人の指紋が分かると、今度はスキャナーへと向かっていき、包丁をそこにセットした。同時に、セラに買ってもらったラミネートフィルムを印刷機にセットした。

 パソコンを起動し、画像で真喜人の指紋が表示されると、それを印刷する。ウィーン、と印刷機の音が室内に鳴り響く。

『……もしかして、タクトさん』

 セラはどうやらオレが何をしようか察したらしい。が、オレはそんなことを歯牙に掛けることもなく、印刷機のフィルムを取り出した。

 フィルムには真喜人の指紋がくっきりと浮かび上がっている。そこに接着剤を垂らして、オレはほっとため息を吐いた。

「よし! あとは接着剤が乾くのを……」

「何がよし! なの?」


 ――って。


「わあああああああああああああああああッ!」

 突然声が聞こえて、オレは思わず驚きの声を挙げた。

「コソコソとこんなところで何しているわけ?」

 いつの間にやら、オレの傍らに玉越リカが腕を組みながら立っていた。

「えっと、玉越さん。いつからそこに……」

「ついさっきだけど。何しているの、こんなところで」

「その……、夏休みの、自由研究」

「……今から?」

「ほら、うちの家パソコンないから。ちょっとどうしてもやりたいことがあって」

「ふぅん……」

 オレを怪しむかのような目付きで、じっと睨みつけている。なんとか包丁だけは玉越から見えないように急いで鞄に仕舞った。

 玉越リカは呆れたようにため息を吐いて、

「とりあえずこのことは黙っていてあげる。いじめの件をチクられたら溜まったもんじゃないし」

「あ、ありがとう。それで、玉越さんは私に一体何の用、かな?」

「例の、悪質ホストの件」


 ――えっ?

 オレは一瞬にして硬直した。

「あの、お姉さんの友達が被害に遭ったっていう……」

「そっ。なんかチラっと話に聞いたけど、鹿野さんってよく市民病院で読み聞かせのボランティアをしているみたいじゃない?」

「うん。それが何か?」

「その被害に遭った友人が今あそこで入院しているみたいなの。単なる盲腸らしいんだけど。ただ、もしあそこにあの男が来て鉢合うようなことがあったらとんでもないことになるから、一応注意だけしておこうと思って……。ま、そんなことはありえないとは思うけど」

 ――まさか。

「それは大袈裟じゃ……」

「私もそう思う。でも、お姉曰くかなりキレてるみたい。被害は少なかったとはいえ、マキトに対して相当恨んでいるみたい。『あの悪魔、次会ったら絶対殺す!』って、もうかなりヤバいらしいよ。正直怒ると手が付けられない子だから、いつナイフとか突きつけられるか分からないってさ」


 ――なんだって?


「そのことって、鹿野さんには……」

「話せるわけないでしょ。あんなことがあったわけだし。そういうわけだから、鹿野さんに伝えて貰えるとありがたいかなぁ、なんて……」

 玉越は照れくさそうに頬を掻く。


 ――もしかして!


 オレは思い出したかのように、パソコンのネットを開いた。例のテレビチャンネル――、ちょうど鹿野の家に行った日に犬神家の一族が放送されていた日を調べた。

 あった、とオレは更に眺める。

 ちょうどあの日、金田一耕助シリーズ映画の一挙放送がされていたらしく、「獄門島」「八つ墓村」「悪魔が来たりて笛を吹く」等のタイトルがずらりと並んでいる。


 ――そういうことか!


「ありがとう、玉越さん」

 オレは玉越に礼だけ言うと、鞄に荷物を詰め込んで急いで部屋から駆け出していった。

「ちょ、ちょっと! パソコンつけっぱ……」


 前の世界で、幸恵さんの病室に突然真喜人は現れた。

 もしかしたら、それが何かしら関係あるのかも知れない。

 ひとつだけ、オレの中でとある真実が浮かび上がってくる。

 だが――。

 それだけは、なるべくならあって欲しくはなかった。

 

 もし、それが本当だとしたら……。

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