第9話
夕日が落ちかけている帰り道。昇降口に差し掛かるまでに児童たちの姿はほとんど見えない。
『いやぁ、凄かったです! まさかあんな方法を使うなんて!』
「そりゃどうも」
あまり褒められている気はしないが、一応言葉通りに受け取っておこう。
『でも盗聴だなんて、なんて酷いことをするんでしょうか! 実害がなかったとはいえ、あのままだったらどうなっていたことか……。玉越さんは玉越さんで、反省していたのか怪しいですし!』
「逆にお似合いかもな」
『またそういう皮肉を言って! あなたもあなたで酷かったんですからね! あと、今後は天使の姿を人前に晒すのも禁止です! 笛木さんは黙ってくれるって言っていたから良かったようなものの……』
「はいはい、っと」
――メンドくせぇ。
俺は何も言わずに下駄箱から靴を下ろして履いた。
『……それで、あの二人は幸せになれるんでしょうか?』
ぼそりと、セラが不安そうに尋ねてきた。
「さぁな。そんなもん、アイツら次第なんじゃないのか?」
『それはそうですけど……。でも、悪い人たちですし……』
下駄箱の上の方に座り込むセラを見上げながら、オレはため息を吐いた。
「悪人が幸せになっちゃいけないのかよ」
『それは……』
「大体な、あんな奴ら悪人のうちにも入んねぇよ。本当に悪い奴ってのは、どれだけ悪事を働いても反省なんてしねぇし、どれだけ幸せになっても満たされねぇ。まだ、アイツらはやり直せる段階なんだよ。オレと違ってな……」
苦しい言葉を噛みしめながら、オレは鞄を持ち直した。
『タクトさん……』
心配そうに見つめるセラを余所に、黙って昇降口を出る。
正直、何が幸せで何が不幸か、なんてオレにはよく分からない。笛木と玉越にしたって、二人を幸せにした後でしっかりとお灸を据えてやる程度のことだったが、玉越にはただ泣かれて、笛木は寧ろカウンセリングをしてしまっただけのような感じだ。もっと痛い目を見せたほうが良かっただろうか。とにかくあの二人にはこれ以上関わらないようにしよう。
そんなことを考えていると、校門の前に誰かが突っ立っていた。
「……お疲れ様」
夕日の逆光に照らされて一瞬誰だか分からなかったが、そこにいたのは紛れもなく鹿野の姿だった。
「あれ、鹿野さん。遅いね。今帰り?」
鹿野は静かに頷いて、
「……ありがと」
「えっ?」
突然身に覚えのない感謝をされて、オレは戸惑う。
「玉越さんと、笛木くんのこと」
「あ、あぁ……」と戸惑っていると、「って、何で知っているのッ!?」
「見てた」
――オイ。
これって非常にマズいのでは?
つまりは、あの天使の姿を見られていたってことで……。
「えっと、どこから?」
「玉越さんに私がいじめられている画像を見せたところから」
「どこまで?」
「笛木くんが盗聴器を壊すところまで。そこからはもう大丈夫だと思って離れたから知らない」
――良かった。
ギリギリ、オレが天使の姿を晒したところは見られていなかった。
『良かったですね、バレていなくて』
セラがやや冷ややかに見下ろしてくる。すみません、今後は迂闊にこういうことはしません。約束します。
「ご、ごめんね。勝手なことやっちゃって。鹿野さんがいじめられているのを黙っているつもりは……」
「いいの……。気にしてない。さっき玉越さんとすれ違ったけど、私のことを睨みつけるだけであとはずっと泣いていた」
――ったく。
女ってやつはこれだから。まぁいいか、後は笛木に任せよう。今のところ玉越の抑止力になりそうなのはアイツだけだ。
「あのさ、ひとつだけ確認しておくけど……」
「うん?」
「笛木くんのこと、特に何も思っていない、よね?」
「うん」
鹿野は間髪を入れずに返事をした。まぁ、そりゃそうだろうな。
「だよね。ごめんね、変なこと聞いちゃって」
「大丈夫。好きな人は、他にいるから」
――そうか。
「好きな人、他に、ほか、に……」オレは顔を引きつらせて、「ええええええええええええええええええええええええええッ⁉」
思いっきり素っ頓狂な声を挙げてしまった。
「……そんなにおかしい?」
「あ、いや……」オレは軽く咳ばらいをして、「いるんだ、そういう子……」
「うん。名前も顔も覚えていないんだけどね。一個下の男の子……」
年下なのか。少し意外かもな。
「へぇ……。そういう趣味、あるんだ」
「趣味というか、なんだか自分と似ている子だったから」
――えっ?
「それってどういう?」
「……誰だったんだろ、彼。どこか悲しい顔をしていたから、給食で余ったプリンをあげた」
……。
プリン?
その一言が出てきた瞬間、オレは首を傾げた。
「まさか、な」
オレはポツリと小さく呟いた。
「何か言った?」
「ううん、何でも……」
この場は誤魔化しておこう。
「それで、拓斗さんは?」
「えっ……」
「好きな人、いるの?」
まさかの質問返し。普通の女子トークというものだろうが、正直鹿野からそんなことを聞かれるとは思っていなかった。
「えっ、その……、良く分からないかな」
「だよね。転校してきたばかりだし」
確かにそういう設定ならそうなるか。まぁ、オレにとってこの学校は忌まわしい記憶しか存在しない。どいつもこいつも、オレという人間を裏切った連中でしかない。そんな中で恋愛感情を特別意識したこなど……。
いや、あるか。
オレはその記憶を思い出さないように首を横に振った。そもそも前世の記憶などあってないようなものだ。あれが本当に正しいものではないかも知れない。
正直言うと、そろそろ女子のような口調で話すのも疲れてきた。先ほどの笛木の時は勢いで素に戻ってしまったから尚更余計にそう感じる。まぁ仕方がない、か。もう少し慣れてきたら徐々に砕けた言い方に変えていこう。
「なぁ、もしも、だけど……」
「うん?」
「その好きな人が、とんでもない悪い人だったら、どうする?」
鹿野が眉を顰める。そりゃそうだ。何言ってんの? と言わんばかりの不思議そうな表情でオレのほうを見てくる。
「……言っている意味が分からない」
「だよね」
「そもそも、良い人悪い人って、どこで判断するの?」
――ん?
何かいきなり哲学的なことを聞かれた。
「難しいこと聞くんだね」
「安心して、私にも分からないから。犯罪をすれば悪い人なのか、他人に親切にすれば良い人なのか、それって人によって変わってくるんじゃない?」
言っている意味は理解できる。ただ、小学生でこういう視点を持っている人間はいないわけではないが、それほど多くはない。主観で物事を判断するのが精一杯だろう。
「うーん、そっか……」
「善悪を判断するなんて、私には知識も経験も足りなさすぎるから」
どうやらオレが思った以上に、鹿野は考えている人間だ。そこらの平凡な大人よりもしっかりしている。久しぶりに他人に感心してしまったオレがいる。
「凄いね、鹿野さんは」
「笛木くんにあそこまで言った拓斗さんのほうがよっぽど凄いよ」
それを言われたらな、とオレは苦笑いを浮かべてしまう。
それにしても……。
正直、転生してから色々と疑問に思うことがある。玉越の件で忘れかけていたが、今までどうも引っかかっていた部分だ。
「なぁ、もう一つ聞いていいか?」
「また好きな人のこと?」
「そうじゃなくて」オレはため息を吐いて、「この学校って、最近犯罪者とかがいたことある?」
「ん? 何それ?」
またもや鹿野が眉を顰める。
――やっぱり、だ。
オレの中で引っかかっていた点が、最大の疑問へと変わった瞬間だった。
「おおい、佳音ちゃん!」
突然、背後から車のクラクションと共に低い声が呼び止めてきた。
グレーの普通車が、オレたちの傍らにハザードを焚いて停車してくる。窓が開き、中から運転手の若い男が顔を出してきた。
「……
「随分帰りが遅かったんだね。そちらはお友達かい?」
「うん……」
鹿野がまた俯き気味に返事をしている。
「鹿野さん、知り合い?」
「私のお母さんの……」
「あぁ、俺はこの子のお母さんとお付き合いしていてね。佳音ちゃんとも何度かお食事とか行っているんだ」
男は爽やかに笑って、白い歯を見せつけてくる。二十代前半といったところだろうか、なかなか若い男である。顔もシュッと細身で整っている。明らかに染めた金髪で、服もきちんとアイロン掛けた明らかに高級そうな青いシャツ。
見てくれは悪くないのだが……。
ドクン!
心臓の音が、何故か高鳴った。
この男の顔、どこかで……、
いや……。
前世で、見たことが、ある!
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