第6話

 オレは昨日よりも早い時間に登校した。とはいえ、早く着いたのにはさほど理由があるわけではなく、何の気なしだったのだが。

「で、なんでお前までついてくるわけ?」

『監視ですッ! ちゃんとあなたが、天使としての仕事をするのか不安なんです!』

「大きなお世話だ。気が散る」

『これも私のお仕事なんです! 今日は一日、しっかりと見張らせてもらいますからね!』

「あ、そう。勝手にしろ。くれぐれも男子トイレとか入るなよ」

『入りませんッッッッッ!』

 ――やれやれ。

 オレの上空を右へ左へと漂うセラが、正直鬱陶しい。

 その姿はどうやらオレ以外の人間には見えないらしい。こういうところは無駄にオーソドックスな設定というわけか。

『一体どういうつもりなんですか! 折角分けてもらった幸せなのに、なんで玉越とかいう嫌な子を……』

「じゃあ逆に聞くけど、なんで玉越を幸せにしたらダメなわけ?」

『そ、それは……』セラは困った様子で、『鹿野さんをいじめた、から……』

「ふぅん」

『なんですか、その素っ気ない返事はッ! あなたは鹿野さんを幸せにしたくないんですか?』

「さてね。オレはただ、天使の仕事とやらをきちんとこなすだけだ」

 我ながらあからさまに面倒くさそうな返事をすると、セラも黙り込んだ。

 そうこうしているうちに学校にたどり着く。昇降口にはまだ児童たちの姿も少ない。が、一人だけ見覚えのある女子の姿がそこにあった。

「おはよう、鹿野さん」

「……おはよう」

 下駄箱に靴を仕舞おうとしている鹿野から、淡々とした挨拶が返ってきた。


 ――さて。


 昨日の件――玉越リカに嫌がらせを受けていた話を切り出すべきか否か。

 オレが少し戸惑っていると、

「おはよう、鹿野さんに拓斗さん」

 突然男子の声がオレの耳に届いた。

「あ……、笛木くん。おはよう」

「随分と早いね。いつもこんな時間なの?」

「今週はずっと図書委員の朝当番だからね。今日はこれでも遅いほうだよ」

「ふぅん……」

 オレは眉をひそめながら、靴を下駄箱に仕舞った。

「あ、昨日はありがとね、資料集貸してくれて」

「……どういたしまして」

 鹿野は少し黙り込む。

 そりゃ、昨日のことがあったから気持ちとしては複雑だろうな。

「あ、じゃあ僕は行くね」

「うん……」

 笛木が去っていくのを見届けた後、オレたちもゆっくりと教室へ向かっていく。

『ちゃんと天使の仕事をしてくれるんですよね?』

 セラがオレにこっそりと耳打ちする。別に他の人間には聞こえないから耳打ちの意味はないんだがな。

「一応、な。ただ、もう少し探りを入れるつもりだ」

『探りって……』

「正直上手くいく確証はないからな」

『本当に何を考えているんですか! そんな悠長なことをしている暇は……』

「しっかりこなしてやる。それだけは約束する」

「……さっきから何ブツクサ言ってんの?」

 小声で話していたつもりだが、鹿野に聞かれたらしい。危ない、ここは慎重にならないと。

「あ、ううん。独り言」

「……あぁ、そう」

 また長いこと沈黙が続く。鹿野との会話はなかなか難しい。

 教室に着いたオレは、鞄を下ろしてしばらく待機している。図書室で借りてきた適当な本を開きながら、チラチラと何度もせわしなく鹿野の様子を見る。相変わらず何を考えているのか分からない様子で彼女も本を読んでいる。

 しばらくすると、教室に玉越リカが入ってきた。

「おはよう、玉越さん」

「……おは」

 何故だか今日は昨日以上に機嫌が悪いのか、かなりしかめっ面だ。あからさまな態度を見せつけながら自分の席に鞄を置いた玉越は、そのまま教室の外へ出ていった。

 ――何かあったな。

「ちょっと行ってくる」

『行くって、どこ……』

 セラに一言断りを入れて、オレはこっそり玉越の後をつけていく。トイレに入っていくのを見届けると、オレはその前でこっそり聞き耳を立てた。

「あー、もう! 林のヤツがクッソムカつくッ!」

「あのハゲ、ホントうっざいよね!」

 他の女子たちと相当な愚痴合戦を繰り広げているみたいだ。林といえば確か、学年主任の教師だったか。

「『いつ髪の毛の色を直すんだ』とか、『その変なアクセサリーは外せ』とか、あたしらの顔を見るたびにチクチク言いやがって。頭が昭和で止まってんじゃないの?」

「わっかるー! まぁ、ウチら昭和とか知らんけど」

「早くセクハラでもして学校からいなくなってくんないかなーって思うよね」

「言えてる! ちょっとコンプライアンス? とかに違反させちゃえば辞めさせることなんて可能なわけだしぃ、何か弱みでも握ってやりたいよねぇ」

 ――アホか。

 ひたすらオレは呆れかえった。コンプライアンスの意味などよく理解もせずに、よくもまぁそのような下衆な会話を繰り広げられるものだ。

「でもさぁ、このストレスはどっかで発散したいよねぇ」

「だったらまた鹿野にぶつけちゃう?」

「あっ、いいかも! 昨日だってアイツ笛木くんと馴れ馴れしくしていたし。まぁ、ちょっと痛い目は見せておいたけど」

「笛木くんと!? マジイキってるし!」

「んじゃ決定! 放課後、アイツを……」

 ――聞いちゃいられないな。

 オレはそのまま自然にトイレの中に入っていく。

「あっ……」

 オレの姿を見るや、玉越たちの顔が引きつる。

「玉越さん、凄い大声で盛り上がっていたけど何を話していたの?」

「うぅん、なんでも!」

「あ、もうすぐ授業始まるよ!」

 玉越たちはそそくさとトイレから去っていった。

『ほらぁ! やっぱりあぁいう子じゃないですか!』

 いつの間にかセラもトイレに入ってきた。

「案の定、馬鹿の極みだな。これは面白くなってきた」

『そうですよ! 面白……、えっ……?』

 セラが驚いたような顔で、オレを見つめる。

 もののついでにオレは個室に入って、トイレでの本来の用途を済ませる。こればかりは未だに慣れない。水を流して、外で待ちぼうけしていたセラと目が合う。未だにポカンと顔を引きつらせていた。

「戻るぞ」

『えっと、タクトさん……?』

「放課後、と言っていたな。となるとその前……、昼休みあたりが妥当か」

 オレはまだ硬直しているセラを余所に、教室へと戻っていった。


 昼休みは半分くらいの児童が外へ遊びに行くが、まばらに教室に残っている連中もいる。玉越リカもその一人だ。鹿野はどこか行って教室にはいない。先ほど本を持って出ていったので、おそらくは図書室だろう。

 ちょうどいい、と思い、オレは教室の外から玉越の様子を眺めていた。

『本当にあんな子を幸せにするんですか? さっきタクトさん、馬鹿とか言って蔑んでいたじゃないですか』

「あぁ、だからこそ、だ」

『でも……』

「いいからさっさとやれ」

 こっそりとセラに話しかける。廊下には人がいるし、いつまでもこんな覗き見紛いな態勢をしていたら流石に怪しまれる。

『分かりましたよ』セラは観念したのか若干ムスっとした表情で、『エンジェルパワー・オープン! ハッピーパワーを彼の者に与えよ!』

「またそれか……」

 セラのアドリブ呪文に対するツッコミはさておき、何やら唱えると同時に掌が光りだす。その光は風船のようにふわふわと浮遊していき、教室の中へ、そして玉越リカへと近付いていく。

 そのまま光は玉越リカの身体へすぅ、っと入っていく。本人含めて話し込んでいる全員が何も気にしていない様子を見ると、恐らくその光の球はオレたちにしか見えないのだろう。

『……これでいいんですか?』

「あぁ、上出来だ」

 オレはニヤリ、とほくそ笑む。

 と同時に、うちのクラスに誰かが入っていった。あれは……、

「すみません、失礼します」

 笛木だ。

「あれ、笛木くん? 何か用?」

「あ、いや、その……」笛木はもじもじとしながら、「ちょっと、いいかな?」

 そう言って玉越リカの前までやってきた。

「えっ……、ど、どしたの……」

「あの、さ……、玉越、さん。突然なんだけど、その……」

 ごくり、と唾を飲み込む音がこちらまで聞こえてくる。

「笛木、く……」

「ごめん、ちょっとだけ、付き合ってもらっていいかな?」

 沈黙が教室内を包み込む。

「え!? えっと、その……」

「すぐ終わるから!」

 笛木に促されるまま、玉越は立ち上がって教室から出ていく。

「あれって、つまりは……」

「だよねぇ!」

 教室内に取り残された女子たちが一斉にざわめきだしていった。


『や、やっぱりこれって……』

「追いかけるか」

 オレはこっそりと、二人の後をつけていくことにした。

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