第21話

「はぁ、はぁ……」

 息を荒げながら、当てもなく道を走る。こういう日に限って、五限目が体育の授業とは、な。疲労が今になって湧きあがってきやがる。しかも気温が三十五度を超えている。今すぐにでも冷たい水をがぶ飲みしたい気分だ。

 ――コンチクショウ、め。

 思い当たる場所は、ひとつだけある。

 今日は七月五日――、間違いなく、あの日、だ。

 繁華街の方まで、一気に走り抜けた。まだ人の出入りはそこまで多くはないが、まばらに一般客たちの姿が見える。が、今はソイツらの視線なんて気にしている場合じゃない。

 例の派手な看板の真下にようやくたどり着く。

 遠目に見える、見覚えのある姿。派手なスーツに、鋭い目付き。美喜人にそっくりだが、全く違う。

 そいつは店から出てくると、すっとエレベーターに乗っていった。

「クソッ、早くしないと……」

 店の裏側、ビルの入口からすぐにエレベーターが見える。オレは焦ったあまり、何度もボタンを連打する。

 やがてエレベーターが降りてくると、オレは急いで乗った。

 ――屋上、だ。

 エレベーターが屋上にたどり着くと、そこにいたのは……。


「お母さん、お母さん!」

 ――いた。

 屋上の壁に寄りかかっている女性を、鹿野がしゃがんで支えている。

 あの女性……、見覚えがある。

 昨日、ホストクラブの前で出会ったあの女性だ!

 彼女は腹部を手で押さえながら目を閉じて言葉も発せずに息を荒げている。

「か……、の……、ん」

 明らかに彼女の様子がおかしい。押さえた個所から服に滲み出ているもの……、あれは……、血⁉

「鹿野……」

 オレは屋上へおもむろに飛び出した。

「た、たくとさ……」

「一体何があ……」

「来ないでッ!」

 その一声で、オレは身体を完全に立ち止まらせる。

「おいおい……」

「来ちゃ、ダメ……」

「だから一体なにが……」

 鹿野は一度唾を飲み込んで、「そこに、まきとが……」


 ――えっ?

 オレは背後を振り返った。

「誰だ、てめぇ……」

 唐突に聞こえる、男の声。野太いとも言い難いが、高くもない。

 後ろにいたのは一見真喜人にそっくりな風貌。けど、目付きは完全に違う。血走った眼光、そして歪んだ口元からは飢えた猛獣のような残虐さをにおわせている。

 オレが今まで見てきた中で、最も凶悪極まりない人間。いや……、かつてのオレ自身と同等くらい凶悪性を見せつけている。


 ――コイツだ。


 間違いなく、過去にオレが殺害した男だった。

「何、してんだよ、お前……」

 それだけ言うのが今のオレには精一杯だった。久しぶりに感じた恐怖心に抗いながら、奴を睨みつける。

「クソガキが……。てめぇも始末してやろうか?」

「や、やめて……」

 ――マズい。

 明らかにこの男はオレも鹿野も殺すつもりだ。

「鹿野ッ! 今すぐにここから逃げ……」

「死ねえええエエエエエエエエエエエエエエッ!」

 一瞬だった――。

 オレに目掛けて、銃口が向けられる。


 ――ダメだ。

 避ける暇がない。最早絶対絶命だ。

 そう諦めた瞬間――、


「やめてええええええええええええええええええええええええッ!」


 ピキッ――。


 何かがひび割れるような音が、オレの耳に届いた。

「か、かの……」

 そう声を発する間もなく、オレの視界は瓦解していく。まるで砂糖菓子のように、脆くて呆気なく周囲が壊れてしまう。

 また、か……。

 また、なのか……。

「く、クソオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 力強く叫んだ声が、真っ暗な空間に掻き消されていく。

 また、オレは救えなかった。

 鹿野が心を壊して、世界を崩壊させてしまった。折角、真喜人のことを掴んだというのに、奴に鹿野の母親を殺されてしまって……。

 悔しい。こんな気持ちは久しぶりだ。

「なぁ、セラ……」

 オレはか細い声で呼んでみる。

 だが、暗い空間から全く現れる気配がない。


 ――チクショウ。


 チクショウ、チクショウ、チクショウチクショウチクショウチクショウチクショウチクショウチクショウチクショウチクショウッッッッッッッッッッ!

 なんで、こんなことになっちまったんだよッ!


 真喜人は、本当は美喜人だったという事実を知って一安心したのも束の間、本物が現れやがって。

 怒りに震えていた自分の意識が、徐々に薄れていく。

 最早真っ暗なのかどうかさえ分からない。完全に、「無」といったほうが正しい。


 オレは微かな意識の中で、なんとか前世での真喜人を思い起こそうとする。


 最初に鹿野と出会った日――。

 人気のない裏庭が好きなオレは、たまたまそこにいた彼女にどういうわけかプリンを貰った。その後も裏庭に現れては、話をするか黙りこんでいるかの日が続いていた。

 ある日、学校の帰りに鹿野がいることに気が付いた。オレはこっそりその後をつけていった。そこに、真喜人がいた。

 最初は父親かと思っていた。だが、後日鹿野から話を聞いてみたらその男は鹿野の母親と交際している人物だという。

 その時はその言葉を鵜呑みにしていたが、ある日風の噂でマキトというヤバいホストのことを知った。付き合った女の金と身体を都合よく吸いつくして、最後には捨て去る。それどころかもっと酷い目にも遭わせることも多々ある、と。まさか、と思い奴のことを更に調べたら、案の定真喜人はマキトのことだった。

 このままでは鹿野の母親はおろか、鹿野自身にも奴の魔の手が襲い掛かりかねない。そう思たオレは何とかして奴に取り入って事実を探ってやろうと思った。

 相手にはされないと思っていたが、奴に取り入るのは案外簡単だった。マキトのような男になりたい、とゴマを擦ってみたら案外あっさりと承諾してくれた。だが、これこそが奴の罠だったことにこの時点で気付くべきだったのかも知れない。

 そこから先は、犯罪紛い……、いや、犯罪そのものの片棒を担がされる日々だった。小学生のオレが罪に問われることはないだろうと思ったのだろう。恐らくはオレのことも利用するだけ利用したらポイ、になるに決まっていた。

 それに気付いた頃には、時すでに遅し――。

 あの日、オレは偶然鹿野と鹿野の母親、そして真喜人がビルの屋上に入っていくところを目撃してしまった。こっそり後をつけて行くと、同じように鹿野の母親を殺害していた。

 鹿野のことも殺そうとはしていた。だが、運よく彼女はすぐに逃げて、オレが追い付いた頃には姿はなかった。

 そして真喜人はオレのことを殺そうとした。

 オレは必死だった。なんとか奴を突き飛ばしたときに、持っていた拳銃を落としていた。無我夢中になったオレはそれを拾い、気が付いたときには――、


 ドンッ!

 鈍い銃声と、硝煙の匂い、そして横たわる真喜人の姿がそこにあった。


 今まで犯罪行為に手を染めていたオレが唯一しなかった、人殺し。

 その件に関しては過剰防衛とオレが小学生だということで罪に問われることはなかった。

 だが、世間の目は違う。オレを腫物扱いするかのように、いや、オレも真喜人と同じ外道として見ていくようになっていった。

 鹿野と会うことはそれからなくなっていった。何せ、オレ自身学校に行くことさえなくなってしまったのだから。

 そこからオレの心は壊れていった。真喜人に対する当てつけのように、腐った大人どもを始末し、様々な犯罪に手を染めていくしかなくなっていった。どうせ自分は既に犯罪者なのだから、と言い聞かせ続けながら。


 そして――。


 それが決定打となったのか、少年法の年齢引き下げが決まってしまった。それまで一案でしかなかったものが、オレのことがニュースになると早急に決定になった。

 その死刑第一号としてオレがなってしまったのは言うまでもない。いくら法律だからといって、ある程度の情けは掛けてくれそうなものだが、最早それすら叶わないほどだった。


 今、分かった。


 この世界に、死刑囚「福音拓斗」はいない。


 セラがオレを天使として蘇らせたのは、オレが死刑になるずっと前――。

 恐らく、オレと鹿野が出会って間もなかった頃だ。

 多分、あの世界は既に崩壊してしまったのだろう。


 ずっと、騙されていた。いや、ただ単に俺自身が勘違いしていただけだ。


 なんで、こんなことになってしまったのだろうか。


 オレは、ただ――。


 初恋の女の子を、助けてあげたかっただけなのに――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る