美少女天使に生まれ変わった、最年少死刑囚のオレの話
和泉公也
1章
第1話
気が付くと、そこはふわふわしていた。
何が、と聞かれても何もかもが、としか言えない。それだけふわふわとした感触が背中一杯に広がっていた。例えるなら高級ホテルの上質なベッド――まぁ、そんなものは記憶の限りでは寝たことがないが――多分それよりもはるかに柔らかくてふわふわしているのだろう。
オレは上体を起こしてゆっくりと立ち上がる。
「なんだ、これは……」
身体が真っ白だ。いや、正確に言うのであれば身に纏っている物が完全に真っ白だ。
それもまたふわふわしている。普段来ていたはずのそっけないシャツとは比べ物にならない、肌触りがいい生地だ。逆に気持ちが悪い。
更に言えば、そのふわふわした服に、今度はひらひらしたものがついている。これはあれか、俗にいうフリルという代物だろうか?
――夢、か。
瞼をこすって確かめた光景は、何やらピンクと水色のモヤが掛かっている。ところどころに真っ白な柱が立っている。
一度瞼を閉じるが、どういうわけか眠る気になれない。仕方がないので、そのまま立ち上がった。
ゆっくり前へ前へと進んで行く。どこまで行っても、柱と、モヤ。殺風景というレベルじゃない。何もないに等しい。
と、思っていると――、
「ん? あれは……」
途中、ようやく柱の一本に西洋風の鏡が掛かっているのが見えた。
ちょうどいい、と思いオレはそれを覗き込んだ。
――え?
声が出なかった。いや、出す気になれない。
黒い髪が、肩まで伸びている。睫毛もやたらと長い。
さっきから違和感を抱いていた服の全体像も見えたが、思っていた以上におかしな代物だった。真っ白なのはそうだが、肩から裾までヒラヒラのフリルがあしらわれている。膝よりやや下まで覆うようなスカート。胸元にはこれまた真っ白なリボン。これは所謂、ロリータワンピースというものだろうか。
「誰だ、これ……」
冷静に考えて、オレは冷静さを欠いている。
そこに映っているのは、明らかにオレの姿ではなかったからだ。
ふと、胸を触ってみる。
むにゅ、とやたら柔らかい感触が伝わってきた。そんなに筋肉質というものではなかったが、ここまで肉付きは良くなかったはずだ。
「まさか、な……」
恐る恐る、オレはスカートの中に手を入れる。
そこに存在するはずのものは、存在していなかった――。
代わりにあったのは、全く知らぬ割れ目――・
「は、ははは……」
渇いた笑いしか出てこなかった。
これは夢だ、違いない。そうでなければ説明がつかない。
――オレは。
「オレ、は……」
女に、なってる?
やはり、そうか……。
こんな空間も、こんな身体も、何もかもが説明つかない状況だ。
というよりも、そもそもがおかしいのだ。こんなにくっきりと視界があり、触覚もある。そんなことはまずありえない、はずだ。
唖然とした感情のまま、オレはしばらく鏡を見つめていた。
段々、鏡の左上が黒く淀み始めていく。水面に黒絵具を流し込んだかのように、それはやがて鏡面全体に広がっていく。
「なんだなんだ……」
ほんの数秒間のうちに、鏡から黒髪美少女の姿が消えてしまった。
その代わりにそこに映ったものは――、
『さてと、最期に言い残すことはあるか?』
二、三人の紺色の服を着た男たちが、椅子に座らされている人物の周りを取り囲んでいた。
鼠色の囚人服を纏って項垂れている人物は、身体がかなり小さい。だが、男であるということはなんとなく分かる。
膝の上で手錠を掛けられており、どこか小刻みに震えている。
『ふ、ふははははは……』
突然その人物がけたたましく笑い始めた。
『なんだ、何がおかしい?』
『……言いたいこと? あぁ、いっぱいあるよ』
ようやくその人物がきちんとした言葉を発した。
『言ってみろ』
『お前ら、オレを捕まえて死刑宣告をしていい気になっているだろうが、オレはこんな世界から一刻も早くおさらばできてせいせいしているよ。政治家どもは国民から搾取することだけ、差別差別と泣き言をほざいている自称弱者どもは結局我田引水で自分らが優位に立ちたいだけ。お前らは所詮口では綺麗事を抜かしておいて、本心は自分が良ければそれがいい、それだけだろう? 腐っていやがる。せいぜい、こんな腐った世界で自らも腐っていくがいい』
『ふん、ガキの中二病か』
『ベラベラと長いことをまぁ。根性が腐った奴が何を言うか』
『言いたいことはそれだけか? あん?』
『なんだ、まだ喋ってもいいのか?』
――なんだ?
本当にコイツは何なんだ? 小さい癖に何かを悟ったような喋り方をしている。
いや……。
コイツは、もしかして……。
『もういいだろう。とっととコイツをやっちまうぞ』
『良かったな、ガキ。随分と大層なことを言っていたが、お前の最期の言葉は俺たちにしか聞かれていないぞ。世間に恥だけは晒さないように、今の言葉は俺たちだけの秘密にしておいてやる』
『あぁ、別に構わない。オレの崇高な言葉など滅びゆく世界の住人どもには一字一句理解できないだろうからな』
そう言いながら――、
“ソイツ”はゆっくりと顔を挙げた。
「これは……」
小さな身体に釣り合った、あどけない少年の顔。
だがその表情は歳不相応なほど歪に歪んでおり、けたたましく微笑んでいる。
まるで、この地獄をひたすら楽しんでいるかのように……。
間違いない、コイツは、
“オレ”、だ。
そこからの映像は、もう覚えていない。ただひたすら、罵詈雑言を浴びせられたその人物が、喰らい部屋に連れていかれて、
あれやこれやという間に、首に紐を通される。
そして――、
「う、うあああああああああああああああああああああああああッ!」
あまりにも非人道的な光景に、オレは思わず悲鳴を挙げる。
ぶら下がった一人の少年は、次第に手足をだらんと下げて、そのまま動けなくなってしまう。
たった十一年だけの生命――、だがあまりにも闇が深すぎた人生が終わる瞬間だった――。
「見たんですね」
ふいに、オレの背後から誰かの声が聞こえてきた。
「誰、だ……」
先ほどまで誰もいなかった空間に届く声。
柔らかな少女の声だ。
「驚かせてしまってすみません」
「あぁ、本当に驚くことばかりだ。一体ここはどこなんだ? オレは何で女になっている? 何でオレの死に様が鏡に映っている? きちんと説明してもらおうか」
「い、一気に質問しないでください……」
――やれやれ。
背後に現れた少女は銀色の長い髪に、真っ白な服。オレと同じ白いロリータワンピースだ。可愛らしいといえばそうなのだが……。
問題は何故、背中から羽が生えているのだろうか。
「初めまして、私はセラって言います!」
「ご丁寧にどうも……」
にこやかに挨拶されるが、正直コイツの名前なんて知ったところで何も進展はない。とっとと話の続きを聞かせろ、とオレは内心思った。
「ふぅ、あなたをここまで連れてくるのには苦労しましたよ」
「連れてこられた覚えは全くないんだが」
「そりゃそうですよ。あなたをその姿に転生させる前に大部分の記憶は封じさせてもらいましたから」
……。
――は?
「待て、『転生』って何だ、『転生』とはッ⁉」
「はい、そのままの意味です。生まれ変わりとか、そういう……」
馬鹿なのか、コイツは。丁寧に説明しているつもりなのだろうが、まったく伝わってこない。
「オイ、まさかオレをこんな姿に変えたのは……」
「はい、私です!」
「てめえええええええええええええかああああああああああああああああああああああああッ!」
オレはおもむろにセラと名乗った少女のこめかみを拳でグリグリとねじり込んだ。
「い、いたいいたいいたいいたいいたいいたい!」
あまりにも痛がってきたので、オレはゆっくり拳をセラの頭から放して、ゆっくり深呼吸をした。
「はぁ、ったく……。まず聞くが、オレは死んだのか?」
「ん? はい、その通りです!」
オレは、既に死んでいる? 確かに死んだ際の記憶がない。いや、そもそも生きていた頃の記憶が全くない。
オレは間違いなく男だったはずだ。それで、学校に通って、何不自由なく……。
――何、不自由なく?
嘘だ。不自由しかなかった。親なんてオレを何度も殴った挙句にゴミのように捨てやがって、学校の連中も腫物を扱うようにオレを見やがって。ちょっと脚の速いだけの人気者はもてはやすが、ソイツは裏で下級生を殴っていたことは知っている。それを指摘しても大人たちは何も変えようとしない。
その先の、オレの運命は……。
「う、うあああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
再びオレは悲鳴を挙げた。
「……思い出したみたいですね」
あまりにも残虐すぎるオレの記憶。
「オレは、なんて、うああああああああああああああああッ!」
「無理もありません。あなたの記憶は、あまりにも無慈悲すぎるものですから」
……そうだ。
……そうだよ。
……そうだよ、オレは。
「オレは、オレは……」
「辛いですよね。日本では異例とも言えた、『十一歳の死刑囚』、
脳裏に何度も何度も、人を殺した瞬間の記憶が蘇る。ナイフや拳銃なんてまだ生易しいほうだ。遺体を燃やしたり、解体して埋めることもあった。それどころか、もっと原型を留めなくなるほどに損壊させて証拠隠滅したことも……。
居場所の無くなったオレが行きついたのは、裏の世界だった。どうせこの世界なんて表自体が腐っているんだ、とヤケになってた。だからもう、オレ自身がまともじゃなくなってしまえばいい。そうしてオレは幾重にも悪を貫いた。盗みや脅迫なんて生易しいもの。人なんてどれだけ殺したか分からない。一応、それなりに腐っている人間をターゲットにはしたつもりだが。
だが……。
世間はオレを更に侮蔑した。この上ない悪だ、悪魔の申し子だと後ろ指をさした。
本来ならば法律上保護されるべき存在だったはずのオレ。腐った大人たちが放置してきたツケなのだから、大人どもが責任を取って更生させるのが筋だろう。
だが――、
大人たちが下した判決は、異例中の異例とも言える、“責任逃れ”だった。
「うぅ、げ、うえええええ、う、う、ゲホッ、ゲホッ……」
吐き気が凄い。でも、何も吐けない。唾液のようなものがとぼとぼと滴り落ちるだけ。
走馬灯のように蘇る残虐な記憶の数々が、オレの気を狂わせようとしてくる。それを行なってきたのが他でもない、オレ自身なのだと責め立てられているようにさえ感じ取れる。
「あ、あうぁぁぁぁぁぁぁぁぁあッ!」
「すみません、大丈夫ですか?」
セラはしゃがみながら心配そうにオレの顔を覗き込んでくる。そしてそっと、オレの背中に手を添えて優しく撫でてくる。
「う、ううぁぁぁ……、はぁ、はぁ……」
吐いているわけではないが、少しずつオレの気分が落ち着いてきたような気はする。
「ごめんなさい。でもこうでもしないと説明ができないものですから」
「あ、あぁ……。なんとか大丈夫、だ」
オレは呼吸を整えて、ゆっくりと背筋を整えた。
「それ以上は無理に思い出さなくてもいいんですよ」
「チッ、いけしゃあしゃあと言いやがって……。まぁいい、話を続けろ」
オレは思いっきり睨みつけてセラを睨んだ。
「うぅ、そんな怖い顔しなくても……」
「早くしろ」
「分かりましたよ。それで、どこまで話をしましたっけ?」
「オレが死んだというところまでだ。それがどうして、わざわざ転生させてんだ。しかもこんなふざけた姿に」
「ふざけた姿とか言わないでください。あなたは『天使』なのですから」
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