第25話
例のビルの真下に来ると、周囲を見渡す。
流石にまだ昼間だからか人は少ない。奴の姿も当然見えない。
『本当に学校サボっちゃいましたね。これからどうするんですか?』
「決まっているだろ。奴を待ち伏せするんだよ。っと、その前に……」
オレはポケットから物を取り出す。それは、先ほど学校で作った接着剤の塊だった。
『それをどうするんですか?』
「こうする」
接着剤の塊をオレの指先に付けると、ホストクラブの裏口前まで向かった。これ見よがしな指紋認証の機械に、ゆっくりと指を通す。
ピピピ! ピピピ!
と、耳障りな音が流れるが、赤いランプが灯るばかりで扉が開く気配は全くない。
『そんなので開くわけが……』
「だったらこっちはどうだ?」
もうひとつ、同じような塊を指先に付けて、同様に機械に通してみる。
ピー!
と、今度は味気のない音と共に、ランプが緑色に点滅して扉がゆっくりと開いた。
「ん?」偶然入口近くに立っていたオーナーがこちらを見て、「あっ、君!」
「すみません、なんだか誤作動みたいです!」
オレは慌ててその場から逃げ出し、エレベーターに飛び乗った。
『全く、何してるんですか!』
「ふぅ、危なかった……。じゃない。思った通りだったな」
『一体どういうことですか!? なんで扉が……』
「指紋ってのは案外簡単にコピーできるもんなんだよ。オレが作っていたのは、言うなれば指紋のスタンプだな」
『スタンプって、まさか真喜人さんの?』
「あぁ……。念のため美喜人のほうも作ったがな」
『あれ? でも、二つ作って、片方が開いて、もう片方が開きませんでしたよね?』
「開いたのは美喜人の指紋。そして、開かなかったのは真喜人の指紋だ」
『ん? あれ?』セラは首を傾げながら、『それって別に不思議なことじゃないですよね? 美喜人さんが言っていましたけど、真喜人さんの指紋認証データはもう消されているって……』
「それを確かめるためにわざわざこんなものを作ったんだよ。で、案の定真喜人の指紋では開かなかった」
『それじゃあ、この実験は意味が……』
「いや、意味はある」
セラはますます首を傾げながら、
『どういうことですか? 当たり前のことが分かっただけのような……』
「オレが前の世界でここに来た時、真喜人は店の中から出てきて、エレベーターに乗り込んだんだ。おかしくないか? 店内にいたってことは、じゃあどうやって真喜人は店の中に入ったんだ?」
セラはようやく合点がいった様子で、
『あっ……、それじゃあ』
「万が一、データを消していなかったときのことを考えて実験してみたが、どうやら正しかったみたいだな」
『でも、どうして真喜人さんがお店から……』
セラに聞かれると、オレは口を噤んだ。
その答えが示すものはひとつしかない。
オレはエレベーターのボタンを押してそのまま屋上へと向かっていく。エレベーターの中で、スマホを起動させて美喜人に電話を掛けた。
プルルル、と何度も着信音が聞こえてくるが、なかなか出る気配がない。
「クソッ、こういうときに限って……」
『美喜人さんに電話を掛けてどうするんです? だって、真喜人さんを……』
とセラが聞き返したところで、
ガチャッ!
と出る音が聞こえた。
「あの、オレ、じゃなくて、私、拓斗です」
『拓斗さん? どうしたの?』
良かった。ちゃんと美喜人が出てくれた。
「今どこにいるんですか?」
『これから病院で母さんのお見舞いをしてからビルに向かおうかなと思っていたんだけど……』
「病院には行かないでください!」
『えっ……?』
電話越しに明らかに戸惑った声が聞こえてくる。
「何でもいいですから! お母さんのことが気になるのは分かりますけど、今日は行かないで!」
『でも……』
「でももだってもないです! とにかくッ! それで、急いでビルの屋上に来てください!」
美喜人はかなり戸惑い気味に、『分かった……』とだけ言って電話を切った。
オレはふぅ、とため息を吐いて、
「これでよし……」
『もう何がなんだかさっぱり分からないです! タクトさんは一体何を考えて……』
屋上に降りたオレは、そのまま笹が飾ってある場所へ向かう。見た限りだとまだ誰もいる気配はない。
オレたちはしばらく、物陰に隠れて息を潜めることにした。
「キーワードは、刃物と、『悪魔』、か……」
小声でオレは呟く。
『あく、ま……?』
「さっき玉越リカが言っていただろ。例の友人が『この悪魔! 次会ったら絶対殺す!』ってかなり恨んでいたって。この前の世界では、それが本当に起こったんだ」
『え、ええええええええええええええええええッ⁉』
屋上中にセラの驚いた声が響き渡る。まぁ、オレにしか聞こえないんだけど。
「おそらく偶然美喜人の姿を見たその友人は、真喜人だと思い込んで衝動的にナイフか何かを突きつけて同じように『この悪魔!』とでも言ったんだろうよ」
『ナイフなんて一体どこから……』
「さぁな。盲腸の患者に食べ物の差し入れはないだろうから……、おそらく同じ病室にいる誰かが果物の差し入れでも貰って、そこにあったナイフを拝借したんだろう」
『うわ、だとしたら相当な騒ぎに……』
「オレもあのときもっと病院の中を確認するべきだったんだろうが……、何せ真喜人が現れたことで頭が一杯だった」
後悔が押し寄せる。が、今はもう遅すぎる。
『だから病院に行くなって連絡したんですね。それで、真喜人さんは今どこに……』
「話はここからだ」オレはセラの疑問を遮り、「鹿野が美喜人を殺害した世界についてだ。おそらくあのとき、美喜人は同様にテレビを観ていたんだ。金田一耕助特集を、な」
『この前は犬神家の一族を観ていましたよね?』
「あぁ。だが、あのときは別の作品が放送されていた」
『別の作品……? あっ……』
「そうだ。事件が起きたときに流れていたのは別の作品だった。『悪魔が来たりて笛を吹く』がな」
『悪魔……。そういうことでしたか! だけど、それだけで……』
「そのときに、おそらく鹿野は例の包丁をこっそり片付けようとしたんだろう。だが、運悪くそれが美喜人に見つかってしまった」
『で、でも、そんなのいくらでも誤魔化しようが……』
「ある、だろうな。けど、その時は違った。偶然にも『悪魔』と『刃物』という二つの物が結びついてしまった」
『えっ……? あの、タクト、さん?』セラはかなり困惑している。『さっきから、あなたの説明って、とんでもないことを言っていません? だって、それって、真喜人さんじゃなくて……』
と、続きの説明をしている間もなく、
ガサッ!
と誰かが屋上にやってくる。
「美喜人、じゃなさそうだな……」
現れたのは、明るい茶髪の女性。派手な服装だが、今日は心なしか以前より大人しめに見える。
『あの人って、この前ホストクラブの前にいた……』
「あれが鹿野の母親だよ」
『えっ……?』
間髪を入れずに、今度は再び誰かが屋上に現れる。
「待たせてごめん」
「うぅん、今来たところ」
――美喜人だ。
二人は向かい合って、しばらく見つめ合う。まるでただのデートみたいだ。ただし、そこから漂ってくる空気は重苦しく、気のせいか嫌な匂いまで流れてきた。
「……佳音ちゃんは、まだ学校だよね。そりゃ」
「ええ。だから、今のうちに話を……」
「僕も、君と話をしたくて」
「分かったわ。それじゃあ、あなたからお願い」
美喜人はすぅ、っと呼吸をして、
「実は、俺……、じゃなかった、僕は、本当は真喜人じゃない。いや、今はマキトという名前でホストをやっているけど、でも、真喜人じゃなくてマキトであって……」
かなり混乱した様子で喋っている。本人もどう伝えていいのか分からないのだろうが、こんな煮え切らない状態では話が進まない。
鹿野の母親は、はぁ、っと呆れたようにため息を吐いて、
「……知ってる」
「えっ?」
『えっ?』
腕を組みながら、母親が近付いていく。
「あなたがマキトじゃないなんて、とっくに気付いていたわよ。ねぇ、“美喜人”さん」
――まさか。
鹿野の母親は、全て気付いていた⁉
もしかして、あのことも……。
「……ずっと騙していて、申し訳ない。けど、僕は本当に君のことを……」
「その前に」母親は鞄を広げ、「あなたとは、決着を付けたいの」
「けっ、ちゃく……?」
美喜人がゆっくりと後ずさりをする。
次第に母親が神妙な顔で、美喜人を睨みつけていく。
「私が、あなたを元に戻してあげる! あなたの中に取り憑いている、“悪魔”からね!」
そう言って、鹿野の母親は――、
鞄からナイフを取り出して、美喜人へ見せつけた。
――ドクン!
「あ、え、え、あ、あ、あ、ああ、ああああああああああああああああああああああああああッ!」
――ヤバい!
「やっぱり、鹿野の母親は全部知っていたんだ!」
『た、タクトさん! これって、一体どういうことなんですか!? 取り憑いている悪魔って……』
「どうもこうもない!」オレは歯を食いしばりながら、「前の世界で現れた真喜人は……、美喜人さんだってことだよッ!」
「えっ?」
「つまり、美喜人の中に、真喜人がいるってこと! 二人は、真喜人と美喜人は、全くの同一人物だったってことだッ!」
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