第8話
恐る恐る、何者かが教室に近付いてくる。
入口の前で立ち止まったその人物は、無言のままじっとオレのほうを見つめている。冷や汗を垂らしながら、小刻みに震えて、これから何をされるのか、とビクビクしている。
『あの人って……』
「その前に、だ。こういうのは趣味ではないが、調べさせてもらうとしますか」
オレは玉越の派手な鞄を机に置いた。
『ちょ、ちょっとタクトさん……』
鞄の横にぶら下がっている、防犯ブザーやらマスコットキャラのキーホルダーやらに目がいった。
「おそらくここに……」
こういった物に仕込まれているとすれば……。
オレは防犯ブザーを外し、こんなこともあろうかと思って持ってきたドライバーで電池パックを開けた。
『何やって……』
「やっぱあったか!」
ブザーの電池パック裏に貼りついていた、小さな黒い塊を取り出した。
掌に乗せたそれを見せつけて、オレは相手の方を睨みつけた。
『なんですか、それ……』
「おそらくは盗聴器、だろうな」
『と、盗聴器……』
オレはゆっくりと、相手のほうへ近付いていく。
「さて、玉越の荷物に何でこんなものを仕掛けたのか、しっかりと理由を聞かせてもらおうか」再びオレは睨みつけた。「そうだろ、笛木ッ!」
教室の前で呆然と立ち尽くした笛木は、腕をぶらんと下げながら唇を震えさせている。
「何故、分かった……」
「お前が昨日教室にやってきたときから、ずっと怪しんでいたよ」
『それって最初じゃ……』
「嘘だろ。あの時は特に何も……」
「お前、オレを見るなり『鹿野の隣の席だったよね』とか言っていたよな。隣のクラスのお前が何故それを知っている⁉ そもそもあの時、オレとお前は初対面だったはずだ」
オレが詰問すると、笛木は「うっ……」と言葉を詰まらせた。
「そ、それは……」
『どこかで知るチャンスがあった、とか?』
「ひとつ聞くが、お前が昨日鹿野に資料集を借りたのは、あくまでも偶然だよな」
「あ、あぁ。学校着いてから気付いて、たまたま同じぐらいの時間に登校していた鹿野さんにダメ元で聞いたら貸してくれたから……」
「まぁその点については事実だろう。お前と鹿野は特別親しかったわけじゃないからな」
「……」
笛木はまた黙りこむ。
「問題は、どのタイミングで席のことを知ったか、だ。そのときはまだオレは登校していなかったはずだし、鹿野の性格からしてわざわざ隣に転校生が来たなんてことを話すとは思えない。オレとお前が話したのは掃除の時間だから、オレの席を把握できるはずもない」
『じゃあ、一体いつ……』
「一度だけ、オレと鹿野の席について話をした人物がいた」
『それって、まさか……』
オレは静かに頷き、
「昨日、オレは登校時に玉越に話しかけられた。『隣の席になんかいたっしょ』から始まった、鹿野の悪口を、それはもううんざりするほどに、な」
「あっ……」
笛木は拳を握りながら、何度もオレを睨みつけている。反論する気もないのだろう。だが、情などを見せるつもりは毛頭ない。一気に叩き込んでやる。
「お前、その会話もずっと盗聴していたんだろ。おそらくは図書委員の仕事をしながらこっそりとな」
『なんでそんなものを……。盗聴だなんて、まるで』
「こんなものをいつ仕込んだのかは知らないが、多分オレが転校してくるずっと前からやっていたんだろ。隣のクラスの少女を、ストーカーするために!」
「やめろッ!」
ようやく笛木が大声を発した。
『す、す、す、す、すとーかああああああああああああああああああああああッ!』
「学年内でも人気の男子であるお前が、とんだストーカー野郎だったとはな。このことが玉越に知られたらどう思うだろうな?」
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
笛木は頭を抱えて、その場に蹲る。
「小学生だろうが何だろうが、お前がやっていることは立派な犯罪だ。このことが知られたらカーストから転落なんて生易しいものじゃない」
蹲る笛木を、オレは冷たい目で見下ろした。
「ぼ、僕を、脅す気か!?」
「さぁな、お前の態度次第だ」
「金か!? それとも他に何か要求が……」
――呆れた。
命乞いにも近いほどの惨状すぎる。同世代にしてはそれなりの美男子だとは認めてやろうと思ったのだが、最早見る影もない。こういう下賤な連中は、前世から腐るほど見てきたのだが、小学生にしてこれとはな。まぁ、それについてはオレも人のことを言えた義理ではないが。
オレは頭を掻きながら、ゆっくりとため息を吐いた。
「馬鹿かてめぇ。そんなモンを要求すると思うか?」
「……違うのか?」
――オイ。
コイツはオレのことを何だと思っていたんだ?
『えっ、脅迫するんじゃないんですか?』
――コイツもか!
この天使もどうやらオレのことを誤解しているらしい。というか、お前本当に天使か?
「あのなぁ、ストーカーも犯罪だが、脅迫だって立派な犯罪だっての。別にオレはお前が女子を侍らせようが底辺を這いずり回ろうが知ったこっちゃねぇよ。だが、てめぇがしたことのけじめはしっかりと付けろ!」
「け、けじめ……」
オレは笛木と目線を合わせるためにしゃがみこむ。笛木もようやく顔を見上げた。
「お前、玉越がどういう女なのか知っているか?」
「どういう女って……」笛木は戸惑い気味に、「可愛くて、友達が多くて、みんなに好かれていて……」
――やっぱりそうか。
「ストーカーまでしておいてその程度の認識か。言っておくが、ありゃ最低の女だぞ」
「最低、だと……」
「そうだ。常に自分が一番じゃないと気が済まない、我儘で自己中心的な腐った女だ。ちょっと嫌なことがあると誰かをターゲットにしてストレス発散しようとする。実際にオレは奴が鹿野をいじめていた場面も目撃した」
「なっ……」
オレは例の画像を笛木に見せつける。奴も唖然と黙り込む。
「そういやお前のことも、『足も速いし顔もいい』って言っていたな。分かるか? 内面のことなんてこれっぽちも気にしていないんだよ、アイツは」
『タクトさん、それは……』
「所詮お前は彼氏と言う名のブランド品でしかないってことだ。まぁ、お前もお前でストーカーやっていたし、お似合いなんじゃねぇの? 名誉目的の女と、身体目的の男ってことで」
「……ざけんな」
笛木が小声で何か言った。
「ん? 何か反論でも……」
「っざけんなッ! 俺のことはいいッ! でもなぁッ! 彼女のことをこれ以上悪く言うんじゃねぇッ!」
教室内に響き渡る、笛木の怒号。
はぁ、はぁ、と肩で息をしながらオレの方をまっすぐ睨みつけてきた。これでオレが男だったら間違いなく頬を殴られていたに違いない。
『笛木、さん……』
「……それがお前の本心か?」
オレがそう言うと、笛木ははっと我に返り、
「……そうだよ」
「だろうな。じゃなきゃ、このタイミングで告白なんかしない」
笛木は立ち上がり、俯き気味に、
「玉越さんのことが好きだったのは小学校低学年の頃からだった。当時の僕は今よりも運動が出来なくて、背も低くてダメダメだった。当然彼女には見向きもされなかった。そんな自分を変えようと思って、僕は一生懸命身体を鍛えて努力した」
「ふぅん……」
オレは素っ気なく返事をする。こういう身の上話にはあまり興味がない。
「それでもなかなか彼女には僕を見てもらえなくてね。魔が差してしまったんだ。お小遣いを貯めて、通販でこんなものを買ってしまって……」
「もっと他にやるべきことがあったんじゃないのか?」
「馬鹿だよな。盗聴はやめられなかった。正直言うと、彼女が鹿野さんをいじめていたことも薄々感じていたよ」
「そんな奴でも、お前は好きだったのか?」
笛木はこくり、と頷き、
「小さい頃から思い続けていたんだよ。幻滅なんてしなかった。彼女に対する思いは変わらなかった」
意外と純粋な奴なのだろう。蛙化現象とか抜かしている連中に爪の垢でも煎じて飲ませたいほどだ。
「それで、お前は告白したのか」
「あぁ。盗聴なんてやめなきゃとは思っていた。本当だ! それに、彼女のいじめもやめさせたかった。けど、どちらもなかなか勇気が出なかったのに……。どういうわけか、今日突然、僕の気持ちが変わったんだ。勇気が湧いてきたというか、僕自身を変えよう、このままじゃいけないって、そう思って」
『それって、さっき幸せを分け与えた影響じゃ……』
なるほど。やはり玉越に幸せを与えたのは結果的に間違っていなかったわけだ。
「情けない男だろ? 言うなら言えよ。僕はもう……」
「ホントに情けねぇな」
オレは呆れ気味に言った。
『タクトさん、そんなの……』
「てめぇには本物の“悪”も、本物の“不幸”もまだ早えよ。取り返しがつくうちに、しっかり心を入れ替えろよ」
「取り返しの、つくうち……?」
オレは静かに頷き、
「昔からずっと好きだったんだろ? だったら、しっかりあの馬鹿女を愛し抜けッ! 二人でしっかり成長していけッ! んで、本当の幸せってモンを……、二人で、掴んでみせろッ!」
オレは思いっきり、笛木の目を見て言い放った。
「愛し抜け、か……。ははは、間違いない。本当に情けないな」
それだけ言って、笛木は静かにオレの手に持っている盗聴器を奪う。
そしてそれを地面に落とし、パキッ、と踏みつけた。
『あっ……』
「もう決めた。こんな物に頼らない。告白もオッケーを貰ったんだ。僕は、しっかり彼女と向き合う」
先ほどまでの情けない顔つきはどこへやら、真剣な目付きでオレのほうを見据えた。
「ったく、好きにしろ」
――メンドくさいな。
これが天使の仕事だというなら、至極面倒くさいと感じる。まぁ、必要以上に回り道をしてしまったのはオレの独断なのだが。
「ありがとう、拓斗さん。君のおかげで目が覚めたよ」
「はいはい……」
「不思議な子だね、君は」笛木はふっと笑みをこぼし、「ひとつだけ聞かせてくれ。君は一体、何者なのさ?」
――別にいいか。
セラに怒られるかもしれない。だが、今ぐらいは教えてもいいだろう。
きっとオレにも力が備わっているはず。オレは目を閉じて、静かに意識を集中させた。
しばらくすると、オレの服がふわり、と優しい感触で撫でてくる。背中からは真っ白な羽が広がる。
『た、タクトさん……』
やっちゃった、とでも言わんばかりのセラを余所に、オレは静かに言い放った。
「オレの名はタクト……。天使だ」
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